朝日新聞に記事がある。栃木県塩谷町でバスが突然廃止されて困った。沖縄・久米島では自動運転車(ロボット・カー)を走らせよう、という試みがあるそうだ。
栃木県塩谷町では前触れもなく路線バスが廃業する騒ぎがあった。
もともと赤字路線で、経営者の遺族はかねて主力のタクシー事業に専念したいと考えていた。バス廃業の届け出を済ませると、すぐさま運休に踏み切った。
塩谷町は両隣の日光市、矢板市と県をまじえて緊急協議。町内の貸し切りバス会社に委託し、バス路線を復活させた。運賃収入でまかなえない年2千万円は地元3市町と県が公費負担する。
塩谷町と同じような騒動はいま、どこの自治体で起きてもおかしくない。鉄道が廃止され、路線バスも撤退した地方は、例外なく「公共の足」の確保に苦しんでいるからだ。
はやりのコミュニティーバスは、都会はともかく地方では赤字を背負い込む。予約制のデマンドバスは既存のタクシーと競合しがち。住民がワゴン車を走らせる非営利団体NPO方式は一部住民の情熱に頼りすぎてしまう。
地域の足を守る妙案はないか。バスに代わりうる乗り物は何か。あれこれ思案しながら沖縄・久米島へ飛んだ。
久米島町が力を入れるのは自走車である。衛星と車を結び、位置情報を使って走らせるという壮大な構想だ。
「運転手は不要、乗るのは客だけ。車はデンソーが、通信分野はNECが開発中です」と大田治雄町長(60)は話す。久米島は10年ほど前から「全島WiFi(ワイファイ)化」を掲げ、光ファイバーを張りめぐらせてきた。このインフラをいかし、自走車の実験場を企業に提供している。「私も乗ってみたが、交差点も車庫入れも実に滑らか。交通弱者の問題は解消します」
久米島町がめざすのは、自家用無人車の開発ではない。日々同じルートで人々を病院や高校、空港などへ運ぶ。つまり公共交通モデルの構築である。
( → 朝日新聞 2015-05-24 )
自走車を、(タクシーのかわりでなく)路線バスのかわりに使う、というアイデアだ。一見、うまいアイデアに思える。では本当にバラ色か?
よく考えればわかるが、自動運転車によって節約できるコストは、人件費だけだ。では、人件費は? 地方であることを勘案しても、1名につき年間 300万円ぐらいはかかりそうだ。このくらいの額が節約できるだけだ。
さて。「年間 300万円×運転者数」という金額が節約できたとしよう。一方、もともとの赤字額は年2千万円である。(上記)
この額はあまりにも大きい。「年間 300万円×運転者数」という金額で人件費を節約したとしても、とうていまかなえない。
要するに、路線バスの赤字の理由は、運転手の人件費ではなくて、路線バスそのものの維持コストだ。車両の償却費とか、燃料代とか、整備費とか、車両基地の維持費とか。……こういうものは、運転手をなくして自動運転にしても、まったく解決できない。運転手1名にかかる人件費 300万円を削減しても、赤字の 2000万円が 1700万円に減るだけだ。
一方で、自動運転にかかる機械的なコストがかかる。(自動運転の)乗用車ならば大量生産も可能だろうが、中型バスやマイクロバスの需要は少ないだろうから、こういうのを自動運転にすると、かなりの初期投資が必要だと思える。(少なくともタダではない。)……この分を考えると、2000万円が 1700万円に減るというより、1800万円〜1900万円に減るぐらいだと思える。
なお、自動運転車に電気自動車を使えば、減るどころが増えてしまうかもしれない。たとえば、2000万円から 2200万円に赤字が増える、というふうな。
結局、自動運転車にすれば、赤字削減の効果はあるのだが、それはあくまでほんの一部だけという限定的なものであるにすぎない。やってもやらなくても、ほとんど変わらないのである。
──
では、この問題を解決するには、どうすればいいか?
まず、現場を見よう。塩谷町というのは、こういう過疎地だ。
大きな地図で見る
ストリートビューで見るとわかるが、商店もろくにない。ネットで調べるとわかるが、小規模商店は多いが、スーパーなどはない。
コンビニ以外にスーパーが近くにないので、どうしてもコンビニで買い物が多くなってしまい割高だなと思ってしまいます。
( → 栃木県塩谷町の「お買い物・飲食」の評判・口コミ )
塩谷町の東に、矢板市の中心街があり、ここではスーパーもいくつかある。まともな買物をしたいときには、ここに行くことになるようだ。
塩谷町から矢板市までは路線バスが通っている。( → 塩谷町広報 )距離は、Google マップによると、9.4キロ、自動車で 15分。
矢板駅の西側 500メートルから先は、田んぼだらけとなっている。とすれば、地価は安い。こういうところに住めば、日常生活は何も困らないはずだ。だから本来は、こういうところに住むべきなのだろう。特に、お年寄りは。
しかるに、塩谷町のようなところに住むのは、そこに家があるからだが、なぜ家があるかといえば、そこに田んぼがあるからだ。で、昔は、田んぼで米を作ってそれで生活していたが、今では狭い田んぼで得られる収入などはたかが知れているし、昔のような貧しい生活に耐えられるわけでもなさそうだ。となると、塩谷町の僻地で田んぼに囲まれて暮らすことには、何の意味もないことになる。特に、お年寄りは。
それでも、そこに自分の家があるからという理由で、いつまでもそこに住み続けるわけだ。本来はそこにいるべきではないのだが。
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ここまで見ると、私としては、次のように提案したい。
・ 高齢者は、矢板市の西 500メートルの付近に移住する方がいい。
・ そこの田んぼを住宅地に転用するべきだ。
・ 移住したくなければ、現地(塩谷町の僻地)に留まっていてもいい。
・ そのために、路線バスは維持するべきだ。
・ 路線バスの赤字を減らすには、路線バスの料金を値上げすればいい。
ここでは、最後の「バスの料金値上げ」というのが、最終的な回答案となる。
現状では、バスの料金が低すぎるから、大幅赤字となる。かわりに、バスの料金を上げればいい。たとえば、1回1000円。このくらいの料金を取れば、赤字ではなくなるから、立派に維持できるはずだ。
だから、僻地にいて、どうしても路線バスが必要だという人は、高い料金を払って、僻地に留まればいいのだ。ただし、そのためのコストは自分で払う。(他人にツケ回しをしない。)
「そんなのイヤだ。1回 1000円で、往復 2000円も毎日払うわけには行かない!」
と思うのであれば、矢板市の西側 500メートルに移住すればいい。そうすれば、駅まで徒歩圏だし、周囲にはスーパーも病院もあるから、何も困らない。
現状では、僻地に住んで、交通費に高コストをかけながら、その高コストを自治体にツケ回ししている。こういう構造的な問題があるから駄目なのだ。
そして、この問題を自動運転車で解決しよう、という提案もあるが、それはもともと絵に描いた餅なのである。自動運転車を使おうが使うまいが、自動車そのものが多大にコストがかかるので、自動運転車はちっとも解決にならないのだ。解決をするには、自動車を使わない策(徒歩または自転車)を使うしかないのだ。
朝日の記事の最後にはこうある。
そもそも私たちの社会は、いびつなまでに車に依存している。各地で鉄道が消え、バスが衰えたのに、公共交通のその先がなお描けない。気がつけば、運転免許を持つ者にしか「移動の自由」がない変な国になっていた。
中高生と高齢者が安心して外出できる方策を早く用意しないと、地方は足から絶えてしまう。「人は足腰から老いる」と言うが、町や村も同じだろう。足から弱ってやがて死に向かう。
こういうふうに思うのであれば、その解決策もわかるはずだ。それは、自動運転車を使うことではなくて、過疎地を捨てることだ。つまり、過疎地から中心街に移住することだ。……これは、「コンパクトシティ」の発想でもある。
過疎地においても、自動車があれば、ちゃんと暮らしていける。しかし子供や高齢者は、自動車がない。そこで「公共交通を整備しよう」という発想が出るのだろうが、もともと需要が少ないところにバスなんかを走らせれば、大幅赤字が出る。そういう問題がある。
だとすれば、この問題は、自治体ではなくて過疎地に住む人々自身が解決するべきことなのだ。
・ 自分で自動車を運転する。(子供や高齢者は家族が運ぶ)
・ 自動車を運転できなければ、中心街に移住する。
・ 僻地に留まりたければ、とても高いバス代を払う。
この三つから、好きなものを選択してもらえばいい。あとは個人の選択に任せればいいのだ。
現状では、個人のわがままを満たすために、自治体が高額の赤字を負担している。ここに問題がある。
個人の勝手な望みを満たすために、多額の費用がかかるのであれば、それはあくまで個人が払うべきなのであって、自治体が負担するべきではないのだ。そこを理解しないで「可哀想だから」というような理屈を取るから、解決策が見つからなくなる。
基本的には、「僻地で狭い田んぼを耕して生活する」という昔ながらの生活モデルが現在では成立しなくなった、という点がある。とすれば、今はもう僻地で暮らし続けようとするべきではないのだ。なのに、昔のモデルにいつまでもしがみつくから、おかしな問題が生じて、大幅赤字が出る。
昔のモデルは捨てて、これからはコンパクトシティの発想に進むべきなのだ。
[ 付記1 ]
塩谷町に即して言えば、次のようになる。
高齢者の場合は、上記のように、三つのうちから選択すればいい。健康な高齢者ならば、現在地に留まって、ときどき町に買物に行くだけでいいだろう。これなら1回 1000円の運賃も払えるはずだ。一部を自治体補助でまかなってもらってもいい。一方、病弱な高齢者ならば、病院通いも買物も、現在地では大変だろうから、中心街へ移住してもらった方がいい。それがイヤなら、毎日多額の交通費を払うしかない。
中学生の場合は、もともと地元に中学があるから問題ない。
高校生の場合は、矢板駅まで約 10キロあるから、ここを自力で通学すればいい。男子ならば自転車で。女子ならば電動自転車で。それぞれ足りる。バスは必要ない。どうしてもバスが必要だと思うのなら、1回 1000円ぐらい払えばいい。(一部は学割や補助金。) あるいは、矢板駅のそばで下宿する、という手もある。だが、それだと、かえってコストがかかりすぎるだろう。10キロの自転車通学ぐらい、高校生ならできるはずなので、そうすればいいのだ。(年を食った私だって、ときたま 10キロのサイクリングをする。それも、坂道込みで。若い高校生がサイクリング 10キロを、できないわけがない。……ま、坂道がいくらかあることも考慮しても、電動自転車を使えば解決するはずだ。)
→ Amazon 電動自転車
ただ、バス代を払ったとしても、1日 1000円が月 20日でも、月 2万円で済む。この程度で済むのだから、このくらいを払ってもいいだろう。やはり「運賃値上げ」という負担増加の形が、現実解としては最適だろう。しょせん大した額ではないのだから。
[ 付記2 ]
記事では、コミュニティーバス、デマンドバス、NPO方式という三つを掲げて、それぞれ難点を示している。だが、それは「運賃値上げを許容する」という形で解決が付く。
もともと高コスト体質のところで、何とかして値下げしようとするから、無理が出るのだ。高コストならば高コストのまま、高コストを受け入れてもらえばいい。特別にぜいたくなサービスを望むのであれば、それなりの負担をしてもらえばいいのだ。
比喩的に言えば、「上高地の山の上に住みたいから、交通確保のためにロープウェーを整備してくれ」なんていう要求をする人がいたら、「自腹でやれ」と一蹴すればいいのだ。ここで「可哀想だから公費でまかなってあげましょう」なんていうのは、とんでもない見当違いだ。むしろ、「そんな不便なところに住まずに、町に住め」と言えばいい。それが正しい回答だ。
[ 付記3 ]
だいたい、僻地というのは家賃がタダみたいに安いのだから、その分、交通費がかかるのは仕方がないのだ。都会の住民は、交通費があまりかからないとしても、その分、高い家賃を払っている。なのに僻地の住民は、家賃が安いメリットを享受しながら、交通費がかかるのを公的補助に頼りたがる。これはフェアではないだろう。
塩谷町の住民だって、交通費を2万円払うのがいやなら、矢板市に転居すればいい。そこでは家賃が 2.5万円ぐらいで住める。
→ 矢板市の家賃の物件
独居老人であれば、こういうところに住めばいいのだ。それなら交通の問題は生じない。余計な交通費もかからない。
ただ、月に 2.5万円も払うのであれば、川崎市にも住める。
→ 川崎市の家賃の物件
駅からは遠いが、バスの便もあるし、近くにスーパーもある。こういうところに住めるのだから、こういうところに住めばいい。
わざわざ僻地に住んで、それにかかる交通費を自治体に負担してもらいたいなんて、根本的に狂っている、と言える。この問題は、自動運転車を導入しても解決しない。解決策は、転居と徒歩だ。そうすれば、交通費にかかるコストはゼロで済む。
( ※ 場合によっては自転車を使ってもいい。)

荒地とは言わないが人のすまない林野に戻るだけでしょう。
やはり、利害得失よりは、善意で路線バスをサービスしているものだと思えます。間違った善意なんですよね。
福祉の行政というのは、間違った善意が多くて、そのせいで多額の税金が浪費されている。間違った善意のかわりに、効率的な(賢明な)善意、というのを推奨したい。
役人に悪意があるというよりは、思考の盲点がある。そういうところに気づかせてあげたい。……というのが、本サイトの基本的な立場。誰かを非難したいわけじゃない。当の自治体をいじめたいわけじゃなくて、当の自治体を助けてあげたい。
最小コストで最大幸福、みたいな感じ。
操作は費用のかからない自宅待機者(定年者 ニート)などの低コスト者を使う。
リスク回避として複数人のオペレーションを行い、原則は自動運転だが判断の必要な箇所(高齢者が乗ったら加速をゆっくりとか)
は人間が行う。ドアの開閉や道路工事回避とかイレギュラーな操作は人がやる。当然フェイルセーフが基本になる。
もちろん法改正も必要だし、それに見合った高速回線も要る。
この方式は他に派生できる。例えば踏切の監視 ホームの監視など本来は専門の業務とされていたことを
遠隔でアウトソースする。外部の監視者は世界のどこでもいい。内部だけでやろうとするから大胆な改革が進まない。
様々な壁はあるが、第三者のオペレーションは技術的には可能な時代がきた。
そんないい加減な人に多大な人命を預けるわけには行きません。アルバイトというのは責任が軽くて、ミスをしても許容されるから、賃金が安いんです。ちょっとミスをして、自動車を電信柱にぶつけたとしても、「ま、しょーがねーや」と言って、「ごめん」でトンズラする、ということが許されています。無責任。だからこそ、賃金が安い。
一方、まともに賃金を払って、責任を持たせるのであれば、現場にいようが、室内で遠隔操作しようが、かかる人件費は同じです。
その反面、自宅に 360度画面のシミュレーターを設置する必要があり、これは巨額になりそうです。巨大シミュレーターの設置代の分、コストが増えるだけでしょう。
> リスク回避として複数人のオペレーションを行い
人件費がかえって増えてしまう。
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そもそも本項で述べたように、人件費なんて、たいしてコストの要素になっていない。これをゼロにしても、たいして削減にはならない。
自動運転の目的は、コストの削減ではない。自動車そのものが多大なコストがかかるので、自動運転にしようがしまいがコストは多大。
自動運転はまだハードルが高いが、いずれハードも管理コストも安くなる。自動運転は車だけでなく見合ったインフラも必要で
まだ時間はかかる。その先にあるのが人間の判断を組み入れた総合制御技術だ。
高速車両間通信をしながら交通は最適化される。いい加減なオペレーションを補完するのが真のフェイルセーフで、人の介在は
人しかできない判断に限られる。
外部に判断を任せるのは一見危険だが充分に安全は確保できる。つまりは旅客運用のパラダイムシフト。
既存の運用の延長ではない。なお遠隔シミュレーターはソフトだけで済みハードの投資不要 廉価に構築できる。