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まるで三題噺みたいだが、実は物事の本質を突く。
まず、話の発端は、サリン事件を起こしたオウム関係者に死刑が執行されたことだ。
→ カルト集団「オウム真理教」元代表や元幹部らに死刑執行 - BBCニュース
これに対して、死刑反対の欧州諸国が批判した。
《 日本で死刑が執行されたことを受けた、現地共同声明 - 欧州対外行動庁 》
駐日欧州連合(EU)代表部およびEU加盟国の駐日大使ならびにアイスランド、ノルウェー、スイスの駐日大使は、以下の声明を発表した。
「7月6日、7人の死刑が、日本の当局により執行された。
……
しかしながら、本件の重大性にかかわらず、EUとその加盟国、アイスランド、ノルウェーおよびスイスは、いかなる状況下での極刑の使用にも強くまた明白に反対し、その全世界での廃止を目指している。死刑は残忍で冷酷であり、犯罪抑止効果がない。さらに、どの司法制度でも避けられない、過誤は、極刑の場合は不可逆である。」
( → 翻訳サイト )
このような理由で日本の対応を批判した。
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これに対して、はてなブックマークでは、反発する意見がほとんどだ。「内政干渉するな」というような趣旨が多い。
→ はてなブックマーク
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それとは別に、私は事実誤認を指摘しておこう。
「犯罪抑止効果がない」
と上記引用文に記してあるが、そんなことはない。殺人の発生律を見ると、日本は、英国やドイツの3分の1である。
→ 仮に日本の強姦被害の申告数が実際の1%だったとしてもイギリスの約1/5なんだよなぁ
上から二番目のツイートに、図表がある。殺人発生率は
フランス 1.2
イギリス 0.9
ドイツ 0.9
日本 0.3
というふうになる。犯罪発生率が、実際にこれほどにも差が付くのだ。
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ではなぜ、これほどにも差が付くのか? 「死刑」という制度があるので、殺人犯は、死刑を受けるのが怖くなって、殺人をためらうのか?
なるほど、そうかもしれない。だが、それだけではあるまい。もっと別のことがあるはずだ。
それは、「倫理観」だ。
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ここで、サッカーに話が飛ぶ。W杯のときに、日本のファンがスタジアムを掃除する、ということで、大いに話題になって、称賛された。
のみならず、ロシアの選手の控え室がきれいになっていたことも、世界的に話題になって、称賛された。
→ ロシアの国営放送が日本代表のロッカールームを紹介!ベルギーに敗戦も掃除されてロシア語で”ありがとう”のメモも!
実際には、これは選手が掃除したのではなく、スタッフが掃除をしたのだが、選手もまた協力した。
これはベルギー戦に限ったことではない。代表スタッフの一人が「いつもやっていることですから」と明かす。主将のMF長谷部も帰国後、「スタッフの方々が毎試合、全てきれいに片付けて帰ってくれた」と感謝の言葉を口にした。
選手が帰りのバスに乗り込んだ後、用具担当とトレーナーらが掃除を開始する。掃除はそんなに大変ではない。日本の選手たちは、ゴミが出ればきちんとゴミ箱に捨てるからだ。
当たり前のように聞こえるが、日本に親善試合で訪れた対戦国のロッカールームは、バナナの皮などの食べかす、吐いたツバ、使い終わったテーピングなどが散らかり放題だったりするそうだ。ただ、そこには文化の違いもある。
( → 日本代表のロッカールーム、試合後いつもきれいなワケ - 2018ワールドカップ:朝日新聞 )
そこには文化の違いもある。それは何か? 記事では、「自分たちが片付けてしまえば、清掃員の仕事を奪ってしまうかもしれないという意識が働く」というが、それだけではない。もっと大事なことがある。
それは「倫理観」だ。日本人があちこちをきれいに掃除をするのは、「清掃員の仕事を奪うため」ではない。また、他国の人々が掃除をしないのは、「清掃員の仕事を奪わないため」ではない。(そんなのは、後付けの、こじつけだろう。盗人にも三分の理、みたいなものだ。あるいは、屁理屈小僧の負け惜しみ。)
日本人は、ごみを散らかさないし、トイレも無料できれいだ。
→ Google 検索
では、こういうことがあるのは、なぜか? それは、「公徳心の高さ」ということで説明できる。「倫理観の高さ」と言ってもいい。
そして、それがあるからこそ、
・ 泥棒をしない
・ 公共物を壊さない
・ 公共物を汚さない
というようなことがすべていっぺんに生じるのだ。
ここでは、泥棒とか、ごみのポイ捨てとか、そういうことに個別の発生理由 or 抑制理由があるのではない。「公徳心」「倫理観」というものが、いっぺんに一緒くたになって働いているのだ。それは「悪いことはしない」という意味でもある。
そして、殺人の有無もまた、そのうちの一つであるにすぎない。
日本では殺人の発生率が低いが、それはなぜか? 殺人だけに限って発生率が低くなる理由があるのではない。泥棒や空き巣も含めて、あらゆる犯罪に対して発生率が低くなるのだ。実際、データもある。
→ 仮に日本の強姦被害の申告数が実際の1%だったとしてもイギリスの約1/5なんだよなぁ
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そして、こういう公徳心や倫理観の強さが「殺人犯を絶対に許してはいけない」という結論に結びつく。
つまり、日本人が死刑を是認するのは、「殺人を許さない」という思いと表裏一体であり、それはまた、「倫理観の高さ」と表裏一体なのだ。
この「倫理観の高さ」が、死刑を是認し、同時に、ごみのポイ捨てをも否定するのだ。
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ちなみに、このことは、裏付けみたいな情報がある。世界でも屈指の犯罪率の低さを誇るシンガポールでは、死刑制度が存続し、かつ、ごみのポイ捨てには厳罰が下るのだ。
→ シンガポールにおける死刑 - Wikipedia
→ 世界の殺人発生率 (シンガポールの発生率は日本以下)
→ タバコをポイ捨てして『185万円の罰金』 シンガポール
[ 付記 ]
オウムは、単にサリンで 27人を殺しただけではなく、もっと大規模な大量殺害で、人類を核戦争に導こうとしていた。
→ オウム真理教の国家転覆計画 - Wikipedia
このようなことをしても「死刑を免れる」というのであれば、「ヒトラーをつかまえても死刑から免除せよ。死刑には誤審の恐れがあるから」というような主張をすればいい。
つまり、欧州では鬼門に当たる「ナチス擁護」みたいなことを主張すればいいのだ。
そのとき、欧州人は、言葉に詰まってしまうだろう。
【 追記 】
あとで思いついたことがある。
「欧州諸国で死刑廃止になるのは、『神の下で悔い改めれば、許される』という、キリスト教の原理ゆえではないか?」
そういうことだ。つまり、キリスト教の宗教的な原理が、欧州諸国を覆っているので、死刑廃止になびいているのではないか、ということだ。
これについてググったところ、一応、肯定的な結論が得られそうだ。
→ Google 検索
また、キリスト教の「十字軍」とか、イスラムの「聖戦」(ジハード)とかは、宗教目的の殺人自体が善となっている。
欧州や中東では、「殺人は絶対的な悪」という認識はないのだろう。「殺人をしても許される」というふうに思いたがるのだろう。そして、「悔い改めたものを厳しく処罰するべきではない」と思うのだろう。
殺人犯が被害者を殺害するのは、神の御心のゆえなのであるから、許容できる。しかし、われわれが殺人犯を処罰して死刑にするのは、神の御心ゆえではないから、受け入れがたい。……そういう宗教的な原理が底にあるのだろう。
そして、欧州人にとって日本人のような人々は、神の偉大さを理解できない野蛮人(異教徒)と見なされるのだろう。
一方で、ゴミのポイ捨ては、神が特に禁じてはいないので、いくらでもやり放題なのだろう。
彼らにとって大切なのは宗教的な倫理観であって、人間的な倫理観ではないのだ。……これはもはや「文化の差」とすら言える。

「仮に日本の強姦被害の申告数が実際の1%だったとしてもイギリスの約1/5なんだよなぁ」
https://togetter.com/li/1242566
こちらにある2番目の図表をよく見ると日本においては10万人あたりの殺人数より強姦が少ないというちょっとありえない数字になってませんか?
強姦 0.1
殺人 0.3 (10万人あたり)
http://www.geocities.jp/logical_history/sexcrime/sexcrime5.html
こちらによると日本の10万人あたりの認知件数は平均して1.2とあり、
日本の暗数はアメリカより低く、イギリスに近い。
日本の強姦要件は狭く、内閣府の調査では強姦既遂/未遂の区別をしておらず(※)、未遂分が集計に反映されて
いるかも不明。
故に同様の条件、調査であれば暗数はより多く、アメリカに近いのではないかと思われる。
とあります。
また、「イギリスは2003年に法改正が行われ、強姦要件が拡大され、被害者の立場に立った事故処理がなされるようになった。 」とあるので、単純な数字の比較だけをすることは無理があると思われます。
まぁ日本人の社会性、倫理観、遵法意識が高いのはいいのですが、ともすれば知人を訴えるのは気がひけるというような、社会性が強すぎるがゆえに人間関係や組織に反抗できず、村や共同体の中の犯罪行為を見逃し加担するという性質にも繋がります。
倫理観の高さは同調性の強さとも言えますし、遵法意識の高さは同時に組織を守るために団結して様々な隠蔽工作を行うことでもあります。
人間性の良し悪しは表裏一体で、それによって民族や人種の優劣をつけるのは大して意味のあることではないのだろうと思います。
話がそれましたね。死刑制度に関してはそもそも「抑止効果の有無」は証明しようがないので、欧州の言い草は的外れですね。そもそも法は国によって違っていいと思っているのでなぜそこまで「死刑制度の廃止」に拘るのかよくわかりません。
民族や文化によって考え方が変わり、引いては倫理観や道徳律が違うのでどうしても法は民族によって変わってきます。
余談ですが、日本人のある側面では優秀性である同調性を、個人主義が旺盛な外国人が学んでしまったら、鬼に金棒なんじゃないかとか空想してしまったりもします。まぁ水と油で交わることはないのかもしれませんが。
割れた窓をそのままにしておくと、街全体の風紀が乱れて、殺人なども増えてしまう
逆に窓を直しさえすれば殺人も減る
タイムスタンプは 下記 ↓
W杯のフランス、イングランド、黒人何人いるの?
帰化すれば何でもいいのか?
移民の数と犯罪率も影響するところ
ただ、
混血率を2000年前まで遡るならば、
日本文化の半分くらいは実は京都文化で、
八坂や伊勢などの神社文化が似非神道として浸透、
しかもその実の社(ヤシロ)文化は、
移民の流浪民のユダヤ文化である歴史は否定はできず、
プライド高き世界に散った故ユダヤ教の考え、
かもしれないとも最近考え始めています。
サムライは血を汚されること、血の純潔を貫く姿勢、神輿文化、
ヘブライ語に繋がる伊勢や京都の祭の掛け声、
島国で純粋に純血文化を貫く考えが保存された
国、とは何か?毛色か?
世界政府になったら何か問題が起きるのか?
向う10年くらいで議論されることになるでしょう
ルーツが何であれ、優秀な国や民族に分かれている必要があるのか??
優秀の定義は?働き者は偉いのか?バカなだけなのか??
ここの頁はこういう問いも真摯に考えてくれそうですね
日本の打首は呪術でも利権者の横暴でもなく,純粋に報いと償いで行われたはずです。
京都文化という言葉、初めて聞きました。
少なくとも学会でそのような言葉は聞いたことが無いです。
京都で興った文化は、そもそも地方経由(集合体)が多いので、京都中心とは言えません。(当然、総体的に見て)
反論が日本のnetで上がっている