2014年11月30日

◆ AO入試の問題点・いろいろ @

 AO入試(推薦入試・面接入試)には、問題点がいろいろとある。列挙する形で示してみる。

 意欲


 AO入試(推薦入試・面接入試)の主目的は、「意欲ある学生を取ること」だ。ここでは、意欲ばかりが重視されている。
 しかしながら、(目に見えるような)意欲というのは、あまり大切ではない。むしろ、(見た感じは)意欲がないように思える人にこそ、秘めた意欲があるものだ。このことは、下記項目で詳しく説明した。
  → 面接入試はなぜ駄目か?
 
 特に、「外向的/内向的」という性格の区別が大切だ。「意欲が大切だ」と見なす人々は、「はきはきとして外向的な人物が意欲がある」と思う。「こういう人こそがリーダーシップを取って指導的になる」と思う。
 なるほど、それは、企業の組織論としては正しい。企業では外向的な性格を持つ人物をリーダーに選ぶべきだろう。
 しかしながら、学問の世界では違う。歴史的に傑出した成果を上げた天才的な学者は、たいていが内向的な性格をもつ。なぜなら、「真実の探求」というのは、抽象世界を探るものだから、内向的な性格であることが必要なのだ。
 なのに、ここで「意欲のある学生が大切だ」というようなことになると、天才的な学者はみんな落後してしまうだろう。
 その意味で、意欲ばかりを重視するのは、(企業でなく大学においては)間違った方針なのである。
  ※ 営利活動と学問とは別だ、と理解できていないわけだ。

 意欲は偽装できる


 上にも述べたように、内向的な性格は、「意欲がない」と(悪く)誤認されやすい。
 逆に言えば、外向的な性格は、「意欲がある」と(良く)誤認されやすい。
 これを意図的になせば、受験生は「意欲がある」というふうに偽装することができる。実際には勉強の意欲などはなくて、単に遊びたいだけであっても、「ものすごく学力の意欲がある」というふうに見せかけることができる。それはつまり、「演技力がある」ということだ。
 これは決して誇張ではない。面接試験においては、演技によって偽装して「意欲がある」と見せかけることは、十分に可能である。そのためのテクニックもすでに集められている。たとえば、下記だ。
  → ボディランゲージが人を作る (TED Talks)
 一部抜粋しよう。
 人はボディランゲージから大まかな判断や推測をします。そしてその判断が人生において大きな意味を持つ場面、誰を採用し、誰を昇進させ、誰をデートに誘うかといったときに大きく影響するんです。
 研究室に人を集め、力強い、あるいは力のないポーズをした後にストレスの強い面接を受けてもらいました。5分間の面接をし、録画して、後で評価をします。……録画テープを見た後に「この人を採用したい」と彼らが言ったのは、みんな力のポーズを取った人でした。「あっちは採用したくない。全体としてこっちの人を高く評価する」と。
 何がそうさせているのか? 話す内容ではありません。その人が話す態度が重要なんです。私たちは能力を示す条件を評価していると思っています。「話はどれだけ筋道立っているか」「内容は良いか」「資質はあるか」。でもそういったものに効力はなく、態度こそ影響を与えるものなんです。基本的に面接では本当の自分が表れます。考えを述べるにしても、重要なのはその人を表すものとしてであって、言ったこと自体ではないのです。つまり、態度が効果を生み出し、効果を伝えるものだということです。 )

 要するに、面接試験で「意欲がある」「好ましい人物だ」と思えるのは、その人の人柄や人格や性格や思想ではなくて、見た目だけなのである。「いかにも意欲がありそうだ」という力強いポーズを取った人が、「意欲がある」と見える。何もかも、演技力しだいなのだ。
 これが面接試験の本質なのである。そのことは心理学的に証明済みなのだ。
 面接試験をする大学関係者は、「面接試験によって人物を見抜ける」と思い込む。しかしそれは彼らの思い上がりだ。本当は、演技にだまされているだけなのである。
 それはいわば、「マッサン」という番組を見て、「シャーロットはすごく性格が優しい天使のような人物だ」と思い込んだり、「玉山鉄二はどうしようもないクズな性格の男だ」と思い込むようなものだ。本当は、演技でやっているだけなのだが、演技を演技だと理解できないまま、演技された人物像を真の人物像だと思い込む。
 そういうことをやっているのが、面接試験の試験官だ。
 かくて、偽装が合否を決定する。

  ※ 演技のほかに外見も影響する。だから整形と化粧が有効だ。(前出)
    → 面接入試はなぜ駄目か?

 意欲が過剰


 そもそも、「意欲があればいい」とばかり思い込むと、ろくなことはない。それは、AO義塾 の例を見てもわかる。やたらと意欲ばかりのある学生が、意欲だけで突っ走った結果、AO義塾という営利企業を設立して、「AO入試で合格させます」というビジネスを成功させた。
  → AO入試の弊害・騒動 の (2)
 しかしこれは、「偽装で合格させる」という商売だ。あまりにも悪質であり、なかば犯罪的である。
 だが、物事の本質は、このような悪質なことをする学生にあるのではない。「偽装こそが本質である」という制度(AO入試という制度)を導入した、大学側にこそ問題がある。こういう狂った制度を用意するから、ものすごく意欲的な学生が、意欲的に活動して、偽装による合格者を大量に出す。
 意欲的な(しかし倫理観のかけらもない)学生が、どういうことをなすかということを、AO義塾の例は教えてくれる。
 また、意欲ばかりがあって学力のない研究者がどういう大失敗をするかということも、STAP細胞事件における小保方さんの例が教えてくれる。
 意欲ばかりが過剰であることは、歪んだ人間をつくりだしてしまうのである。一般に、健全なる人間というものは、意欲だけでなく抑制心もあるものだ。ところが、意欲ばかりを重視するようになると、アクセルだけがあってブレーキの利かないような、歪んだ人物を作り出してしまう。
 意欲ばかりを過大に評価することは、社会にとって有害なのだ。

 意欲は大学が教育で与えるもの


 では、意欲はまったく必要ないのか? いや、そんなことはない。現状では、意欲のない若者が多いから、そういう若者たちに意欲を掻き立てることは有益だ。
 だが、注意しよう。ここでは、「若者たち全員に意欲を与えるようにすること」つまり「意欲を与える教育をすること」が大切なのだ。そして、それは、入学したあとの教育のなすべきことだ。
 一方、入学の段階で「意欲のある学生を選ぶこと」は、まったく必要ない。企業ならば、「意欲のある人物を選ぶこと」は必要だが、大学では「意欲のある人物を選ぶこと」は必要ない。大学は営利活動ではないからだ。大学は、学生から何かをもらうことが目的なのではなく、学生に何かを与えることが目的なのだ。その意味では、意欲のまったくない受験生こそ、入学させるにふさわしい。「意欲はまったくないが、知性だけは抜群にある」というような若者を入学させて、きちんとした教育を施して、「意欲と知性のある人物」に向上させることこそ、教育の最大の効果だろう。ここにこそ教育の意義がある。
 この件は、下記項目でも詳しく述べた。
  → 入試と熱意・意欲

 ※ 皮肉を言えば、大学が意欲ばかりを求めるのは、当の大学そのものが、
   「学生に意欲を与えよう」という意欲がないからだ。大学の意欲不足。

 選抜と教育


 大学の目的は、何か? 営利活動ではない。他の大学との競争に勝つことでもない。では、何か?
 大学の目的は、そこに所属する学生の知的水準を向上させることで、一国全体の知的水準を向上させることだ。これこそが「教育機関」としての大学の意義だ。
 とすれば、大学は、「入試において選抜すること」ばかりを重視せず、むしろ、「教育すること」「入学後に向上させること」を重視するべきなのだ。
 なのに、「意欲のある学生を選ぶこと」ばかりを目的にしているような大学は、教育機関としての責任を放棄しているとしか思えない。そういう大学は、教育を目的としておらず、企業のように営利活動を目的としているのだろうか? 
 とにかく、「意欲のある人物を選ぶこと」を目的とするのは、企業の発想である。そういう企業の発想に凝り固まって、教育機関の責務を放棄しているのであれば、そのような大学は社会的に存在価値がない。(教育機関と営利企業の区別が付いていないからだ。)
 大学は、自らの存在意義が何であるかを、きちんと理解するべきだ。「良い学生の選別」ばかりを考えているような大学は、存在意義がないのだ、と理解するべきだ。
  → 面接入試の難点:その根源

 学力の方が大切


 では、大学は、何を大切にするべきか? もちろん、学力だ。
 とすれば、入試においても、学力を見ることが何よりも大事なのである。「意欲さえあれば学力なんかなくてもいい」というような認識をするのは、本末転倒だとしか言いようがない。
 そもそも、本当に意欲があれば、学力があるはずなのだ。意欲があれば、真面目に勉強したはずだし、それならば、実際に学力があるはずだ。だから、学力テストを見るだけでも、意欲については十分に見ることができるのだ。
 一方、入試で学力テストの成績が低いとしたら、(外見ではどれほど意欲があるように見えても)本当はろくに意欲がないことになる。たとえば、受験生時代に、真面目に勉強する気がなくて、遊びほうけていた……というふうな。
 もっとも、「ものすごくガリ勉したけど、学力は低かった」というような人もいるだろう。しかしそれは、元々の能力があまりにも低すぎることになる。だとしたら、いくら意欲があっても、無駄である。そういう学生は、いくら努力しても、まともな学力が付くはずがないのだから、大学に入学させる意義がない。入学させても、学力がないまま、単位を取れずに、中退することになるだけだ。かくて中退者が続出する。最悪だ。
  → AO入試の弊害・騒動 の (4)

 大学の本質


 大学の存在意義は、教育である。そこでは、学生に学力を与えることが目的となる。「意欲ある学生を選抜すること」が目的なのではない。
 この本質をきちんと理解することこそ、大学が何よりなすべきことだ、とわかる。そして、そうとすれば、「AO入試の合格者が全合格者の半分を大幅に超える」という状況(出典)が、いかに異常であるかもわかるだろう。
 今の大学は、教育を目的とせず、大学そのものが金儲けの手段となってしまっている。だから、「優れた学生を選抜したい」という企業の発想を取るようになってしまったのだ。
 こういう愚劣な大学ばかりがのさばれば、日本という国の教育制度は瓦解してしまう、と言えるだろう。
 せめて国立大学だけは……と期待したいところだが、東大でさえ、学力よりも意欲を重視したがるようになっているのだから、ひどいものだ。日本はトップの東大でさえ、教授連中は脳味噌が溶けてしまっているようだ。呆れるばかり。

 ※ ただし、教授は馬鹿でも、学生は馬鹿ではない。
   東大の学生は、推薦入試に否定的な声が圧倒的だ。
    → 「東大、推薦入試導入へ」に対する現役東大生の反応
   東大教授は、年を食ったせいで、ボケてきたか。



 【 関連項目 】

 次項 に続きます。
posted by 管理人 at 23:56 | Comment(5) | 一般(雑学)2 | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
本質的には大学(入学定員)が多すぎるのが諸悪の根源です.

#というと,私自身がその根源の一部になってしまうのですが....

大学へ入学してくる学生が減少することは,かなり前から分かっていたのですから,それに見合うよう日本全体の入学定員総数を減らす方向へ社会を動かすべきだったのですが,文科省は大学を増やし,定員を増やし,という動きを継続してきました.

大学,少なくとも私学では入学定員を減らせば収入減に直結します.大学の運営経費の殆どは光熱費などの固定費と人件費なので,収入減を自助努力でカバーしようとすれば人件費を削減する以外にないのですが,それはつまり,教員の数を減らすか平均給与を減らすことになります.これはなかなか出来ないでしょう.(日本の場合)

学生数を減らすなら教員数を減らす方向が妥当なんじゃないかと個人的には思っていますが,そんな決断が出来た学校法人は聞いたことがありません.

AO入試でも何でも利用して偏差値ランキングを偽装しつつ,他の大学が先に倒れるのを互いに待っているというのが実情だと思います.(結果的に大学での「教育」が大きく毀損されるのはお構いなし....)

以上
Posted by 大学教員 at 2014年12月01日 20:07
> 学生数を減らすなら教員数を減らす方向が妥当なんじゃないか

 いや、大学そのものを廃止する方がいいでしょう。固定費も減るし。
 では、どうしたらいいか? 名案を思いついた。
 「私学助成金を廃止して、学生への奨学金(個人給付)に一本化する」
 「学生への奨学金は、学力テストの成績順で、給付に差を付ける」
 例。
 東大クラスに合格できる学力ならば、どの大学に進学しようと、多額の奨学金。
 底辺クラスの大学にしか合格できない学力ならば、どの大学に進学しようと、奨学金はほとんどゼロ。

 以上によって、底辺層の大学は、自然に閉鎖されるでしょう。学生定員や教員を減らすのではなく、受験生そのものを減らすわけ。それも、底辺層に限って。

 ※ こういう底辺レベルの無能学生をあえて入学させる(それで金儲けする)のが、AO入試の意味なのかもね。 (^^);
Posted by 管理人 at 2014年12月01日 21:25
日本の受験生総数が減少している状況下で,各大学の入学定員を減らさずに大学数を減らす(底辺大学)と,各大学の合格最低点は下がります.それに伴い,上位校では下がり方は小さいでしょうが,中堅校から下位校に向かって,その影響は大きくなります.
それにより,入学学生集団の基礎学力が平均的には下がってしまうので,各大学での教育内容・水準にそれなりに(或いは,大きく)影響が出ます.(同じ講義を行うのが難しくなるとか,同程度の水準で学問を身に付けさせるのが難しくなるとか.)

また,合格最低点が下がると受験生の勉強に対するモチベーションに影響が出ます.あまり勉強しなくても合格出来るようになる訳で,これは程度の差はあれど全ての大学で影響が出ます.
個人的には,高校生の時にしっかり勉強するのはとても大切だと考えていますが,そのモチベーションを下げてしまうような状況は,日本全体の将来に対して宜しくないと思います.

実際,上記のような話は既に現在進行形で影響が出ていまして,AO入試・推薦入試の問題は,それを糊塗して誤魔化そうとするが故の弊害なのだろうと思います.
Posted by 大学教員 at 2014年12月01日 22:09
生徒の数が減り、相対的に大学の数が増えることはネガティブな出来事と広く考えられていますが、生徒数当たりの教育者数が増えるという観点から言えばポジティブな側面もある気がします。トマス・ピケティは、一人の教育者が何人の生徒を教えるかは生徒の学力に大きく関係する(少人数教育のほうがいい)と言っているとwikipediaで読みました。ただ、教育者の拡充はむしろ高校で行うべきかもしれませんが。
Posted by 学生 at 2014年12月19日 03:09
訂正:トマスではなく、トマ・ピケティでした。
Posted by 学生 at 2014年12月19日 03:19
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