まず現状は、次のようにまとめられる。
・ イスラム(ISIS,ISIL)が、日本人の人質1名を殺害した。
・ もう1名の釈放の交換条件として、女性テロリストとの釈放を要求した。
・ 女性テロリストを釈放すると、ヨルダン人の操縦士の交換条件がなくなる。
・ 「日本人1名とヨルダン人1名の計2名」を交換条件とする、と案が出た。
最後の条件が有力らしくて、政府はこの線で、ヨルダン政府と裏交渉をしているものと思える。(私見)
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ただし、よく考えると、今回の人質は、以前の人質(イラク人質事件)とは大きく異なる。あのときは「自己責任」という言葉が成立したが、今回は「自己責任」という言葉はあまり成立しない。「自己責任」というのは、「自分が責任を負うかわりに、危険な行為に踏む込む」というものだが,今回のはそういうのとは違う。むしろ、次のようなものだ。
(1) 殺害された1名は、市民ではなかった。もともと武器を携帯していた。また、軍事会社に所属して、軍事活動のつもりで行動していた。
「なぜ武器を持っているのか」と糾弾される。その後、同ツイッターアカウントで、カメラマンではなく民間軍事会社「PMC JAPAN」CEO、最高経営責任者であると同社のHPサイトURLと共に発表される。
( → イスラム国日本人拘束事件 - Wikipedia )
この意味で、「軍人としての軍事的な活動」と見なすべきだろう。とすれば、「市民としての自己責任の活動」というふうに見なすのは妥当ではない。「自己責任」という言葉の前提としての「市民として」という条件が成立していない。
(2) 残る1名は、これもまた、市民としての活動中に人質になったのではない。こちらは、軍事活動をしていたわけではないが、「飛んで火に入る夏の虫」という形を取った。
後藤さんは同行したシリア人通訳と共にマレアに到着後、「これからイスラム国の支配地域に入ろうと思う。全ての責任は自分にある」と自ら語る映像を撮影。10月25日に支配地域に入った後に消息が途絶えた。
( → 毎日新聞 2015年01月21日 )
日本人の市民が何らかの市民活動の最中に捕獲されたのではない。敵のまっただ中に自分で進んで入って、自分で進んで捕獲されたのだ。「飛んで火に入る夏の虫」というふうに。これは一種の自殺行為であろう。そして、それがわかっているから、あらかじめビデオを残したわけだ。当然、人質になってから釈放してもらおうとは思っているわけがない。
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結論。
以上のことからして、今回の人質2名は、日本人の市民が捕獲されたわけではない。自分から進んで捕獲されに行ったのだ。
とすれば、人質が解放されるために、政府が何らかの努力をする必要はない。人質自身が、そういう努力を望んでいないはずだ。出発の時点で、殺されることを覚悟していたはずだ。とすれば、政府としては、本人の意思を尊重するだけでいい。つまり、自殺行為をしたのであるから、そのまま自殺行為を歩んでもらうだけでいい。
要するに、政府としては、何もしないのが、最も妥当な方策である。
ひるがえって、「人質の救助のために最大限の努力をする」(安倍首相)というような方針を取ると、どうなるか? それは「テロリストに果実を与える」ということであるから、テロリストは味を占めて、「そうか。じゃ、今度もまた、日本人を人質にしよう」と思うだろう。そして、そのせいで、今度はまったく無辜の日本人市民が捕獲されてしまうかもしれない。
( ※ たとえばイラク近辺にいる日本人のマスコミ記者や大使館員を捕獲して人質にする、というふうな。)
それはまずい。とすれば、そうなることを避けるために、ここは何としても、「テロリストの要求はすべて拒否する」という方針を取るべきだろう。
つまり、「日本人の人質1名の生命を救ってほしければ、ヨルダンに拘束されている女性テロリストを釈放せよ」という要求に対して、「その要求は断固拒否する」と答えるべきだ。「どんな小さな要求であれ、テロリストの要求は受け入れられない。回答はゼロ回答だけだ」というふうに答えるべきだ。
もちろん、これは、血も涙もない対応だ。通常ならば、こういう対応は取りがたい。しかし、今回に限っては、人質二人は最初から「自殺志願者」であったのだ。「回答はゼロ回答だけだ」というふうに答えることが、今回に限っては、ためらいなく実行できるのだ。
そして、こういうふうに「日本は血も涙もない対応をする国だ」と思わせることで、次回以降の人質捕獲を、未然に予防することができるのである。
「冷たいフリをして、将来の不幸を防ぐ」
これこそが最も賢明な方針であろう。そして、将来の人質の発生を防ぐために役立ったのだとすれば、今回の人質二人は、日本人の将来の犠牲を防ぐという、尊い役割をしたことになる。このことをもって、二人を顕彰して、「名誉の死」という扱いにして上げるといいだろう。そして、これこそが、自殺志願者であった二人にとっても、最も価値あることであると思える。
「決して無駄死にしたのではない。テロリスト団にはっきりとした教訓を与えるために、二人は自らの命を犠牲にしたのだ」
とすれば、二人はまさしく英雄的なことをなしたことになる。それならば、二人としても、本望であろう。
今回の二人のためを思うのであれば、「命を救って上げよう」と思うよりは、「名誉の死という称号を与えて上げよう」と思うべきなのだ。それこそが二人のためになることなのだ。
( ※ 「何よりも大切なのは命である」なんていう軟弱な方針を取るべきではない。そんな方針を取れば、かえって多大な死者が発生するだけだ。)

言ってる事は概ね理解出来るんですが、↑の「自己責任」という言葉の使い方が変というか、一般的ではないせいで読んでてちょっと困惑します。
一般的な自己責任と言う単語の使い方をするなら、論説から導かれるのは、
>今回は「自己責任」という言葉はあまり成立しない。
ではなく、
以前の事件より一層「自己責任」が問われる。
だと思うのですが。
たとえば、会社への通勤の途中で、駅のホームから落ちた人を救うという行為がある。
これは危険だから、会社としては「業務命令じゃないぞ。やるなら自己責任でやってくれ。会社は責任を取れない」となる。
一方、会社への通勤の途中で、電車の前に飛び込んで自殺する人もいる。これに対して、「やるなら自己責任でやってくれ。会社は責任を取れない」というのは、変でしょ? 自己責任という言葉は当てはまらない。ただの自殺行為にすぎない。
似た例で言うと、川で溺れた人を救おうとして危険を冒すのは、「自己責任」と言える。一方、誰も溺れていないのに、勝手に川に飛び込んで、自分が死ぬことを目的とするなら、ただの自殺行為であって、「自己責任」は関係ない。ここで「自己責任」を持ち出すのは、見当違い。
自殺同然と自殺では大きな隔たりがあります。
その上で、日本語として「自己責任で自殺する」はたしかに変ですが、「自己責任で自殺同然の危険を犯す」は真っ当な表現だと私は思います。
それがポイントなので、そこを理解できれば十分。他は二の次。
自己責任という言葉だと、「助ける必要はないが、できれば助けて上げた方がいい」(見殺しにしない方がいい)と結論が出る。たとえば、ヨットで遭難したニュースキャスター。救助費用 1000万円もの公費を使って、人命を救ったわけだが、「見殺しにしない方がいい」という結論となった。自己責任なんだけど、結果的には公金で助けた。
自殺行為という言葉だと、「助けない方がいい」(見殺しにした方がいい)と結論が出る。たとえば、阿蘇山の火口に飛び込んだ人。この自殺者の遺体(ただし医師が確認するまでは死亡とは認められない)を、引っ張り上げるために、救急隊員が危険を冒して火口に飛び込む、ということは、しない方がいい。
今回の事例は、前者よりも後者に相当する、というのが、本項の趣旨。「本人に責任があるから、国には責任がない」というのが自己責任論者の主張だが、それは話題にはなっていない。「国には責任がなくても国が救助行動を取った方がいいかどうか」を話題にしている。論議している土俵が異なる。私の論じている土俵とは別の土俵で論じても、「それは本項の話題ではない。本項ではそれについては何も論じていない」と言うしかないですね。
それにこの場合の自己責任論ってのは本来結果を指すんであって、自己責任だから助けなくて良いってのは違うと思う。
国は助けようと努力はするが、結果的に死んでしまった場合は誰も攻められない。何故なら危険地帯に入った彼らの責任があるから。
そういう意味での自己責任なんじゃないかな。
身内であれば必ず止めるがすべて安全ばかりを通るのもそれはそれでどうかとも思う。難しい問題だ。
まして、エセ「軍事会社」のCEOを名乗る湯川氏はともかく、ジャーナリストである後藤氏が「イスラム国」に行かなければ、我々は「イスラム国」の何たるかは、全く分からない…そうしたフリーのジャーナリストの取材を基に、大手のマスコミが記事を書いている…
「自己責任」だから「国家は助けない」というのは、無理でゲソ
それを真に受けると、馬鹿を見ます。現実は逆です。
引用:
「外務省は旅行者でさえ助けようとしてくれない。インドで困ってる日本人助けたが、大使館はまったく何もしてくれなかった(足はよく引っ張られた)。」
→ http://b.hatena.ne.jp/entry/239812618/comment/marony0109
公式見解。
→ http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q11111611461
→ http://www.fr.emb-japan.go.jp/jp/anzen/dekirukoto.html
要するに、何らかのアドバイスをしてくれるだけ。口先だけ。カウンセラーみたいなことだけ。具体的な行動は何もしてくれない。まして、金のかかるようなことは、一切してくれない。
> そうしたフリーのジャーナリストの取材を基に、大手のマスコミが記事を書いている…
冗談でしょ。後藤さんが出掛けたのは報道するためじゃありません。報道中の記者が捕獲されたのであれば、私としても救助に賛成しますが、今回はまったく違います。
何か、そちらの事実認識がまったく狂っているので、きちんと調べ直しましょう。
ジャーナリストの人は、誰に頼まれて、誰がお金を渡して、イスラム圏へ行ったのか?
いまひとつはっきりわからない。
この二人の行動に、政治家や外務省は、本当に無関係なんでしょうかね。
わざと、ごまかしの報道がなされているような気がして。
aは自己責任度合い
bは助けるのに必要な経費
cはその成功率
dは助けること、見捨てることによる社会的な影響
自己責任度合いは一変数といったところでしょうか
日本国民である本旅券の所持人を通路支障なく旅行させ、かつ、同人に必要な保護扶助を与えられるよう、関係の諸官に要請する。
日本国外務大臣
ほとんどの人がこうした記述のある旅券を取って、これを示した上で国外に出てる/送り出してるんだから、この要請の意味するところから考える必要があるかと。