しかし、朝ドラの主人公がまれに見るクズ男だというのは、ドラマとしてはおかしいことになる。「そんなものは見ても面白くない」「そばにはクズ男ならいっぱいいる。いちいちクズ男なんか見なせられなくてもいい。うんざりだ。もう見たくない」と思うのが普通だから、ドラマとしては失敗だということになる。
ではなぜ、マッサンはクズ男なのか? というか、なぜクズ男として描写されたのか? これはドラマとしては矛盾に思える。
この謎を解き明かそう。
──
(1) 人物設定
基本としては、プロヂューサーの人物設定がある。
彼の生涯を追っていく中で、竹鶴政孝さんは「決して特別な人でも、天才でもない」というところがおもしろいと思ったんですよ。
これならきっと、等身大の冒険物語ができる。不器用な人間が、ひとつの出会いや巡り合わせを重ねてついに念願の国際ウイスキーを誕生させる……。
このドラマを偉人伝にするつもりはありません。
( → プロデューサーの談話 )
こうしてプロデューサーによって、「平凡な不器用な男」という人物設定がなされた。
(2) 役者の解釈
役者である玉山鉄二は、もっと明確に「ダメ男」をめざそうとした。
はじめて脚本を読んだ時点で、僕が演じる「マッサン」像が見えたんですよ。いろんな共感があって、マッサンの姿が明確なイメージとして現れたので、……
このドラマは、いわゆる“朝ドラ”の王道ヒーロー・ヒロインの描き方ではないと思うんですね。どこか人間的に欠落しているマッサンという男が、エリーの愛に支えられ、夢に向かって一歩ずつ上り詰めていくサクセスストーリーだと思っています。
相武紗季さん(田中優子役)が「マッサンって、ウイスキーとエリー以外はダメ男だよね」って言ってたんですけど、まさにその通り(笑)。夢とエリー以外は何も見えてないから、空気も読めないし、ワキも甘い。直線でしか物事を捉えられないがゆえの遠回りをしたり、とにかく不器用です。
あらゆる弱点を合わせ持ちながらも、マッサンはただ夢に向かって走り続ける。おそらくマッサンが誰も持ち得ないほど突出していたことは、夢を追いかける情熱の深さでしょうね。
( → 玉山鉄二インタビュー )
基本的にはダメ男として世間の人々の共感を得るが、その奥では才能があって成功する……というサクセスストーリーとして認識している。まあ、たしかにそういうふうに演じているのはわかる。それゆえ、このドラマは玉山鉄二によって、徹底的に「ダメ男」として演じられている。
だが、そのせいで、見ている視聴者としては、マッサンは「ただのクズ」と見えてしまう。演じている本人としては、コミカルに楽しい喜劇を演じているつもりなのだろうが、演技やドラマにまったく深みがない。要するに、つまらない。
(3) シャーロットの演技
マッサンに比べて、エリーの方はとても評価が高い。特に演じるシャーロットの演技力の評価が高い。
そのどこがいいのか? 行動の奥にある心理がわかることだ。では、その心理とは? 次のことだ。
「どれほど怒っても、騒いでも、その奥にはマッサンへの愛情があることが伝わる」
怒っても、泣いても、その奥にはマッサンへの愛情があることが伝わる。単に怒ったり泣いたりするのではない。表面に現れた怒りや悲しみの奥に、深い愛情があることがわかる。それは演技に二重性があるということであり、演技に深みがあるということだ。だからこそ素晴らしい演技となる。それは「心が伝わる」ということだ。
一方、マッサンの方はそうではない。怒りも苦しみも、すべては表面上のものに留まっており、その奥にある心はまったく窺えない。個々の演技には「二重性」がない。表面の心理だけがあって、奥の心理がない。
(4) 正解
では、どう演じれば良かったか? こうだ。
「表面ではどれほど軽薄なクズ男に見えても、その奥にはウイスキー作りへの限りない情熱がある。むしろ、その情熱が奥にあるからこそ、表面的には軽薄なクズ男と見えてしまう」
ここでは順序が逆になっていることに注意しよう。
玉山鉄二は、こう見なした。
「本質は平凡な男だが、そのあと意外なことに素晴らしい成功をする、というサクセスストーリー」
しかし正しくは、こう見なすべきだった。
「本質は傑出した情熱をもつ男であるが、世渡りをする能力が欠落しているがゆえに、世間からは軽薄なクズ男と見えてしまう(誤解されてしまう)」
これが正解だ。
具体的には、たとえば、こうするべきだった。
「エリーの就職に反対するのは、単に嫉妬しているだけのクズ男だからでなく、エリーが世間で傷つくのを心配しているからだ」(この点はドラマでも後になって少し示されていたが、マッサンの本心がそうであるということを示すような演技にはなっておらず、嫉妬に狂う馬鹿男というふうに演技されていた。)
「八百屋や駅員に就職するのを厭がるのは、些細なことを厭がるクズ男だからではなく、ウイスキーへの情熱がいつも頭から離れないせいで心にもないデマカセの理由によって就職を厭がる」(この点はドラマでもキャサリンが図星を突くという形で指摘していた。しかしそれが本心だということを玉山鉄二は演技していなかった。)
「小説を書くというのは、本気でそれを書こうとしているのではなく、ただの現実逃避として無駄なあがきをしているにすぎない」(この点はいくらでも演技のしようがあったのに、玉山鉄二は本気で小説を書こうとしていると演技している。)
要するに、玉山鉄二の演技には、「常に心の奥でウイスキー作りの情熱を燃やしている」という内面が窺えない。エリーには「奥にある愛情」が窺えたのに、マッサンには「奥にある情熱」が窺えない。だから、ただのクズ男にしか見えない。
この点は、堤真一の演技とも違う。堤真一は鴨居の大将を演じるとき、奥に秘めた野望を常に意識させる。「こいつは何かデカいこと(事業の大発展)を狙っているな」と意識させる。一見下らないこと(エリートの抱擁など)をしても、奥にある人物の大きさを窺わせる。表面の行動の裏に、奥にある人物を感じさせる。
ところが、玉山鉄二の演技には、そういうものがない。あくまで軽薄な人物として演技するだけだ。奥にある強い情熱などはまったく窺わせない。だから、ただのクズ男にしか見えないのだ。
本当なら、この点を、玉山鉄二はうまく演技するべきだった。つまり、「表面では軽薄に見えるが、奥に情熱を秘めている」(奥にある情熱のせいでかえって軽薄に見えてしまう)」という二重性を演じるべきだった。また、プロデューサーはそのような人物像を玉山鉄二に教えるべきだった。脚本家も、そのことを強く意識して脚本を書いて、その意図を正確に玉山鉄二に伝えるべきだった。
しかるに、プロデューサーも、脚本家も、役者(玉山鉄二)も、その意識がなかった。かくて、「単なる軽薄な男」という表面だけの人物ができてしまった。
これがつまり、「マッサンがクズ男」である理由だ。要するに、マッサンという人物は、本来はクズ男ではなく、「特別な情熱をもつがゆえに世間からはクズ男と見えるだけ」であるにすぎないのだが、プロデューサーも、脚本家も、役者も、主人公の人物設定をきちんと理解していないせいで、歪んだ人物像を作り上げてしまったのだ。
ま、それは、仕方ないとも言える。ドラマ制作の場では、もともと無能な人々が多いのが普通だからだ。
ただ、エリーについてだけは、事情が違った。シャーロットはエリーの人物像をきわめてよく理解していた。「その奥には深い愛情がある」という人物像を。だからこそ、エリーはとても魅力的な人物に仕上がった。シャーロットの演技力が、エリーという人物を、いかにも生き生きとした人物に見せているのだ。このドラマがこれほどにも視聴率を稼いでいることの大きな要因は、シャーロットの演技力にあると言えるだろう。
→ シャーロットのインタビュー (NHK)
→ シャーロットのインタビュー (業界紙)
→ シャーロットの記者会見
[ 付記 ]
難点はあるとはいえ、全体としてみれば「マッサン」というドラマはとても優秀である。特に、第1,2週は傑出した出来映えだった。
「こんなにハイレベルのままずっと突っ走れば、途方もない大傑作になるが、そんなことはあるのだろうか?」
と訝っていたが、やはり、第3週以後はレベルが急激に低下した。あげく今週ではとうとう息切れになってしまったようだ。しかしまあ、仕方ない。このあたりは中だるみということなのだろう。このままずっと続くようだと、とんでもない駄作になるが。 (^^);
ま、そのうち、最初のころのハイレベルを取り戻してくれるだろうと期待したい。(もしかしたら戻らないかもしれないが。……今はまあ、「死んだフリ」をしているだけで、そのうち「実は生きていました」と回復してくれるのだろう。……たぶんね。)
【 関連情報 】
テレビ番組:
NHK 総合 「まだ間に合う!「マッサン」スペシャル」
2014年11月8日(土) 午後3:05〜午後3:35(30分)

創作の脚本にまで才能があるなんて
ある意味人間離れしています。