2026年04月20日

◆ AIは人間のライバルか?

 AIが思考力を持つとすれば、AIは人間のライバルなのだろうか? 思考力の点で人間を越えたと言えるのだろうか? 

 ──

 AIは思考力を持つか? これに対しては、
 「AIは人間以上の思考力を持つ」
 というふうに思う人が多いようだ。
 たとえば、朝日新聞ではしばしばこの話題で記事が出るほどだ。

 しかし私はそれに賛同しない。むしろ逆に結論する。それは
 「AIは人間に劣る」
 という意味ではない。議論そのものがナンセンスだという意味だ。つまり、こうだ。
 「AIと人間を比較するな」
 つまり、質問自体がナンセンスなのである。(前項のチューリングテストとも関連する。)
 この趣旨で、複数のテーマで論じよう。

 野田秀樹の論


 劇作家の野田秀樹が東大で祝辞を述べた。
  → https://www.u-tokyo.ac.jp/ja/students/events/b_message2026_03.html

 彼はAIを東大生とバトルさせる、と主張する。一部抜粋しよう。

AIとバトルさせること自体、無謀ではないでしょうか?

いいえ、無謀ではありません。
なぜなら私はAIの弱点を知っているからです。

何故、AIには人間の「心」というものがわからないのでしょう。

人間には肉体があるから、有限の時間があり、けれどもだからこそ、今あなたたちは、「若い」と呼ばれる。肉体があるから「若い」と呼ばれる。

あなたたちは「若い」のです。「若い肉体」を持つ生き物なんです。そして「若い身体、肉体」からしか生まれない「心」というものがあります。

あなたがたは、若い身体を持っている。とりわけ頭が良いあなた方は、脳みそ寄りの人間です。身体を忘れがちです。けれどもあなた方がこれからAIと生きていく時代だからこそ、AIには身体がない、それに根差す心がないことを憶えていて欲しいです。AIがあなた方の「若い身体」を「その身体に根ざす若い心」を超えることは決してない。人間の未来を決定するのはAIではない、人の心だと私は信じています。素敵な未来を作ってください。

 AIには身体がないから心がない、という主張だ。
 しかし今や、AIは身体を獲得しつつある。それがロボットだ。
 しかしAIが身体を獲得しても、AIが心を持つようになるとは言えない。そのことは前項で述べたことからもわかるだろう。
 「思考力があるかのようにふるまう」
 「出力結果が思考力を持つ場合と変わらない」
 というのは、「機械が思考する(思考力を持つ)」というのとは、別のことなのだ。なぜなら、内部構造を見れば、そのことは一目瞭然だからだ。

 仏教学者の論


 仏教学者の論もある。これも同様のテーマを扱う。しかし結論は、野田秀樹とはほぼ逆だ。
  → (こころのはなし)現代にいきる仏教の世界観 花園大特別教授・佐々木閑さん:朝日新聞

 一部抜粋。
人類の歴史で初めて、人間をはるかに超える最高の知性と出会ってしまいました。「人間は永遠の二番」とAIは告げています。

人間もAIも本質がないのに、人間には心があると思い込んでしがみつき、AIより上に立とうとします。この気持ちが危ない。挑んでも挑んでも追い越されるという焦りの中で絶望します。

     *

 ――どう考えればいいでしょうか?

 大切なのはAIと共存し、二人三脚で生きていくことです。AIは人間の劣っている部分を補ってくれます。これからは自分のAIを持ち、一体化していきます。そのときに欠かせないのは謙虚さです。AIに負けないぞという気持ちを捨てることです。

 ここでは「人間もAIも本質がないのに、人間には心があると思い込んでしがみつき、AIより上に立とうとします。この気持ちが危ない」と主張している。これは野田秀樹の意見とは正反対だ。だが、こちらの意見は妥当だろう。
 とはいえ、AIを「人間をはるかに超える最高の知性」と見なすのは、買いかぶりだろう。AIは「知性をもつと見える」もしくは「知性があるものと同様の出力をする」とは言えるが、「知性がある」とまでは言えないのだ。そのことは、内部構造を見ればわかる。
 当然ながら、「AIと共存し、二人三脚で生きていく」というのも、買いかぶりの結果だ。「相手は自分よりも優れている」と思うから、その相手と組みたがるのだろうが、相手はもともと人間よりも優れた存在ではないのだ。買いかぶりがひどすぎる。

 私の結論


 では、どう見なせばいいのか? 私の結論は、こうだ。
 「AIには思考力などはない。AIはただのツールである。自動車が移動・運搬のツールであるように、AIは知的作業のツールである」

 原始的なレベルでは、シャベル(鋤・鍬)(すき・くわ)のようなものである。手で掘る代わりに、道具で掘ると、作業能率が上がる。同様に、自動車を使うと、移動・運搬が機械化されて、非常に能率が上がる。同様に、(初期の)電子計算機を使うと、計算作業が機械化されて、非常に能率が上がる。同様に、(現代の)AIを使うと、知的作業が機械化されて、非常に能率が上がる。……いずれにしても、人間の道具として、人間の作業を助ける。それだけのことだ。「人間を越える」というような比較はナンセンスである。
  ・ シャベルは人間を越える
  ・ 自動車は人間を越える
  ・ 電子計算機は人間を越える
 このような比較は、意味をなさない。同様に、AIとの比較も、意味をなさない。

 先に、こう述べた。
 自動車が人間の利用できる運搬能力を拡大したように、AIが人間の利用できる知的能力を拡大する。これまで届かなかったところにも届くようになる。しかしそれは、人間がAIを利用できるようになったということだ。人間が自動車を利用できるようになったように。つまり、行動範囲を広げる道具となるのに似て、知的範囲を広げる道具となったということだ。
( → ChatGPT との対話

 これは、AIが物理学問題を証明: Open ブログ (4月17日)という項目のリンク先で述べたことだ。この解釈が妥当であることについては、AI自身が同意している。「その通り」と。 (リンク先を参照。)

 このように、AIを「知の道具(ツール)」として使うべきなのだ。AIは決して、バトルする相手でもないし、ライバルでもないし、二人三脚する相手でもない。AIは、人間と並び立つものではなく、手足のごとく、使いこなすべきものなのである。
 
posted by 管理人 at 21:25 | Comment(0) | コンピュータ_04 | 更新情報をチェックする
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