2014年11月02日

◆ 自立する女性は古い

 「自立する女性」という女性像が理想視される傾向があるが、それは時代遅れだ。むしろ「与える女性」の方がいい。 ──

 これは前項の続き。
 前項で述べたように、魅力的な女性とは、「与えられたがる女性」ではなく、「与える女性」である。(特に心理的な面で。)
 これを言い換えると、「愛される女性」ではなくて、「愛する女性」である。
 
 ──

 さて。ここで対比させてみよう。ディズニーの人気アニメはどうか? こうだ。
 昔:王子様に愛されてハッピーエンド
 今:自立する女性


 たとえば、昔の「白雪姫」や「シンデレラ」がそうだ。美貌で、王子様に愛されて、ハッピーエンド、という形。


   
白雪姫/シンデレラ/ふしぎの国のアリス     白雪姫
(格安3枚パック。約 1000円。)     (高画質)



 ここから、アメリカ文化の「女性はセクシーが理想的」という発想が生じて、女性はやたらとセクシーなバービー人形のような体型をめざすようになった。



バービー人形



 しかし、このような「愛される女性」というのは、女性の権利拡張が言われたころ(ビートルズ世代以降)には、しだいに退潮しつつある。かわりに、「自立する女性」というのが、新たな理想像となった。
 その例として、「アナ雪」がある。このディズニー映画では、男性はハッピーエンドをもたらしてくれるものではなくて、もはや女性の添え物でしかない。
  → 「アナと雪の女王」みてきたんで、4コマでまとめときました。
  → アナ雪ってこういうことだよね : ほんとねこ
  → 「アナと雪の女王」あらすじ・ネタバレ | 1分で分かるネタバレ
 出迎えたハンスは、魔法を解くためにキスをして欲しい、とアナに言われるが、その願いを聞き入れなかった。ハンスは、王位継承順位が低く、自国では王になれないため、王女を狙って結婚し、王になることを考えていたのだ。




 今では「自立する女性」こそ素晴らしい理想像だ、という見解が広く流布している。働く女性はそう思っていることが多いし、朝日新聞でもしばしばその趣旨の記事が出る。
 しかし、本当にそうか? 

 ──

 「自立する女性」が素晴らしいかどうかは、次の質問を見るとわかる。
 「自立する男性はすばらしいか?」
 この質問には、もちろん、「ノー」と答えるしかない。「自立しない男性」はつまらないが、「自立する男性」は魅力的でも何でもない。ただの当り前の姿である。
 だから、「自立する女性」というのは、理想像でも何でもなくて、ただの当り前の姿なのだ。
 
 では、当り前でない理想の姿は何か? このことは、女性にとっての男性の理想像を見ればわかる。それは自分に全く新しい人生を与えてくれる男性(自分を生まれ変わらせてくれる男性)である。
 結婚は、男性にとっては「イベント」であり、女性にとっては「生まれ変わり」なのだ。男性は結婚することでそれほど自己の変化を強いられることはないが、女性にとってはアイデンティティーが変わるほどの出来事だ。
 結婚相手として魅力的な男性は、「より良く生まれ変わらせてくれる男性」ということになる。
( → 若者が結婚できない理由

 これは、換言すれば、「すべてを与えてくれる男性」である。アラジンの魔法のランプみたいな。





 このことを、男女ひっくり返して見ればわかるように、男性にとっての理想像は、「すべてを与えてくれる女性」である。しかし、そこまで望むのは夢物語であるから、現実的には、「何か少しを与えてくれる女性」が理想像となる。とにかく、「与えてくれる女性」だ。

 わかりやすく言えば、前項でも示した通りだ。つまり、魅力的な女性とは、愛を与えられる女性ではなく、愛を与える女性なのだ。つまり、「愛される女性」でなく、「愛する女性」なのだ。
 ひるがえって、「自立する女性」というのは、とんでもない方向を狙っている。それは、人と人との結びつきを大切にするかわりに、むしろ、人と人との結びつきを遮断しようとする。
 なるほど、そういうことは、子供にとっては大切かも知れない。親への依存を遮断することは、子供の自立にとっては大切だからだ。(通常、それは「反抗期」と呼ばれる。)
 言い換えれば、「アナ雪」のようなディズニー映画は、「自立する女性」を理想像とすることで、「男性への依存をなくせ」と唱えているが、それは、子供に対して、「親への依存をなくせ」と唱えるようなものなのだ。それはいわば、「子供レベルの女性」に対しての指南である。
 
 しかし、そのような指南は、あまりにも低レベルすぎる。そのことで、「愛されたい」と願うだけの「子供レベルの女性」は少しは成長するかも知れない。しかしそれはせいぜい「子供よりはマシになった」というだけのことだ。「立派な大人になった」ということではない。
 では、「立派な大人」とは? それは、「与える大人」だ。たとえば、「子供を育てる親」という立場だ。これならば、「与える大人」である。
 そして、そのことは、男女の間にも成立する。それが、「与える女」だ。特に、「愛を与える女」だ。その具体例が、マッサンの「エリー」だ。(前項)
 あらためて前項を読んでほしい。

 ──

 最後に一言。
 愛とは何か? 愛されることか? 愛することか? そのいずれでもない。愛とは、愛しあうことだ。こちらか愛し、相手からも愛される。そういうふうにたがいに愛しあうこと。それはいわば、「与え合うこと」だ。
 これが幸福ということの意味だ。あるいは、愛ということの意味だ。
 男と女は、与え合い、愛しあうことで、ともに幸福になれる。それは決して、一方的に与えられることではない
 なのに現実には、「与えられたい、与えられたい」と思う人が多すぎる。たとえば、「イケメンにモテたい」とか、「美女にモテたい」とか。そこにあるのは、「与えられたい」という発想だけだ。それは、子供の発想なのである。
 そして、いつまでたっても子供のような発想をしている人は、愛されることはない。そのような子供みたいな人を愛してくれるのは、アニメの世界の2次元像だけだ。そういう状況で、今の世の中には、アニメがあふれている。
 なぜ? たぶん、人々が愛というものを見失ったからである

参照



 【 関連項目 】
 本項で述べたことは、生物学的にも示すことができる。生物の本質は、「利己主義」ではなくて、「愛」なのである。(無性生物は別として、有性生物ではそうだ。)
  → 有性生物の本質

 上記項目に詳しく説明してあるが、利己主義との関係については、下記についても説明がある。
  → 利全主義と系統 (生命の本質)
posted by 管理人 at 09:30 | Comment(2) | 一般(雑学)2 | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
与えることの大切さ、甘やかすのとは違います。でも、付き合いが長くなると、時に、お互いに甘えも許せます。

素晴らしい論説、ありがとうございます。
Posted by あんどう at 2014年11月02日 17:07
100%賛同します.
夫婦は社会に対する行為のための核となるから,分かり易いです.しかし,夫婦でなくて他人に対して“与える”ということも,そのもとになる“求められる”というのも大きな喜びになります.2日前ですが,これほどの喜びは最近の記憶にありませんでした.卒業して初めて仕事に就いた頃,10数歳年上の女性の事務員がいて,ここはこういう人間関係になっているのよとか,いろいろと教えてくれました.退職してからもその人の趣味の書道の個展を観にいったり,ときどきお付き合いをしていましたが,ここ数年音沙汰がありませんでした.急にメールが来て「貴方にあって話を聞いて欲しい」ということでした.妹は音信不通で殆どお一人様,マンション住まいでうつか被害妄想で,精神科に強制入院になり,退院の矢先でした.あって話を聴きました.こんな嬉しいことは近年ありませんでした.長い人生の中で,人から真剣に求められることほど嬉しいことはないと思いました.不特定多数の署名や,買ってくださいといったお金の絡む求めではない,人生のご縁というような求めです.滅多にないですが,ものすごい喜びを感じます.
Posted by 森中 定治 at 2014年11月06日 08:59
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