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大学の学長や理事長が独裁者と化して横暴を尽くしている。
福島県立医大の理事長選に、やり直しを求める声があがっている。教職員による投票では対立候補が現職に大差をつけていたのに、その後の会議で現職の再選が決まったからだ。
理事長選考は1月13日にあった。6人でつくる選考会議が、候補者2人のうち、現職の竹之下誠一氏(71)を次期理事長に選んだ。
だが、教職員による意向投票では、対立候補だった医学部教授の紺野慎一氏(65)が、総投票766票(投票率85.7%)のうち492票を獲得し、竹之下氏の268票に大きな差をつけていた。
20年の東京大の総長選考では、選考会議が1次候補10人を2次候補3人に絞り込んだ過程で、多くの教職員から批判が起きた。
1次候補を決める学内の代議員による投票で上位だった候補が外れた一方、工学部系の2人が残った。そのため工学部出身で選考会議の小宮山宏議長(元東大総長)が誘導したとの疑念が生じた。
筑波大でも20年の学長選考の際、選考会議が学長任期の上限を撤廃し、教職員による投票もなくすことを決めたことに、教員らが反発。「選考プロセスの公開性と公平性に疑義がある」などとして、公開質問状を提出した。
( → 結果ありき?理事長選に不信 投票と逆の決定、教職員と執行部の溝深まる 福島県立医大、「無効」の声:朝日新聞 )
福島県立医大、東京大、筑波大のいずれでも、学長または理事長が横暴を尽くしている。これは「独裁化が進んでいる」と見なせる。
どうしてこうなったか? 理由は同じ記事に記されている。学長や理事長の権限を強める制度改革をしたせいだ。
14年には、国立大学法人法と学校教育法が改正され、学長の権限が強化された。
その過程で教授会の力が弱められた。学長選びでは、メンバーの半数を学外の企業経営者らが占める選考会議の意向が重視される仕組みが導入され、教員投票は「意向投票」に格下げされた。
これはどういうことか?
「教授会が学長を選任する」というのは、いわば、「会社の部長や重役が社長を選任する」というようなものだ。いかにも民主的であるが、そういう民主的な制度を「気に食わん」と考えたのが、当時の経団連などの経営者たちだった。彼らは自社では独裁者のように、わがままにふるまっていたので、「部下がトップを決める」という方式が気に入らなかった。そこで、「会社と同じように、選考委員会が社長を決める」という方針を取り込んだ。
ここで、選考委員会の委員が独立していれば、まだしも問題はなかった。ところが実際には、選考委員会の委員は学長や理事長の息がかかった人物が占めるようになった。独裁者の気に入らない委員は追放された。かくて独裁者の地位は安泰となった。(プーチンや習近平と同様だ。)
こうした制度の歪みが端的に表れたのが、日大の独裁者(田中英寿理事長)による不正だ。大学の金を私物化して、多額の金を横領し、最後には脱税で逮捕された。これはまさしく「独裁者の横暴」の結果だった。ところが、これが発覚したあとも、政府は何ら対策を取らず、独裁者がのさばる体制は放置され続けた。
→ エコノミストリポート:“独裁”許した日大事件の教訓、骨抜きの改革で
もちろん、歪みはこれだけではない。その後も次から次へと、独裁体制の弊害が出ている。東京大学や筑波大学の例は有名だったが、このたび新たに福島県立医大の例も露見したわけだ。
そして、そのいずれも、「大学における独裁者」というものを許容するような、政府の制度改革の結果なのである。つまり、「独裁者がのさばる」というのは、何らかの状況が放置された結果ではなくて、「もともとはそうではなかったのに、あえて独裁者が出現するように制度改革した」ことの結果なのである。意図的に招いた結果だと言える。
だから、政府としては、それを悲観してはいない。むしろ、「狙い通りになった。大学の民主主義をつぶしてやった」と大喜びでいるはずだ。
大学で(独裁下が進むように)制度改革がなされたのは、2014年のことだった。安倍政権で推進された。安倍・管という首相が独裁者体質であったことからして、この新制度が(自民党に)大いに歓迎されたことは、当然だろう。岸田首相ならば、民主主義的になると期待した人をいたようだが、いかんせん、最近の岸田首相はどんどん独裁者的になってきている。安倍・管にも匹敵する独裁者気質になっている。
とすれば、大学が独裁者に染まっていくのは、当然の傾向だと言えるだろう。プーチンや習近平がいるのは、ロシアと中国だけではない。日本もまた、同じく独裁者になりつつある岸田首相の下で、少なくとも大学はどんどん独裁化されつつあるのだ。
【 関連項目 】
→ 日本に独裁者はいたか?: Open ブログ

大学法人化により採算が求められることになり研究の幅の低下したことがもっと問題。