(1) 小学4年生のサイト
発端となったのは、小学4年生のサイトだ。これは安倍首相の解散を批判する政治的なサイトだが、「小学4年生が自分で作ったサイトだ」として、民主党のツイッターで「天才少年現る」と紹介され、有名になった。
ところがその HTML ソースがあまりにも高度であり、プロの作製であることが見え見えであるため、「なりすまし」が疑われた。作成者の署名みたいなものがあることから、その人の関与が疑われた。
だが、実質的には作成を依頼した人がいて、「実は自分が頼みました」と告白した。それは慶應大学の学生だった。
→ 【悲報】小学4年生が作った政治系サイトが早くも小学生が作ってないとバレる
(2) AO義塾
ここまではただの「馬鹿学生の騒動」だったが、このあと、意外な展開を見せた。
この学生は、で、AO入試の入学者だったが、単にそうだったという以上のことがあった。この学生は AO入試の合格をめざす NPO を設立し、この NPO と連携した AO義塾 という営利企業が、慶應の AO入試で異様な合格率を誇っているのだ。
慶応合格者合計で101名。なんと合格率82%!!! 法学部 64名、SFC 34名。
AO入試の法学部の店員は160人なので、その占有率 40%!
( → 【AO入試ビジネスの闇】「NPOのスタッフ全員がAO入試で合格!」
どうしてこういうことが可能なのか? そのからくりは、こうだ。
「 AO義塾に金を払うと、NPO で活動できる。その NPO での活動実績が、AO入試では特記事項の活動経歴と見なされて、高評価となる。かくて、「合格率 82%」「AO入試合格者における占有率 40%」という高い実績となる。
これはまあ、金で慶應の学歴を買えるようにするわけであり、そのために、入学者を食い物にする企業を作って商売しているわけだ。ボロ儲け。(受験生を食い物にしている、とも言える。裏口入学に近い。)
で、そのためであれば、AO入試の受験者のために、入試のための自由記述の小論文を代筆して売りつける人まで出る始末だ。(それを買って合格したのが、冒頭の小四なりすまし学生だ。)
→ 「自由記述つくったの僕なんですけど」という告白。
(3) AO入試の問題点
こうして、話は意外な方向に進んで、「 AO入試の問題点」が浮かび上がった。
では、問題点の根源は? 私はこう考える。
「 欧米でも AO入試は行なわれているが、必ず学力テストとの併用である。ところが日本では、学力テストなしで、推薦と内申書だけで合否を決めることが多い。そのせいで学力が異常に低い人が合格する」
こう考えていたところ、同趣旨の見解が下記に出た。
→ 日本のAO入試はなぜ上手くいかないのか
上記には良い見解が記してあるので、私がいちいち書いて解説する必要はなさそうだ。この件については、上記リンクの話を読んでほしい。
( ※ ただし修正すべき点もあるようだ。この件は、本項末の 【 関連項目 】 の箇所で解説する。)
(4) AO入試合格者の学力レベル
AO入試合格者の学力レベルが低いということは、実は、私 or 誰かの独自の見解ではない。この話は、すでに報道された。引用しよう。
《 AO入試合格者、6人に1人が退学…読売調査 》
主に学ぶ意欲をみる AO(アドミッション・オフィス)入試で合格した学生のうち、6人に1人にあたる 15.5%が退学していたことが、読売新聞の「大学の実力 教育力向上の取り組み」調査でわかった。
入試方法別で最も高い退学率で、一般入試の 5.9%が最も低かった。
( → 読売新聞 2014年07月09日[リンク切れ],同様情報 )
意欲ばかりを見ても、肝心の学力がないせいで、講義に追いつけず、中退するハメになっているわけだ。ひどいものだ。
(5) AO入試の弊害
ここでは、意欲ばかりが重視されるせいで、肝心の学力がおろそかになる傾向がある。その典型が、STAP細胞の小保方さんだろう。彼女もまた AO入試で「抜群の意欲」を見せて合格した。しかるに肝心の学力はあまりにもひどかった。
同様のことは、アメリカでも窺える。
→ 学力低下で国力は衰える、東大推薦入試の危うさ
→ AO入試偏重は技術立国の自殺であり階層を固定する
→ 日本のAO入試はなぜ上手くいかないのか(前出)
(6) AO入試の拡大
これほど問題があるのだから、AO入試は縮小するべきなのだが、現実には縮小するどころか拡大しつつある。
《 国公立大入試、推薦・AOが定員の2割…最多に 》
文部科学省は2日、2015年度の国公立大学入試の概要を発表した。
受験生の個性や意欲などを総合的に評価するAO(アドミッション・オフィス)入試や、推薦入試を実施する大学が、いずれも過去最多となった。
国公立166大学563学部の来春入学の募集定員は12万5025人。公立大が3校増えるなどし、前年度より計348人増加した。このうち、AO、推薦入試の募集定員は計2万2386人で、全体の約2割を占める。
( → 2014年09月03日 )
東京大学も例外ではない。
→ 【大学受験2016】東大で推薦導入
→ なぜ東京大学は「推薦入試」を始めるのか
→ 【 東大 】東京大学の学部入試方法の変更について
いずれにせよ、「意欲ある学生」を求めて,学力を二の次にしていることがわかる。
* * * * *
以上で、情報をざっと整理した。
なお、私の見解については、本項末の「関連項目」を参照。
[ 付記 ]
AO入試とは何かというと、ただの「推薦入試」とは異なる。下記に定義がある。
AO入試は、もともとアメリカで生まれた入試方法で、本来は選考の権限を持つ「アドミッションズ・オフィス」という機関が行う、経費削減と効率性を目的とした入試といわれています。 AOとは<Admissions Office>の頭文字を取ったものです。一方、日本では、現時点で明確な定義がなく、各大学が独自のやり方で行っているというのが実情です。
( → AO入試とは )
こういう現状に対して、次の皮肉もある。
@Kelangdbn @junsaito0529 根本的な問題。Admission OfficeもないのにAO入試とはこれいかに。
— 稲葉振一郎 (@shinichiroinaba) 2014, 7月 9たぶん AHO 入試なんでしょう。 (^^);
【 関連サイト 】
「アメリカの AO入試では学力試験も課されている」
という上記の見解(特にリンク先)に対して、次の批判もあった。
日本のAO入試がグサグサで、アメリカはそうではないと言いたいのかもしれないが、SATのザル具合を甘く見てもらっては困る。数学は日本の中1の練習問題レベル、英語もネイティブのエリートなら満点続出(当時在米2年の筆者でも上位10%くらいは取れた)、科目別のやつも至って平易である(ちなみに科目別の数学というのもあるが、これも驚くほど簡単である)。
( → しょせんAO入試は問題だぞ、アメリカだってな )
ただしこれも極端すぎる批判であるようだ。SATはたしかにザルだが、これは一次試験(足切り)ぐらいの意味しか持っていないようだ。進学校ではこれとは別に、独自の学力テストを行っているそうだ。
米国の私立校は経営母体によって募集する生徒のタイプが分かれており、日本のAO入試選抜に近い手順を取ることが多い。進学校は学力テストを行い、私立向けの独立校入学テスト(ISEE、5-12年生)と公立でも用いられるSSATが一般的である。日本のように独自のテストを作る学校も多い。
( → Wikipedia )
ただ、アメリカではいくらかマシだとは言え、やはり AO入試には大きな問題があるようだ。
【 関連項目 】
AO入試や推薦入試については、過去でも何度か論じてきた。
→ 面接入試の難点:その根源
→ 面接入試はなぜ駄目か?
→ 入試と熱意・意欲
特に東大についても論じてきた。
→ 東大推薦入試は有効か?
→ 東大の入試改革について

非常識なくらいの行動力があって個性の塊みたいなタイプ。
このAO義塾とやらを立ち上げた創始者の連中に関しては、他の受験生が必死こいて勉強している中、20歳前後でこれだけあこぎな発想できるのは実際大したものではある。
もちろん個人的には嫌悪感しか持ちえないが。
照らし合わせて合否を決める入試方法(アドミッションとは、入学などを許可すること)。
AO入試の成功例は、山中伸哉氏でしょう。
山中氏が整形外科の臨床医として限界を感じ、基礎医学へ転進すべく、大阪市立大学大学院
(薬理学)の入試面接を受けられた。
当然、薬理学のことをいろいろ質問される。医学部生のとき少し習った知識で答えても、すぐに
ボロが出て追い詰められて白けた雰囲気になった。「うわ、これは落ちるな」と山中氏は思った。
それで、面接の最後に「先生、僕は薬理のこと何も分かりません。でも研究したんです!
だから、通してください!」と訴えたところ、合格した。
後日、山中氏はその先生から、「あの時、叫ばへんかったら、落としていたよ」といわれた。
山中氏を不合格から合格へ、判断を変えた先生は、誠実な人柄と確かな人生経験を持つ青年の
熱意に感じるものがあったのだろう。その結果、世紀のiPS細胞を生み出す、将来のノーベル医学・
生理学賞受賞者を入学させた。筋を見抜く確かな眼力を持った先生がいたということですね。
AO入試、入社が悪いとは思えない。実施側に運用能力があれば、有用な補完的方法でしょう。
成功例と失敗例と実施基準を精査する総合研究を、並行的にやることで成功確率を向上させる
必要はあるでしょう。ひどい失敗例を減らすことは、調査をして改善すれば難しいことではない。
(基礎学力を全く見ない。代筆の小論文を見る。不確かな経験を過剰評価するでは話にならない)