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所得格差が教育格差に直結するのを容認する人々が増えた……という報道があった。
《 教育格差「当然」「やむをえない」6割超 保護者に調査 》
全国の公立小中学校の保護者7400人に聞いたところ、教育格差について「当然だ」「やむをえない」と答えた人は62.3%となり、4回の調査で初めて6割を超えた。
調査では「所得の多い家庭の子どものほうが、よりよい教育を受けられる傾向」について「当然だ」「やむをえない」「問題だ」の3択で尋ねた。
「当然だ」と答えた人は9.7%。また、「やむをえない」は52.6%で、初めて半数を超えた前回の52.8%とほぼ同じ。格差を容認する保護者は計62.3%となった。
( → 朝日新聞 2018-04-05 )
格差を容認する人が増えた……という報道を見て、「ふうん。なるほど」と思う人が大半だろう。しかし記事では、これを批判的に報道している。
また、これを読んだ人の、ネットの感想は、下記にあるが、ここでも、批判的な意見が多い。「格差を容認するのはけしからん」というふうに。
→ はてなブックマーク
しかし、ここには大いなる勘違いがある。それを指摘しよう。
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そもそも、世の中には、貧富の格差がある。格差がないのは理想状況だろうが、現実には貧富の格差がある。この現実を直視しよう。
ここで、「貧富の格差があるのはけしからん」なんて唱えるのは、共産主義の人だけだろう。
次に、お金を使えば、良質な教育サービスが受けられるのは、資本主義社会では当然のことだ。逆に、お金を払っても良質な教育サービスが受けられないとしたら、それは、次のいずれかだ。
・ 良質な教育サービスがもともと存在しない 途上国
・ 良質な教育サービスを禁止する 共産主義国
・ 金を取って粗悪品をつかませる 詐欺師
つまり、金持ちが良質な教育サービスを受けられないようにする(= 教育に貧富の格差をなくす)というのは、「途上国/共産主義国」であるか、「詐欺師」を推奨するか、どちらかだ。
結局、貧富の格差のある現状では、「教育に貧富の格差をなくす」というのは、「途上国/共産主義国」「詐欺師」を推奨するということであり、狂気の沙汰だ。
朝日新聞や、はてなブックマーク・コメントの主張しているのは、そういう狂気の沙汰なのだ。
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では、どこがおかしいのか? 「教育の格差は好ましくない」という理想主義が間違っているのか? いや、そうではない。
核心を言おう。ここでは人々は、認識の方法を間違えている。つまり、次の二つを混同している。
・ 教育に貧富の格差がない
・ 教育に貧富の格差が少ない
ここでは「ない」と「少ない」との違いがある。
人々の理想は「教育に貧富の格差が少ない」ということだ。これはまさしく、その通りだろう。そして、そのことは、
「貧困者にも十分な教育を与えるように、教育の水準を底上げする」
ということで実現する。まさしく、その方向を目指すべきだ。
一方、「教育に貧富の格差がない」ということは、実現不可能なことである。どうしても実現したければ、次のいずれかしかない。
・ 貧困者にも最高の教育を与えるように、国家の予算を莫大に投入する。(消費税を 50%ぐらいまでアップさせる。)
・ 金持ちの教育水準を、貧困者にそろえる。国全体の教育水準を、最低レベルにそろえる。
格差をなくすとしたら、そのいずれかだ。そして、前者(消費税 50% )は不可能だから、後者しか残されていない。それがつまり、「途上国/共産主義国」「詐欺師」を推奨するということだ。つまり、狂気の沙汰だ。
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「格差が少ない」と「格差がない」というのは、まったく別のことだ。なのに、ここを勘違いする人が多すぎる。記事もそうだし、人々もそうだ。
そのせいで、「教育の格差は少ない方が望ましいか」と質問するべきところを、「教育の格差はなくすべきか」と質問してしまう。できもしないことを質問してしまう。
そうすると、たいていの読者は賢明だから、「できもしないことを望んでも仕方ない。現実はあるがままに認めるしかない」と思って、「容認する」と答える。
ところが、アホな記者やネット民は、「現実を認める」という意見を聞いて、それを「理想を否定する」というふうに誤解する。とんでもない誤解だ。
呆れるばかり。
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まとめ。
・ 教育に貧富の格差が「ない」のと「少ない」のとは違う。
・ 「ある」のが現実であり、「少ない」のは理想だ。
・ 現実を現実として容認するのは、たいていの人々だ。
・ 理想が実現しないからと批判するのは、一部の人だ。
・ 批判に従えば、全部を最低レベルにそろえるしかない。
・ それは「途上国/共産主義国」を推奨するということだ。
(あるいは、「詐欺師」を推奨するということだ。)
朝日の記事を読むと、人々は誤読・誤解によって、いかに馬鹿げた説を支持するかがわかる。
[ 付記 ]
似たことは、「教育」でなく「所得」についても当てはまる。
所得に「格差が少ない」のは理想だが、現実には「格差がある」というふうになる。ここで、「格差がない」というふうに強引に推進するには、次の二つしかない。
・ 貧困層を金持ちにする
・ 金持ちを貧困層にする
前者は、打ち出の小槌か、アラジンの魔法のランプでも使うしかない。つまり、荒唐無稽。
後者は、可能だ。その例が、「全員が貧しくなる共産主義国家」だ。かつての中国や北朝鮮がそうだった。
こんなことも理解できないで、「所得の格差を容認しない」なんて言い出したら、日本は共産主義化してしまう。
狂気の沙汰だ。
しかも、人々は、そのことに気づいていない。自分が正しいことを言っていると思い込んでいる。その実例は、朝日の記事や、はてなブックマークにある。(上記のリンク。)

記事を読む限り朝日新聞は特に主張を述べているわけではないので、管理人の批判は妥当しないように思うけれども、問題は、「貧富の格差にかかわらず一定レベルの教育を受けられるようにすべきかどうか」であり、そしてその場合「どのレベルの教育を保障すべきか」であるように思う。
さらにこれは教育を受ける個々人の問題ではなく、教育の「社会的収益率」の問題ととらえるべきであり、そういう意味で朝日の記事はツッコミが足りない。
ただおそらく朝日は今後そういった記事を続けていくのだろうと、予想してみる。
リンクした無料記事ではそうですけど、紙の新聞ではその記事の続きに専門家の意見が紹介されています。そこでは「社会の分断、許してよいのか」というタイトルの批判的意見が大きく紹介されています。これが結論部。
あと、そもそも調査自体が、「許してはならぬ」という前提での質問です。身長や、美醜では、人々の格差があっても問題視しないし、また、人々が自分の金で何を買っても文句を言わない。なのに、所得と教育に限って、「高所得者が教育サービスを購入するのは許しがたい」という趣旨で、メチャクチャな質問をする。そのことを本項では扱っています。
勉強になります
どういう気持ちで記事を書いているのだろうか?
中卒フリーの職人さんで企業の部長クラスくらいの所得の人はいるし、文系院卒で職がないという人もいる。
実際仲良くなって、直接聞いた話。
記者の人達は自分が辿ってきた大卒高学歴という人達のテンプレしか知らず、いかにも低学歴で貧乏という人しか取材してないんじゃないかな。
今はネットもあり価値観の多様化も進んでるから、これまでより多様な働き方がある時代。
再販制度と押し紙に支えられて、時代ボケしてるんじゃないですかね。
趣旨とずれていたら、失礼。
・ もっともっと金を欲しがる強欲なエゴイスト。
・ 自分は満ち足りているので社会貢献したがる人。
前者のタイプは、自分で事業を興すか、保守系の政治家になります。
後者のタイプは、ジャーナリストのうちで最も高給取りの朝日新聞社員になります。
なお、金がないのに社会貢献したがる人は、官僚になります。