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(山口県周防大島町で)2歳児が不明になったのは 12日の午前10時半。13日と14日には捜索隊が 160人体制で捜索したが、見つからず。なのに1人の老人が 15日の早朝に繰り出すと、すぐさま見つけてしまった。( NHK の午後9時のニュースによると 30分で。)
※ テレ朝では 20分で見つけたという。
※ 午後10時の報道ステーションによると、往復で 30分弱。
ではなぜ、こういうことが起こったのか? この老人は超能力の持主なのか?
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いきなり結論を言えば、こうだ。
「2歳児は『ここしかありえない』というところにいた。まともに頭を働かせれば、誰でもそこにいることに気づくところにいた。だから、簡単に見つかった」
では、どうしてそう言えるのか? そのわけを示そう。
(1) 方向
方向について、老人は、「子供は上に上がりたがるものだ」と述べている。また、2年前の不明女児の捜索のときでも、子供はやはり上に上がっていたそうだ。それを教訓として、上方向を捜した、とのことだ。
なるほど。それは立派な理由となる。しかし、そんな特別な勘や経験がなくても、馬鹿でもわかる理由によって、子供は「上方向にいる」とわかるのだ。
それは、次の地図を見ればわかる。

出典:朝日新聞
図の青線を見ればわかるように、2歳児は北に向かっている。そこから先は、北東に行く道しかない。1本道だ。だから、この道を通ったに決まっている。それ以外はありえないのだ。
こうして、2歳児の進んだ道は、ただ一つだけが残るので、これに決まっている。「上に行く」という知識がなくても、2歳児の進んだ方向を見れば、それ以外にはないとわかるのだ。(論理的判断。)
(2) 到着地
では、到着地はどこか? もちろん、この一本道の先の方である。それを調べて画像化した人がいる。転載しよう。

出典:2歳男児行方不明の最新情報更新!発見場所はここ!
ここかと思ったが、そうではないようだ。ここは目視した地点に近すぎる。( 200m ぐらいしか離れていないので、560m 先という条件に当てはまらない。)
本当の場所は、ここよりももっと先らしい。
Google マップ
見ればわかるように、分岐はほとんどなく、ほぼ一本道だ。そして、その途中に、沢がある。この沢にひそんでいたわけだ。
※ 詳しい場所は右記。 → 解説(地図)
(3) 沢にいる
一本道をどんどん進めば、沢にぶつかる。そして、沢にぶつかった時点で、ここにひそんでいると推定できるのだ。なぜか? 生きるためには水が必要だからだ。喉が渇いた子供は、水辺にいるに決まっている。(さもなくば死ぬ。)
このことは、前に北海道で男児が不明になったとき、私が書いた。
上の写真を見ると、……この川のそばにいる可能性がある。
そもそも、人が生きるには、水が必要だ。子供が線路脇を歩いていくと、喉が渇く。喉が渇いたら、水を飲みたくなる。とすれば、川の水を飲むために、川のそばに降りたとしても、不思議ではない。
というか、水なしで生きることはできないのだから、子供が生存しているとしたら、川のそばにいる場合だけだろう。
「川のそばで、雨宿りできる場所」
というのが、候補地となる。
ともあれ、川のそばを捜索するのがいいだろう。
( → 北海道の不明男児はどこに?: Open ブログ )
これと同じ理由で、今回は「沢にいる」と強く推定されるわけだ。つまり、一本道をたどっていって、沢にぶつかったら、「ここにいる」と強く推定できるわけだ。
以上でわかるように、2歳児は「ここにしかいない」という絶対的に必然と言える場所にいたわけだ。とすれば、捜して 20分で見つかったとしても、何の不思議もない。この老人に超特別な能力があったわけではないのだ。あったのは「常識」だけである。
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ここで謎が生じる。
当り前のところにいたのに、どうして 160人の捜索隊は、それを見つけることができなかったのか?
いろいろ情報を見ると、次のことがわかる。
テレビ画面を見ると、警察は山は全く捜索してなかったようだ/警察が思い付かない山の捜索で、20分で発見/過去の幼児不明事件でも、警察は山を殆ど捜索してなかったのでは?それで失われた命も多いのでは?
( → itarumurayamaのコメント / はてなブックマーク )
捜索隊が160人態勢で空き家を1軒1軒回りましたが、発見につながる有力な手掛かりは見つかりませんでした。
( → わずか20分で発見…ボランティア男性の場数踏んだ勘 )
テレビの情報も見たが、上の二点が重要だ。つまり、こうだ。
・ 山側を捜さなかった (平地側ばかりを捜した)
・ 空き家を重点的に捜した (沢を捜さなかった)
これはどういうことかというと、こうだ。
「2歳児が自発的に隠れていると思い込んでいた」
換言すれば、こうだ。
「2歳児が迷子になったとは思いもしなかった」
そのまた前提はこうだ。
「2歳児は遠くに行けるはずがない。険しい山道や獣道を通っていけるはずがない」
実はこれは、2年前の北海道男児の行方不明事件と、まったく同じ原理である。あのときは、同じく一本道の先にいたのだが、途中は山道でとても険しくて、距離も7km もあった。だから人々は「7歳児がそんなところを通れるはずがない」と思って、捜索対象からはずしていた。しかし男児はまさしくその困難な山道を進んでいたのである。
今回も同様だ。700メートル先とはいえ、その道は舗装路だけではなく、途中から険しい山道となる。( NHK の9時のニュースで報道していた。)だから、「2歳児がそんなに険しい道を通れるはずがない」と人々は思った。それで、山側でなく平地側ばかりを捜索していた。
ここには「思考の穴」があったわけだ。小さな子供の能力を見くびっていたせいで、あるべき可能性を見失っていたわけだ。……そういうことが、北海道でも、今回の山口県でも、同じようにして生じたわけだ。
《 補足 》
午後10時の報道ステーションでは、現地の道を体験する動画が示されていた。上の地図の青線のあたりや、その少し先のあたりは、舗装路である。しかし途中から、山道に入って、舗装されていない幅1メートルぐらいの(整地された)道となる。そこをさらに進むと、もはや道とは言えないような状態となる。(人間の手が入っていない状態。獣道ふう。)
そのすべては、ほぼ一本道の状態なのである。子供は最初は舗装路を歩いているはずだったのだが、他に分岐する道もないまま、真っ直ぐに進んでいくと、いつのまにか、舗装路が獣道になってしまった。その先にはもはや進めなくなったようなところが、沢だった。その沢で、大きな石に腰掛けて、水を飲んだりして、三日間を生き延びた。
( ※ 報道ステーションによると、現場は目視した地点から 560メートル先で、歩いて 13分。2年前の女児の行方不明(出典)では、女児が2km 先で見つかった。子供というものは予想以上にたくさん歩ける。)
[ 付記 ]
北海道事件で、人々は教訓を得たはずなのに、その教訓を生かせなかったわけだ。
2年前に記したことをここに転載しよう。
今回の件から、何を教訓とするか?
少年は、本来いるべきはずのところにいた。不明になった直後ならば、まだ道路上を歩いていたはずなので、道路を捜せば簡単に見つかったはずだ。翌日ならば、水のある建物と言えば、限られた範囲しかない。(……)
いずれにしても「ここ以外にはありえない」という絶対的に決定的な場所にいた。なのに、その絶対的に決定的な場所を、あえて捜索対象から除外した。
なぜ? 思考の盲点か?
違う。「少年はそんなに歩けるはずがない」という思い込みのせいだ。(……)宿舎なら、7km ぐらい。それだけの道筋だ。少年だって、そのくらいなら、歩くことは容易だ。なのに、勝手に「歩けない」と思い込んで、捜索対象からはずした。
思考の盲点だったのではない。その場所は、すぐに思い浮かんだはずだ。思い浮かんだのに、除外した。「少年はそんなに歩けるはずがない」という思い込みのせいで。つまり、安易な先入観のせいで。
こういう思い込みや先入観が、本来ならば「ここしかありえない」という場所を、捜索対象からはずした。
その一方で、(……)およそありえそうにない場所を捜そうとした。まるで遺棄された死体を捜そうとするように。
私は、「少年は生存している」という前提で、範囲を求めようとした。生存していることを前提としない限り、話は進まないからだ。だから、「水のそば」を条件とした。(……)
しかるに、捜索隊は、まるで死体でも捜すような探し方ばかりをしていた。「生きているのならば道路を歩いていたはずだ」という大前提をすら採用しなかった。
いろいろと考えてみると、今回、警察や自衛隊は、まったく大失態をしたと言える。
今回、少年の命が助かったのは、あくまで偶然による。
「今回は発見されたから良かった。終わりよければすべて良し」
なんてふうには評価できないのだ。警察と自衛隊の大失態は、とうてい看過できるレベルではない。大いに反省するべきだ。
( → 不明男児 発見 の教訓: Open ブログ )
前回の事件では、偶然によって見つかった。今回の事件では、1人の老人ボランティアによって見つかった。そのいずれも、警察が自力で見つけたのではない。
特に今回、現地では今日は台風の豪雨なので、発見が1日遅れていたら、低体温症で死んでいたかもしれない。ギリギリで助かったことになる。
この点では、(それまでは雨でなかったという)偶然の幸運にも助けられたことになる。お天気任せで、たまたま助かったわけだ。
【 関連サイト 】
今回の発見場所を、事前に「透視」で見通していた人がいた。
ですから、先ほど話したトモキチさんに託そうかと。トモキチさんが本当の関係者なら、明日捜索すると仰っているので伝えてくれるはずです。どなたかが送ってくれた地図を添付します。枠をはみ出していますが、楕円のまる辺りを探して頂きたいです。 pic.twitter.com/SQhzRU71Kj
— zuttoegg (@zuttoegg) 2018年8月14日
詳しくは下記。
→ 発見場所ほぼ的中…!行方不明2歳児を透視していた人のTwitterが凄い件
[ 余談 ]
見通していた人もいるのに、どうして Openブログは指摘しなかったんだ! ……と文句を言う人もいるかもしれない。
実は、私はこの事件を今朝まで知らなかった。念のために朝日新聞の東京版を見てみたが、今夜まではまったく報道されていなかった。西日本のローカル記事となっていたようだ。
【 関連動画 】
【 追記 】
発見場所は、すでに警察が捜索済みの場所だったという。
理稀ちゃんが見つかった場所は、これまで、警察などがすでに捜索していた場所で、この3日間、山の中などを移動をしていたとみられている。
( → FNN.jpプライムオンライン )
「一度捜した場所だから、そこにはもういない」と思い込んだわけだ。たぶん、死体でも捜すつもりだったんだろう。

タイムスタンプは 下記 ↓
前提がおかしかったわけだ
下向いて(死体を捜すような感覚で)捜していたから見つからなかったんじゃないの?
もしかして、警察官やその他大人たちは、すでに死んでる前提で捜索を進めていたのではないでしょうか?
最初に示した場所よりも、かなり先です。
1万分の1地形図を50%に縮めた図なので、グーグルマップに載っていない道も載っている。
↓ ↓
https://blog-imgs-122-origin.fc2.com/k/i/t/kitsunekonkon/up-oshima180815a.png
沢に沿った道は、入り口がなだらかなので、子どもでも登りやすい。しかし、稜線近くで急登になるので、子どもはそこで動けなくなる。発見者は、登山経験者なので、その常識に従って探したんでしょう。
→ http://kitsunekonkon.blog38.fc2.com/blog-entry-9830.html
大切なのは、「地図を塗りつぶすこと」じゃなくて、「路上を何度も捜すこと」です。道や沢だけを捜す。あとはせいぜい空き家ぐらい。それ以外を捜す必要はない。死体を捜しているんじゃないんだから。