2014年12月23日

◆ 入試改革:1点刻みを廃止

 大学入試改革で、1点刻みの入試を廃止する……という答申が出た。これは狂気の沙汰だ。 ──

 例1。
 教師が生徒に教えた。「人をボカッと殴ってはいけない」
 すると生徒は「わかりました」と答えて、教師を殴り続けた。
 教師は叫んだ。「何をするんだ!」
 生徒は答えた。「教えられたとおりにしました。ボカッと1回殴るのは、いけないんでしょ? だから何回もボカボカボカと殴り続けたんです」

 例2。
 「人を鉄アレイで殴ってはいけない」
 と聞いた人が、さっそく実行した。
 「人を鉄アレイで殴り続ければいいだな。1回でなく何回も殴り続ければいいんだな」

 例3。
 医者が教えた。
 「塩分を1日に 10グラム摂取するのは、好ましくありません」
 これを聞いた患者は思った。
 「じゃ、塩分を1日に 100グラムぐらい摂取すればいいんだな」
 実行した患者は、死んでしまった。( cf. 塩の致死量

 例4。
 「1点刻みの入試には弊害がある」
 と聞いた中教審は、
 「じゃ、1点刻みをやめて、10点刻みにする。これで1点刻みの弊害はなくなるだろう」
 その結果、弊害は10倍増になった。

 ──

 ひどい笑い話みたいだが、これは現実だ。
 中央教育審議会(中教審、安西祐一郎会長)は22日、知識偏重型や1点刻みの大学入試を改めて思考力や判断力をみる内容に変え、高校・大学教育も抜本的に改革すべきだとの提言を、下村文部科学相に答申した。
( → 読売新聞 2014-12-22
 国レベルで導入するテストは二つある。高校2、3年で教科の知識をはかる「高等学校基礎学力テスト」と、大学受験生の知識の活用力をみる「大学入学希望者学力評価テスト」だ。
 ともに1点刻みの成績表示をやめる。これまでの日本の入試を大きく見直すものだ。
( → 朝日新聞(社説) 2014-12-23

 というふうに、中教審は「1点刻みの入試を廃止する」という方針を出した。

 しかし、これがいかに馬鹿げた方針であるかは、理系の人ならばすぐに論理的にわかるはずだ。
 要するに、(たとえば)10点刻みにすると、刻みの段階の付け方しだいで、結果が大きく左右されてしまい、結果の客観性が保てない。

 モデル的に示そう。(3科目)
  太郎の得点  79,80,81
  花子の得点  80,80,80

 この二人は三科目の得点が合計 240点であり、能力的には同等と見なせるだろう。
 では、これを 10点刻みで評価すると、どうなるか? 

 §タイプ1

    点数   ランク
   91 〜100  
   81 〜 90  B
   71 〜 80  C


 §タイプ2

    点数   ランク
   90 〜100  
   80 〜 89  B
   70 〜 79  C

 この判定方式を当てはめると……
       タイプ1  タイプ2
   太郎  C,C,B  C,B,B
   花子  C,C,C  B,B,B

 
 つまり、太郎の方はどっちのタイプにしても大差はないが、花子の方はタイプの違いでまったく異なる結果となる。タイプ1では、劣等生と表示され、タイプ2では、優等生と表示される。
 要するに、「点数の区切り方」という技術的な偶然によって、生徒の評価が天と地ほどにも大きく隔たってしまう。
 こういうことは、1点刻みの入試では起こらなかったことだ。要するに、ものすごい弊害が生じてしまう。狂気の沙汰だ。

( ※ 10点刻みの場合、区切りのところでは、やはり1点刻みで差を付けている。それでいて、点数の格差は 10倍に増幅される。つまり、弊害が 10倍になるわけだ。)

 ──

 では、中教審は、どこでどう間違ったのか? その本質は?
 それを理解するには、冒頭の比喩を見ればわかる。これらの比喩を見れば、次のことが本質だとわかる。
 「ある有害な現象が起こったとき、その有害な現象そのものを排除するのであれば効果はあるが、その有害な現象を拡大しても、弊害は改善するどころか悪化する」

 わかりやすく説明しよう。
 「1点刻みの入試には弊害がある」と言われる。確かにそうだ。しかし、ここで弊害が生じているのは、「1点」ということではない。「小さな点数の差で大きな結果の差が生じる」という入試の判定方式が良くない、ということだ。ここでは、点数に従う判定方式が好ましくない。(「1点」ではなく「点数」が問題であるわけだ。

 とすれば、小さな点数に従うのとは別の、点数以外のことで判定すればいい。たとえば、面接とか、課外活動などだ。この件は、前にも論じた。
 そこで、私としては、次のように提案したい。
 「学力テストをした上で、ボーダーラインに相当する学生についてのみ、AO入試を実施する」
 たとえば、定員の 5%を AO入試で決めることにして、ボーダーライン付近の、上位 5%と下位 5% の計 10% に対して、面接をして、合否を決める。( 10% のうちから、半分に当たる 5%だけを合格とする。)
 ここでは、課外活動なども評価していい。

 こういう形で、「ボーダーラインの学生についてのみ AO入試を実施する」というのであれば、意義があるだろう。
 そもそも、ボーダーラインであれば、どっちみち、学力には大差ない。試験当日の運不運によって点数が上下することもある。だったら、小さな点数の差は、あまり意味がない。あまり意味のない差で合否を決定するのも、馬鹿らしい。とすれば、ここでは、AO入試 を実施することには、それなりに意義があるのだ。
 こういう形であれば、AO入試を導入してもいいだ
( → AO入試の問題点・いろいろ A

 ここで、赤い着色部の部分が、本項の話と合致する。
 要するに、「1点刻み」の反対 or 解決策は、AO入試なのだ。原則的には学力試験を実施するが、ボーダーラインの受験生についてのみは、小さな点数差ではなく、課外活動や面接で合否を決める。
 そして、ボーダーライン以外の学生については、圧倒的な点数差によって、合否が決まる。合格者はボーダーラインよりもかなり上の点数を取っているし、不合格者はボーダーラインおりもかなり下の点数である。……これならば、はっきりとした点数差があるので、「1点刻みで合否が決まる」という問題はなくなる。
 これが正解だ。

 ところが、中教審は違う。「1回殴るのがいけないのなら、10回殴るのが正しい」というような、馬鹿げた理屈によって、「1点刻みを廃止します」と主張する。狂気の沙汰だ。

 豆腐の角に頭をぶつけて死んでしまうがいいよ。



 [ 補足 ]
 関連情報を示す。
 「中教審答申が1点刻み大学入試の廃止を示した」
 という件について、マスコミの情報だけでは不十分だから、原典に当たってみた。それを紹介しよう。

 まず、サイトは、下記だ。
  → 新しい時代にふさわしい高大接続の実現に向けた高等学校教育、大学教育、大学入学者選抜の一体的改革について(答申)(中教審第177号):文部科学省

 ここに、PDF がある。そこから該当箇所を抜粋すると、下記の通り。
一度限りの一斉受験という画一化された条件において、知識の再生を一点刻みで問う問
題を用いた試験の点数による客観性の確保を過度に重視し、そうした点数のみに依拠した選抜を行うことが「公平」であるという、従来型の「公平性」の観念

 18歳頃における一度限りの一斉受験という特殊な行事が、長い人生航路における最大の分岐点であり目標であるとする、我が国の社会全体に深く根を張った従来型の「大学入試」や、その背景にある、画一的な一斉試験で正答に関する知識の再生を一点刻みに問い、その結果の点数のみに依拠した選抜を行うことが公平であるとする、「公平性」の観念という桎梏しっこくは断ち切らなければならない。大学入学者選抜は、一時点の学力検査によってその後の人生を決定させるためのものではない。先を見通すことの難しい時代において、生涯を通じて不断に学び、考え、予想外の事態を乗り越えながら、自らの人生を切り拓ひらき、より良い社会づくりに貢献していくことのできる人間を育てることが高等学校教育及び大学教育の使命であり、これからの大学入学者選抜は、若者の学びを支援する観点に立って、それぞれが夢や目標を持ち、その実現に必要な能力を身に付けることができるよう、高等学校教育と大学教育とを円滑に結び付けていく観点から実施される必要がある。

「1点刻み」の客観性にとらわれた評価から脱し、各大学の個別選抜における多様な評価方法の導入を促進する観点から、大学及び大学入学希望者に対して、段階別表示による成績提供を行う。

 ま、たいしたことは書いてない。「口先だけ」という感じ。
 特に、次の脚注が重要だ。
 段階別表示の具体的な在り方や、あわせてどのようなデータ(標準化得点や、パーセンタイル値に基づき算出されたデータ等)を大学に提供することが適当かについては、別途、専門家等による検討を行うこととする。

 具体的にどうするかは、何も考えていない、というのに等しい。「専門家に丸投げします」と言っているだけ。どういうタイプにするかも考えていないし、どのタイプにしても弊害が大きいということも理解できていない。単に「1回殴るのはよくないから 10回殴れ。殴り方はお任せします」と言っているようなものだ。「殴られた方は死んでしまう」ということは、まるきり頭の外だ。
 ひどいものだね。これほどの馬鹿が日本の運命を決めようとする。
 おまけに、朝日の社説のような間抜けは、それを追認する。
 馬鹿は伝染する。
posted by 管理人 at 22:00 | Comment(6) | 一般(雑学)2 | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
朝日新聞に関連記事が出てますね.

http://www.asahi.com/articles/ASGDQ5CY6GDQUTIL02C.html
「知識量だけを問うよりも、部活動の実績を示す資料や志望理由書などを基に、プレゼンテーションや集団討論などを組み合わせて評価することが求められる。」

ですって.
何が何でも「プレゼン能力があれば合格できる」ようにしたいのでしょう.AO入試で弊害が噴出しているのが現状だというのに....
Posted by 大学教員 at 2014年12月23日 22:51
センター試験の目的は受験資格選別ですからね。

ボーダーライン上の入学合否は2次選抜でということなんでしょう。
Posted by まあ at 2014年12月24日 09:32
AOや面接は「対策」で突破することが可能ですが、そのためには特殊な予備校へ通うと有利です。AO義塾は着実に実績出してます。
結局、金のある親の子弟が有利になるわけだ。
参考書はせいぜい数千円だが、予備校は数十万円、特殊な予備校は数百万円かかります。
Posted by 井上晃宏 at 2014年12月26日 03:58
> ボーダーライン上の入学合否

 そうじゃないですよ。全員がセンター試験で足切りされるのが現状。たとえ理系の能力が抜群でも、国語の能力が低いと、それで足切りされてしまう。全体的な能力の高低は関係なく、不得意科目の有無で足切りが決まる。
http://openblog.meblog.biz/article/14719893.html
http://openblog.meblog.biz/article/24282351.html

> 特殊な予備校へ通うと有利です。
http://openblog.meblog.biz/article/24242543.html
http://openblog.meblog.biz/article/24282351.html
http://openblog.meblog.biz/article/15372508.html
Posted by 管理人 at 2014年12月26日 07:27
これでますます日本の大学の低レベル化は避けられないでしょうね。

東京大学ですら、「推薦入試」をやろうとしているぐらいですからね。
Posted by 反財務省 at 2014年12月26日 07:46
>国語の能力が低いと、それで足切りされてしまう。全体的な能力の高低は関係なく、不得意科目の有無で足切りが決まる。

国語が多少できなくても理系には進めますよ。
東大の学部合格があなたにとっての大学入試であるならそうなんでしょうけどねえ。そこにこだわる理由が自分にはありません。
Posted by まあ at 2014年12月27日 10:32
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