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袴田事件の再審を認める高裁判決が出た。
再審開始を認めた静岡地裁決定を支持し、検察側の即時抗告を棄却する決定を出した。犯行時の着衣とされた「5点の衣類」について、捜査機関が捏造した可能性が「極めて高い」と述べた。
( → 死刑確定の袴田さん、高裁が再審開始認める 証拠捏造の可能性を指摘:朝日新聞 )
これについて解説する論評もある。
検察庁法は検察官を「公益の代表者」と位置づける。不祥事を受けて検察が2011年に策定した「検察の理念」は、「有罪そのものを目的とする姿勢」を戒め、「時として自己の名誉が傷つくこともおそれない胆力」を求めている。
( → 死刑確定の袴田さん、高裁が再審開始認める 証拠捏造の可能性を指摘:朝日新聞 )
これは良い指摘だ。検察はやたらと「裁判での勝敗」にこだわるが、検察の目的は裁判に勝つことではない。もっと大切なことがある。そのことを暗示している。
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では、検察の目的は何か? それは、検察の意義を考えればわかる。検察の意義とは何か? 次のことだ。
そもそも検察は、それ単独で存在しているのではない。国の一部門として存在している。そこでは、司法の一部門として機能する。
司法の目的は何か? 刑事事件ならば、(犯罪の)真実の解明と量刑が問題となる。つまり、社会正義の実現だ。ここでは、検察、弁護士、裁判官という三者がそれぞれの役割を果たす。この三者はたがいに競争するのではなく、三者がそれぞれ自分の担当する仕事をすることで、社会正義の実現がなされる。つまり、社会秩序の安寧に至る。こういう社会を築くために、検察、弁護士、裁判官という三者がそれぞれの役割を果たす。そこが最終目的だ。
なのに一部の人は、裁判を試合のようなものだと見なす。そこには検察と弁護士の勝負があると思い込んで、勝ち負けにこだわる。このとき、司法の真の目的を見失う。社会全体において果たす役割を見失って、目先の狭い勝負だけにこだわる。
袴田事件で検察がやっているのは、そういうことだ。
検察はメンツにこだわる。「勝敗で負けるわけには行かない」と思い込んで、徹底的に相手の勝利を妨害しようとする。そこには「真実を解明しよう」という態度は微塵も見られない。
仮に「真実を解明しよう」という思いがあるなら、「再審を受け入れる」という方針を取った上で、再審の場で正々堂々と主張を述べればいい。なのに、「再審を受け入れまい」として、即時抗告や特別抗告をして、再審開始を妨害する。これは「司法の開始を妨害する」というものであるから、司法の一部門としての機能を喪失させるものである。司法の機関としては、自殺行為でもある。自己矛盾だとも言える。自分の役割そのものを否定しているからだ。これではまるで「裁判の開始を妨害する犯罪者」の立場そのものだ。検察は、正義の立場から、犯罪者の立場へと、自らを落としてしまった。
それだけではない。今回は、捜査官が捏造をしたと疑われている。つまり、捜査官が捏造の犯人(犯罪者)であるわけだ。その犯罪者を擁護しているのだから、検察は検察としての仕事を放棄していると言える。というか、犯罪者の擁護というのは、検察の目的の正反対である。検察は犯罪者を摘発するべきなのに、逆に、犯罪者を隠蔽することになっているからだ。(犯人秘匿罪という犯罪に近い。)
実際、検察幹部はこう言っている。
検察幹部の一人は「捏造なんてあり得ない。再審開始はまさかの決定だ」と驚きを口にした。別の幹部は「当時は公判が粛々と進んでおり、そんな中であえて捜査側が証拠を作り出す必要はない」と話した。
( → 「袴田さんを今すぐ自由に」支援者歓声 検察側は「捏造あり得ない」:朝日新聞 )
犯罪をしたらしい容疑者(捜査官)に対して、「犯罪はあり得ない」「犯罪をする必要がない」と擁護している。呆れた。検察官が容疑者の言い分を鵜呑みにして、どうする。検察官は、容疑者の自己弁明を否定して、容疑者の罪をさらけださせるのが仕事だ。なのに、身内の側にいる容疑者に対しては、容疑者の言い分を疑いもしないで鵜呑みにする。これでは検察官の仕事の放棄だ。そんなことをするなら、検察官でいる資格がない。検察官の仕事を辞めてしまえ。
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ともあれ、検察官の仕事は、「裁判で勝つこと」ではない。「真実の解明」を通じて、「社会正義を実現する」ことだ。そのためには、再審の場で堂々と真実を解明するべきだ。特に、捜査官の側に捏造の疑惑があるのだから、捏造という犯罪については、犯人の解明を含めて、真相の解明をめざすべきだ。すでに時効なのだから、捏造をした犯人が自白することもありえそうだ。検察官であるからには、良心の呵責ゆえに自白することもあるだろう。
ただし、2時間サスペンスだと、捏造を自白しようとした末端警察官は、警察上層部にいる真犯人によって、逮捕の直前に殺害される。それでも、最終的には真犯人が解明されるものだ。とはいえ、現実には、検察がすべてを隠蔽しようとする。まったく、ひどいものだ。
手製の狙撃銃でも使わないと、検察の首脳の不正は摘発できないのかもしれない。
[ 付記 ]
再審開始の理由となった赤み実験については、下記に記事がある。
元になったのは、2008年の第2次再審請求にあたって、支援者らが実施した再現実験だった。1年以上みそ漬けになった後に突然「発見」され、袴田さんの犯行着衣とされた5点の衣類の写真の血痕には赤みがあった。しかし、再現実験では赤みは消えた。
みその高い塩分濃度と弱酸性の性質によって血液のヘモグロビンが変化し、数週間で赤みは失われる。さらに、血痕が褐色に変わる「メイラード反応」も起こり、数カ月から1年では黒褐色化がより一層進む――。こうした内容だった。
検察自身が実施した実験も、弁護側の主張を補強する結果となった。
では、赤みが残る衣類は誰が後からみそタンクに入れたのか。「事実上、捜査機関の者による可能性が極めて高いと思われる」。高裁はそう踏み込んだ。
( → (時時刻刻)タンクに服「捏造」指摘 血の赤み1年で変色 再現実験、新証拠と認定 袴田さん再審決定:朝日新聞 )
[ 付記 ]
再審請求に人生を賭ける……というタイプの死刑囚がときどきいるが、こういうのはたいてい、無実であるのが真相だ。なぜなら、それほどにも情熱を持ち続けることができるのは、無実であるがゆえの強い意思力があるからだ。
実際に罪を犯した人ならば、それほどの強い意思力を持ち続けることはできない。「真相が解明されれば自分は無罪になる」という見通しなどはないのだから、再審を訴え続けることなど、できるはずがないのだ。仮に、それほどにも強い意思力があるのなら、死刑になるような馬鹿げた犯罪をやらかはずがない。(自己統制ができるからだ。)
以上の理由で、今回の袴田さんは無実である、と強く推定できる。「人生を賭けて無実を訴える」というのは、膨大なエネルギーが必要なのであり、そのために生き続けるのは、無実の人以外にはありえない。
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