2024年01月19日

◆ 能登の地形が険しいわけ

 能登で、海際で土砂崩れが起こったのは、海際の地形が険しいからだ。ではなぜ、そういう地形なのか? (地学的考察)

  ※ 本項は仮説なので、読まなくてもいいです。

  ※ 最後に 【 補説 】 を加筆しました。

 ──

 海際で土砂崩れが起こったのは、海際の地形が険しいからだ。たとえば、こんなふうに。





 海のそばまで山が迫っており、山と海に挟まれた平地の幅は、10メートルぐらいしかない。ほとんど平地がないと言っていい。では、どうしてこうなのか?

 実は、これは能登に限ったことではない。日本海側の海岸の大部分は、こういう海岸である。
 太平洋側(関東以南)では、そうではない。太平洋側の海辺は、砂浜であることが多い。関東では、九十九里浜、湘南海岸。静岡や愛知県にも、大きな砂浜のある海岸が広がる。
 一方、日本海側は違う。2時間サスペンスでは、断崖絶壁に犯人が呼び出されて、「あなたが犯人だ!」と指弾されることがあるが、こういう断崖絶壁は、日本海側に多い。
 私も前に山陰地方を旅行したことがあったが、日本海上を船で移動しながら、陸地の絶壁を眺める、という体験をした。山陰を旅行するというと、陸上にはろくに見るものがないから、海上から陸上を見物することになるのだ。そこからは断崖絶壁のつながる、秘境みたいな風景が見られる。





 というわけで、能登地方に限らず、日本海側はすべて地形が険しいのだ。では、それはなぜか? 
 ChatGPT に質問することにして、Copilot に聞いてみたら、こう答えた。
 日本海側の地形が険しい理由は、日本列島が形成された際に、太平洋プレートが日本海溝に沈み込んだことが原因です。

 日本海側に平地が少ない理由は、日本列島が形成された際に、太平洋プレートが日本海溝に沈み込んだことが原因です。

 それぞれ出典リンクが示されているが、リンク先にはそんな文章は見当たらない。また勝手に AI が嘘をついているようだ。
 そもそも、「太平洋プレートが日本海溝に沈み込んだ」のは、太平洋側(日本列島の東側)の現象であって、日本海側(日本列島の西側)の現象ではない。話が別だろう。
 
 そこで、さらにネットでググってみたが、「日本海側があまり発達しなかった歴史的理由」については散見されたが、「日本海側に平地が少なくて海岸線が険しい理由」については典拠が見出されなかった。
 これでは回答が見つからない。困った。どうする?

 ──

 そこで、困ったときの Openブログ。私が自ら回答を出そう。こうだ。
 「日本海側の地形が険しい理由は、海岸線が日本海の荒波で削られてしまったからである。川による扇状地ができて、遠浅の砂浜ができかけたたとしても、その砂浜の砂は日本海の荒波に運ばれて流されてしまう。だから砂浜はできないのだ」

 日本海では、強い西風が吹く。そのせいで、大きな荒波が陸地に寄せて、陸地を削る。柔らかな砂浜ができても、どんどん削っていく。残るのは固い岩盤のみだ。砂浜のような地形は残らないのだ。
 そもそも、日本列島はほとんどはそういう地形だ。太平洋側でも、東北や紀伊半島や四国は、険峻な地形が海際まで伸びている。このように険峻な地形が日本列島の本来の姿なのだ。地学的に言えば、「褶曲山脈」としての日本列島があるから、もともと海際は険しい地形になっているのだ。

 ではなぜ、部分的には、広大な平野部があるのか? それについては、前に説明したことがある。
  → 関東平野と火山灰層: Open ブログ

 日本各地の広大な平野は、火山の噴火による莫大な火山灰で形成されたものだ。(関東ローム層など。)
 関東平野も、濃尾平野も、新潟平野も、筑紫平野・佐賀平野も、火山灰の地層に覆われている。これらの平野部は火山灰によって形成されたのだ。つまり、火山が噴火したから、これらの平野部ができたのだ。

 ……という説明だが、この説明は正しくない、と最後で修正されている。なぜかというと、火山灰の地層は数メートルであるが、その下にはもっと厚い平地部がもともと基盤としてあったからだ。その基盤が先決であって、火山灰は後から付け足されたにすぎない。

 では、それで話が済むかというと、そうでもない。そのような基盤(広大な平野部)のない浜岡原発のある当たりでも、広大な砂浜があるからだ。(浜岡砂丘という。)





 このあたりは遠浅であるようだ。険しい山地の地形などはない。ならば山陰のように険しい岩肌があってもよさそうなのに、砂浜の地形がある。
 つまり、平野の基盤とは別に、遠浅をもたらすような理由があるのだ。では、それは何か?

 ──

 その理由は、はっきりとわかっていないのだが、どうも、日本列島をつくりあげる地殻変動が理由であるようだ。日本列島はもともとは大陸とくっついていたのだが、大陸から分離する形で形成された。
  → 画像 ( 出典

 このように日本列島が形成されていく過程で、太平洋側には遠浅となるような構造も生じたようだ。

 では、どうしてそういう構造が生じたのか? そのわけは判明していないのだが、私の仮説を示すなら、こうだ。
 「日本列島が褶曲山脈としてできたあとで、太平洋プレートが地下に沈み込んでいく。このとき、日本列島を乗せた側のプレートが、太平洋プレートに引きずり込まれる形で、どんどん沈んでいく。その反動で、日本列島の東側の部分が、上に持ち上がっていく」

 わかりやすくモデルで示そう。下敷きがある。その下敷きを空中にぶら下げて、下敷きの右端を下方に叩くと、その反動で、下敷きの左端が持ち上がる。
 この下敷きが、日本列島を乗せたプレートだ。下敷きの右端が、日本海溝だ。このあたりが、太平洋プレートに引きずり込まれる形で、下がっていく。すると、その反動で、下敷きの左端が持ち上がる。
 ただし、下敷きの左端が固定されているとしよう。すると、下敷きの右端が下がったとき、下敷きの中央部が持ち上がる。凸状に曲がる形で。
 こうして凸状に曲がると、その部分は延びてしまう。こうして延びてしまったところが、関東平野だ。
 このとき同時に、日本列島全体が(上から見て)弓状に曲がる。関東平野のあたりは、日本列島に引きずり込まれるプレートと一緒に引きずり込まれるので、どんどん南に移動していくからだ。かくて日本列島は弓状に湾曲する。また、同時に、日本海はどんどん拡大していく。最初はユーラシア大陸とくっついていた日本列島が、どんどん東に引っ張られていって、日本海が拡大していく。

 ……以上は、仮説である。これが正しいかどうかははっきりとしない。だが、とりあえずは、太平洋側にだけ平野部や遠浅の部分が生じることが説明される。


jisin-wiki.gif
出典:Wikipedia


 ただ、この仮説が正しいとしたら、次のように結論できる。
 「太平洋側では、プレートが引きずり込まれるせいで、ときどき大地震が起こる。それは地震の原因となるので、非常に困ったことだと思われてきた。しかし、太平洋側では、プレートが引きずり込まれるからこそ、太平洋側では平野部や遠浅の地形が生じたのである」

 以上は、太平洋側についての説明だ。
 一方、日本海側ではどうか? プレートが引きずり込まれることがない。だから、平野部や遠浅の部分が生じないが、そのかわり、巨大地震も起こらない。東日本大震災のような巨大地震も起こらないし、南海トラフ地震(将来)のような巨大地震も起こらない。東日本大震災は M9.0だったし、南海トラフ地震(将来)も同規模だと見込まれる。それにひきかえ、能登地震は M7.6 にすぎなかった。直下型だった分、被害規模は大きかったが、能登地震の規模そのものは、巨大地震よりはずっと小さかった。
 日本海側では、地形が険しくて、平地が少ないが、そのかわり、地震の規模は小さめで済むのだ。(巨大地震にはならないのだ。)

 以上のように評価できる。 (仮説だが。)



 【 補説 】
 日本海側のいくつかの平野については、沖積平野ということで説明がつく。

 (1) 新潟平野

 新潟平野(越後平野)は、沖積平野だ。ここに沖積物が溜まったのは、巨大な信濃川があるというのが理由だが、もう一つ、佐渡島の影響も大きいだろう。佐渡島があるおかげで、日本海の荒波が弱められて、沖積物が流れ出す効果が弱まった。

 (2) 富山平野

 富山平野は、沖積平野だ。ここは黒部川の流域だが、もともと平野を構成しにくい地形だ。
 富山湾は水深が深く海底の勾配が急であるため、河川からの土砂は海底に沈んだり沿岸流に流されて三角州を発達させず、富山平野の大部分は砂礫の扇状地で構成されている。
( → 富山平野 - Wikipedia

 それでもここに沖積物(砂礫)が溜まったのは、能登半島のおかげだろう。能登半島のおかげで、水流や荒波が弱まったから、沖積物が溜まった。
 能登半島は、自らが盾となることで、日本海から富山平野を守った(生み出した)のだ。

 ※ 佐渡島や能登半島がなかったなら、越後平野や富山平野はできなかったかもしれない。できたとしても、ずっと小規模になっていたかもしれない。

 (3) 金沢平野

 金沢平野は、沖積平野だ。ここは、大きな川があるわけでもなく、守ってくれる島や半島があるわけでもない。平野ができる特別な条件はないように見える。だが、他の断崖だらけの土地と違って、ここには沖積平野ができた。それは、なぜか? 
 私の想像では、川から来る土砂量が非常に多かったからだ。そのわけは、近くに険峻な高い山地があったからだ。


hokuriku-map.jpg

 
 金沢平野のすぐ東には、白山の険しい山地地帯がある。
 富山平野のすぐ東には、白馬の険しい山地地帯がある。
 いずれも、海に比較的近いところに、とても険しい高い山地地帯がある。そこからは急流に削られて流された土砂が大量に産出する。その土砂が大量にあふれて沖積平野を作ったのだ、と推定される。
 似た例では、太平洋側では、同じように急流のある天竜川の河口部で、浜松の沖積平野ができている。

 ──

 ただ、「沖積平野ができるのは当り前だろ」という具合にはならない。上記のような沖積平野ができた場所を除くと、沖積平野ができていない場所が大部分だからだ。東北にせよ、紀伊にせよ、四国にせよ、川はあっても、大きな沖積平野はできなかった。大きな沖積平野ができるには、それなりの別条件(川以外の条件)が必要だった。
 それが備わった例外的な場所でのみ、沖積平野ができたことになる。日本は(例外を除いて)もともと平野が少ない国なのだ。



posted by 管理人 at 22:17 | Comment(2) |  震災(東北・能登) | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
 最後に 【 補説 】 を加筆しました。
 沖積平野の話。
Posted by 管理人 at 2024年01月20日 12:04
天竜川は、砂を生じやすい、崩れやすい流域を有するために、砂丘が出来ているようです。それが、ダムが出来たために、砂が運ばれてこなくなって、毎年1メートルくらいの割合で、どんどんと浸食されていて、砂丘が狭くなっています。たとえば次の記事のように:
https://www.chunichi.co.jp/article/98399
Posted by 松本 at 2024年01月21日 10:12
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