私は前に、「銃・病原菌・鉄」という書籍を紹介した。
→ 知的な書評ブログ: 文明の歴史(銃・病原菌・鉄)
ただ、この書籍では、モンゴルへの言及がきわめて少ない。ちょっと触れたという程度であって、まともには論じていない。
一方、私はこの書籍への「私見」という形で、モンゴルの重要性を指摘した。
馬が最も軍事的に影響力を持った例は、「スペイン人がインカ人を征服したとき」ではなくて、「モンゴル人がヨーロッパ人を征服しかけたとき」であろう。これについて説明しよう。
オゴデイ(チンギスハンの三男)が、欧州を侵攻したとき、欧州人はモンゴル人の騎馬軍団になすすべもなく次々と打破されていった。馬に乗ったモンゴル人の侵略を受けて、ヨーロッパ全体は侵略される寸前だった。そこへ、偶然、オゴデイの死という知らせが届いて、モンゴル人は一挙に祖国へ戻った。おかげで風前の灯火だった欧州の命運は救われた。もしオゴデイの死という偶然がなかったなら、欧州はモンゴル人の支配下になっていたかもしれない。
( → 知的な書評ブログ: 「銃・病原菌・鉄」への私見2 )
ただし、モンゴルが衰退した理由は、上記に述べたほど単純ではない。基本的には、「内部分裂」というような主因があったようだ。
フビライの代で分裂は決定的になります。彼は、いままでの方針を破って、全族を集めないで(支持者だけを集めて)クリルタイを行った上で即位、また即位を宣言した弟を倒して、ハーンとなりました。これが気に食わなかったのが長男、次男、三男の家。とくに三男の家当主であるハイドゥとは軍事衝突に発展しています。
そうなると、もうあとは各地の地方政権ですから、ほかの歴史上の国と同様、隣国、兄弟家同士でたたきあったり(オゴタイハン国はチャガタイハン国に叩かれて消滅)、支配民族が反乱を起こしたり、ほかの異民族に倒されたりで、消滅していきました。
( → モンゴル帝国の滅亡について 【OKWave】 )
ただ、これとは別に、最終的にはペストの流行が決定的な打撃となったようだ。
8世紀頃に約2700万人だったヨーロッパの人口は、その後、順調に増大して1300年には7300万人にまで膨れあがった。しかし1348年にペストが大流行し、わずか3年間で人口の三分の一を失うにいたる。
この時のペストがどこで発生したかについては諸説あるが、もっとも有力な説は中国の南宋王朝で流行し、南宋と戦っていたモンゴル軍へと伝染したというものだ。
モンゴル帝国はアジアの大半からヨーロッパにかけて広大な領土を占有し、その支配下で中央アジアのステップ地帯を横断する東西貿易が盛んになった。その交易品の中にペスト菌を運ぶネズミがいたのであろう。ペストは西アジアからクリミア、ベネチア、北アルプスを経て、ヨーロッパ全体に広がった。シルク・ロードは疫病の通り道でもあったのである。
モンゴル帝国は1200年から1350年に最盛期を迎えたが、その後、弱体化し分裂していく。モンゴル帝国が衰退した理由の一つに異常気象とそれに伴う飢饉、ペストの大流行が挙げられている。
( → 疫病が変えた地球史 )
同様の記述は、Wikipedia にもある。
モンゴル諸政権の安定にとどめを刺したのはペストの大流行をはじめとする疫病と天災の続発であった。
( → モンゴル帝国 - Wikipedia )
14世紀には全ヨーロッパにまたがるペストの大流行が発生した。当時、モンゴル帝国の支配下でユーラシア大陸の東西を結ぶ交易が盛んになったことが、この大流行の背景にあると考えられている。
(ペストは)ドイツで発掘された遺体のDNA解析結果が2014年に発表され、病気の起源は今まで考えられたアフリカではなくアジアであるという。また過去の流行とも 関係なく、その後の流行とも無関係であったという。
( → ペスト - Wikipedia )
実は、同種の記述は、読売新聞・夕刊 2014-11-10 に解説記事があった。そこで、「大学入試問題に対する模範解答」という形で、上記のような話が記してあった。
つまり、同趣旨の話は、大学入試の正解となる程度に、常識的な基礎知識であるらしい。
そこで、紹介しようと思ったが、記事を丸ごと転載するわけには行かないので、同種の情報を求めて、ネットを検索して、上記引用部のような話を得たわけだ。
かくて、いろいろと引用する形で、紹介した。
──
では、紹介した意義は、何か? 単に高校レベルの世界史の知識の紹介か? いや、それだけではない。
冒頭でも述べたが、「銃・病原菌・鉄」という書籍がある。この書籍は、米国人・西洋人の視点に立脚している。「西洋文明がアジア文明より優れているのはなぜか?」というテーマを掲げている。
しかし実際には、「西洋文明はアジア人(モンゴル人)に滅ぼされかけた。そうならなかったのは、歴史の偶然にすぎない」(ペストのせいにすぎない)というふうになっていた。そのことを、「銃・病原菌・鉄」という書籍は見失っているのだ。
そこで、その見失った点を指摘するという形で、本項で補充知識を紹介したわけだ。
※ 「ペストのせいにすぎない」と言い切ってしまうのは、若干、問題がある。
「そういう要素もある」という程度に留めておくのが、正しい表現だろう。

> 貧弱なモンゴル馬では欧州のアラブ馬に
モンゴルは騎馬戦法でしたが、欧州はそうではないので、欧州にはもともと馬がたくさんいなかったんです。だから、「モンゴル馬 v.s. 欧州馬」の戦いではなく、「モンゴル馬 v.s. 欧州人」の戦いでした。馬同士の戦いはごく一部のみで、例外的でした。
──────
なお、上の OKwave のページに、次の記述があります。(転載)
──
歴史的に見ていくと、古代〜中世世界において遊牧騎馬民族というのは反則的に強いのです。フン族に襲われ大混乱になったヨーロッパしかり、万里の長城を作って必至に防ごうとしたにもかかわらず北方を幾度となく奪われた中国など、敗北例は山ほどあります。
基本的に兵は全部騎馬(普通、農耕民の軍隊でこれはまずありえません)で、しかもほかの民族には難しい騎射(馬の上で弓を撃つ)という戦法をすべての騎馬が可能(他の国はこれができるのは精鋭くらいなもので、精鋭であっても錬度の面で馬上で生まれ馬上で死ぬ遊牧騎馬民族にはとてもかなわない)です。
また、その機動力を余すことなく使用する戦術(代表的なものは偽装撤退。城攻めの必勝戦術でもありまして、相手に撤退すると見せかけて追い討ちさせ、それを迎え撃つという戦法です)を保有していました。
そのため、どんな強国でも優秀な指揮のもとで統制された遊牧騎馬民族にはかなわず、ホラズム(この国はモンゴル帝国の侵攻直前まで領土を拡張し続けており、決して弱い国ではないのです)や金も、敗北しています。ちなみに、この強弱関係がひっくり返るのは火器が積極的に導入されてからです。
→ http://okwave.jp/qa/q2797365.html
マムルーク朝軍がモンゴル軍を破ったとされるアイン・ジャールートの戦いは、兄モンケの死でフレグが本隊を率いて帰途につき、残されたシリア守備軍がマムルーク軍の「誘き出し作戦」に引っかかって包囲・殲滅された戦い。マムルーク朝は「大勝利」だと宣伝したが、モンゴル側は局地戦としか評価していない。その後の情勢(キプチャク・ハン国やビザンツ帝国との争い)でフレグはシリアを奪回できなかったけどね。
戦争は軍事力の差だけで勝敗が決まるわけではない。マムルーク軍は、この戦いの直前まで、総司令官クトゥズと部将バイバルスが対立していた。モンゴル軍が来たので、一時的に手を握ったにすぎない。勝利後、再び対立し、バイバルスがクトゥズを倒した。モンケも、次兄フビライと弟アリクブケがハン位をめぐって対立すると、帰還せずにイル・ハン国を建国した。彼が最初から引き返さなかったら、戦いの結果はちがっていたかもしれないのだ。
>この書籍は、米国人・西洋人の視点に立脚している。
>「西洋文明がアジア文明より優れているのはなぜか?」というテーマを掲げている。
書籍には
「現代世界においては、ユーラシア大陸系の民族、とりわけヨーロッパや東アジアにいまでも暮らしている民族と、
ユーラシア大陸から北アメリカ大陸への移民を祖先とする民族とが、世界の富と権力を支配している」
という記述がありますので、上記で挙げられたテーマは書籍の内容と合致しないように思われます。
米国人の著者の、国籍という属人的要素をもって立脚点とされておられるわけではないものと存じますが、
上記のお言葉は書籍の記述のどの部分に基づかれたものでしょうか?
●
>しかし実際には、「西洋文明はアジア人(モンゴル人)に滅ぼされかけた。
>そうならなかったのは、歴史の偶然にすぎない」(ペストのせいにすぎない)というふうになっていた。
>そのことを、「銃・病原菌・鉄」という書籍は見失っているのだ。
モンゴル帝国のヨーロッパ侵攻の中止と、管理人様の言及されている帝国の「内部分裂」は、
共に13世紀のことであり、この時点でモンゴル帝国の西方への拡大は停止しています。
一方ペストの流行は14世紀のことです。
両者の間には90年近い隔たりがありますので、
ペストの流行と、西洋がモンゴル帝国による征服から逃れたことに因果関係はないものと存じます。
余談ですが、モンゴル帝国が征服したロシアにおいても、モスクワ公国等のルーシ諸公国は属国として温存され、
ロシア正教会にいたっては免税特権を付与される等帝国の庇護を受けておりますので、
仮にモンゴル帝国がヨーロッパ全土を征服しても「西洋文明の滅亡」という事態に至る可能性は低かったものと存じます。
テーマについては、書籍の冒頭の、ニューギニア人との質疑応答の箇所に記述されています。
また、著者の欧米中心の思想については、書評サイトの「私見」のページでも述べています。
→ http://books.meblog.biz/article/9041426.html
このような見解は、他の人(読者)にも見られるようです。
なお、「西洋文明がアジア文明より優れている」という点は、別に論点とはならないでしょう。ただの歴史的事実です。私もそう思っているし。(日本の文明開化を見てもわかる。)
私はそのことを否定・批判しているわけではありません。「そこでは見失われている点がある」と補足しているだけです。比喩的に言えば、「15勝無敗の優勝ではなくて、11勝4敗ぐらいにすぎなかっただろ」という修正です。あと、「その戦力には、外人選手(アラビア文明・中国文明からの伝来)がたくさん含まれていた」という指摘もあります。
※ そちらは、「西洋人がアジア人より優れている」というふうに誤読したんじゃないの? 私はそうは書いていません。
(2)
> 因果関係はないものと存じます
因果関係じゃないですね。そうは述べていません。「影響する要素がある」という程度。本文の最後に書いてある通り。
ただし、ペストがなければ、モンゴル帝国がさらに長く続いたでしょうし、その場合、天才的な指導者が現れて再び欧州を侵略して支配するに至った……という可能性は、十分にあります。それだけの能力を持っていたことも事実です。
その能力が失われたのは、ルネッサンス期以後に欧州で火器が発達したときでしょう。そのときまでは、欧州がいつ支配されてもおかしくはなかった。実際、中国は支配されました。(元朝)
>テーマについては、書籍の冒頭の、ニューギニア人との質疑応答の箇所に記述されています。
書籍の該当箇所を読み直しましたが、該当箇所に「西洋文明がアジア文明より優れているのはなぜか?」
というテーマを述べている箇所は見出せませんでした。
一部で結構ですので具体的なセンテンスをご教示いただけますでしょうか?
●
>※ そちらは、「西洋人がアジア人より優れている」というふうに誤読したんじゃないの? 私はそうは書いていません。
>>著者は進化論学者なので、進化論の立場から歴史を解釈するわけだ。「勝者が優秀だ」という発想で。
>>しかし同じ人間(同一種)同士で「優勝劣敗」なんかを論じるのは、根本的にイカレた発想だ。
上記の記述のようにそれは管理人様の以前の読まれ方ですね。
私が気にかけているのは管理人様のお言葉と書籍の内容が合致しているかどうかです。
●
>因果関係じゃないですね。そうは述べていません。「影響する要素がある」という程度。本文の最後に書いてある通り。
私も「原因と結果として一対一である」という意味で因果関係と申し上げたわけではありませんが、では
「ペストの流行が、西洋がモンゴル人に滅ぼされなかったという結果に、及ぼした影響はないものと存じます。」
と訂正させていただきます。
ペストはモンゴル人とそれ以外を区別しませんので、
ペストによってモンゴルが衰退するなら、ヨーロッパや中国(漢民族)も衰退しますし、
逆もまたしかりです。
●
> ただし、ペストがなければ、モンゴル帝国がさらに長く続いたでしょうし、
>その場合、天才的な指導者が現れて再び欧州を侵略して支配するに至った……という可能性は、十分にあります。
>それだけの能力を持っていたことも事実です。
>その能力が失われたのは、ルネッサンス期以後に欧州で火器が発達したときでしょう。
>そのときまでは、欧州がいつ支配されてもおかしくはなかった。実際、中国は支配されました。(元朝)
「天才的な指導者」出現による欧州征服といいますとこれは歴史というよりフィクション、
仮想戦記やライトノベル等の領域のように思われますが、
歴史に沿って述べるならペストの流行とルネサンスの開始は共に14世紀であり、
中国王朝としての元は1368年に滅亡していますが、ヨーロッパで初めて火器が威力を発揮した戦いは1420年代、
チンギスハーンのモンゴル統一から東欧侵攻まで35年間でしたので、
「天才的な指導者」を待つ猶予はあまり長くないように思えます。