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聖路加国際大学聖ルカ礼拝堂という建物がある。朝日新聞の建築探訪の記事で紹介された。
天井は改修が必要と判断された。
改修工事は約80年前の建築時も施工した清水建設が担当。天井の抗火石は一部を残して石膏ボードに変わったが、塗装により当初の色に近づけ、アーチの曲線が美しい造形は保たれた。
( → (建モノがたり)聖路加国際大学聖ルカ礼拝堂 東京都中央区:朝日新聞 )
これで思い出したのが、サリン事件における話だ。聖路加国際大学の礼拝堂(チャペル)に、患者が次々と集められて治療を受けた、という話。
あの地下鉄サリン事件において、次々と運び込まれたサリン中毒患者の治療の舞台となったチャペルを見学させていただいた。
チャペルの内部にはベッドや車椅子を並べるのに十分なスペースがあり、壁には人口呼吸器を取り付けることができる配管が並んでいた。地下鉄サリン事件で、日野原先生がこのチャペルに患者を集め、救急医の石松伸一氏が例を見ない症状に対し、サリン中毒だと決断を下したことは有名である。だが、そもそも当時100人を越える患者がこの聖路加国際病院に殺到した際に、きちんと受け入れられるこのチャペルという施設があったことが驚きである。
これには日野原先生の設計思想が深く関係している。先生が経験された1945年の東京大空襲の際、病院に入りきらなかった多くの患者が野外で亡くなったことから、いつか大災害にも耐えられる病院を作ろうと決心され、こうした設備を整えられたそうだ。病院の設計も先生自らが工夫を凝らせ、酸素の配管は病院中の壁にめぐらし、礼拝堂も緊急時には広い病室になるように設置、また24時間対応できる救命センターを設けられた。病院が1992年に竣工した際、はたしてこれで採算が取れるのかと批判的な見方もあったようであるが、地下鉄サリン事件を経て考えると、万一のために備えられた日野原先生の先見の明にはただただ敬意を覚えるばかりである。
( → 患者中心主義と災害医療への取り組み|特集|大津医学生会 )
ここで疑問が浮かぶ。聖路加国際大学の礼拝堂(チャペル)は二つあるそうだが、サリンの治療で使われたのは、どちらの礼拝堂なのだろう? 聖ルカ礼拝堂なのか、トイスラーホールなのか?
この施設には、2つの祈りの場があります。旧館2階にはチャペル(礼拝堂)があって、本館2階にはトイスラーホールがあります。旧館と本館は、渡り廊下でつながっています。
( → 聖路加国際大学 聖ルカ礼拝堂【礼拝堂について】礼拝堂について・歴史 )
これについて調べたところ、なかなか明白な情報が見つからなかったのだが、ようやく次の情報を見つけた。
聖路加国際病院には、皆様が御存じの旧館のチャペルの他に、本館にもトイスラーホールというチャペルがあります。
これは、本館を建て直すときに、日野原先生が提唱されたもので、すでに立派なチャペルがあるのに何故?という声に、「自分は関東大震災や戦争で、多くの人たちが、ちゃんとした手当も受けずに亡くなっていくのを目の前で見た。もし万が一のことがあった時の為に、もう一つチャペルを作って、そこで医療行為ができるようにしたい」として、酸素吸入などができる装置も設置しました。
( → (裏)中央区民マガジン公開グループ | Facebook )
配管を新たに敷設したのは、トイスラーホールであったわけだ。つまり、治療可能であった(ゆえに治療した)のは、トイスラーホールであったのだ。聖ルカ礼拝堂の方は、サリンのときには大活躍はしなかったのだ。(配管がなかったので。)
ともあれ、日野原重明さんの業績を振り返りつつ、その偉業がなされた場を確認することができた。
【 関連書籍 】
大規模災害時にスーパー医師が獅子奮迅の働きをする……という小説がある。下記だ。
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[ 余談 ]
この病院はものすごくコストがかかっているのに、どうして経営が成立するのか? 不思議に思って、前に調べたことがある。理由は二つ。
(1) 聖路加というキリスト教徒の信者が、建立時に多額のお布施をしてくれた。世界各国から。ありがたや、ありがたや。感謝感激。
(2) 現在では、超高所得者向けの超高額料金を取っている。普通の人は入院できません。もしかしたら日本で一番、超高所得者が集まっているところかもしれない。(現役ではなく引退して病気治療中だが。)
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蛇足だが、新横浜線の新綱島という駅には、駅直結の 高額 老人ホームがある。毎日通勤するわけでもないのに駅直結という不可思議さ。「わけわからん」と思ったが、「見舞客が来やすい」という利点のためかもね。なるほど。金持ちの考えそうなことだ。
→ 首都圏初の駅直結の住宅型有料老人ホーム
※ こちらは、超高額ではなく、ただの高額だ。筑地の病院とは違う。

