2014年09月24日

◆ 朝日の誤報/政府の隠蔽

 吉田調書については、朝日の誤報と、政府の隠蔽を、同等に考えるべきだ。 ──

 吉田調書について、「朝日が誤報した」という批判があるが、朝日の誤報の責任だけでなく、政府の情報隠蔽の責任も、同時に考えるべきだ。
 次の二点が理由。

 (1)
 朝日が誤報したとき、政府はそれを「誤報だ」と指摘して、正しい情報を示すべきだった。すぐさま「誤報だ」と示して、正しい情報を示せば、何ら問題は生じなかったはずだ。
 とすれば、「日本人の名誉を失したから国益に反する」という保守派の難癖は、朝日だけでなく、政府にも向けられるべきだ。誤報を正す責任を果たさなかったからだ。
 どちらかと言えば、政府の責任の方が大きい。

 (2)
 政府が情報を公開しなかったのは、もともと政府が情報を公開するつもりがなかったからだ。そのせいで、公開もできずに、自縄自縛となった。
 とすれば、根源的には、「情報を公開しなかった」という政府の責任が最大の問題となる。
 なるほど、吉田調書の聴取をした時点では、「情報を公開しないこと」が聴取の条件となっていた。しかしながら,これは免責とはならない。本来ならば、聴取の終了後に、本人のチェックを経た上で、「プライバシーに関する場所(一部黒塗り)を除いて全面公開」という方針を取るべきだった。
 つまり、聴取の前に「公開しない」という条件を付けたからといって、それにこだわる必要はないのだ。事後的に、「問題ないのであれば公開」という許可を得るべきだった。そもそも、事態の重要性からして、公開が原則であるはずだからだ。また、この方針の場合、吉田所長が公開を拒んだとも思えない。(事後チェックを経たあとであれば。)
 なのに、政府はそうしなかった。これはつまりは、「情報を公開したくなかった」という政府の意向が働いていたとしか思えない。そして、その理由は、自民党ではなくて、官僚の責任逃れ主義(ことなかれ主義)だろう。
 そして、このような官僚の「秘密主義」を打破できず、調書をずっと秘匿していたという点で、最大の責任は政府にある。
( ※ このせいで、(1) のように、誤報に対して修正することもできなかった。ここでも、政府の責任が発生している。)

 ──

 以上の二点をかんがみれば、朝日の誤報については、次の3点が評価軸となる。
  ・ 不正確さがあったこと (マイナス)
  ・ 重要情報を公開したこと (プラス)
  ・ 朝日たたきのために調書が公開されたこと


 このうち三番目は、朝日の効果というより、世間の大騒ぎのせいで、「ヒョウタンから駒」みたいになった。結果的には、「災い転じて福となす」みたいになった。マイナスが逆転して大きなプラスをもたらしたわけだ。
 
 総合的に見れば、小さなマイナスと、中くらいのプラスと、(結果における)巨大なプラスとがあったことになる。
 とすれば、朝日のやったことは、「ドジを含むが結果的には大成功」と評価していいだろう。なぜなら、朝日が誤報をしなければ、吉田調書やその他の証言は、ずっと闇に埋もれていたはずだからだ。

 逆に言えば、今回、批判されるべきは、朝日よりも、情報を隠蔽していた政府なのである。これほどにも重要な情報をずっと隠蔽していた。そして、もし朝日の誤報がなければ、いつまでもずっと情報は未公開のままだったのだ。

 朝日の誤報よりも、政府の情報隠蔽こそ、何よりも批判されるべきだ、と私は思う。ひるがえって、朝日の誤報は、「結果的には情報公開をもたらした」という点で、「結果的にはプラス」と褒めてあげてもいい。

( ※ 比喩的に言うと、野球で守備にエラーがあったおかげで、相手が戸惑ってアウトになって無得点で終わった、というようなものだ。エラーのおかげで大成功。そういう感じ。)
( ※ 「そんなことがあるのか」と思うかもしれないが、ある。たとえば、ワイルドピッチで、それを見た走者が盗塁しようとして、本塁憤死。スリーアウト。試合終了。エラーのおかげで勝利。)
posted by 管理人 at 19:51 | Comment(3) | 一般(雑学)2 | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
いい指摘ですね。これ自体には反論できず「ぐぬぬっ…」となるしかないのでいい切り口だと思います。
Posted by viharati at 2014年09月24日 21:02
政府が非公開としたのは吉田所長の上申書に基づくもので、「隠ぺい」には当たらないのではないか、と思います。公開の努力はもっとすべきであったとは思いますが。
Posted by 吉田元所長の「上申書」の公表について at 2014年10月06日 21:11
吉田所長の上申書は、全文を原文のまま公開することを拒否しています。
 一方、本項では、「朝日が誤報したと問題視されている箇所」(全面撤退の箇所)について、正誤訂正だけすればいい、という趣旨です。
  ・ 全文でなくてもいい (該当箇所だけ)
  ・ 原文のままでなくてもいい (要旨だけ)

 このくらいならばできたはずなのに、何もしなかったことを「政府の隠蔽」と見なしています。

 一方、全文を公開したことは、必要がなかったかもしれません。今回、何か特別に重要なことがわかったということはないし、どちらかと言えば、吉田調書のいい加減さが明らかになりました。
 → http://openblog.meblog.biz/article/23665492.html

 全文公開はしない方が良かったかもしれません。どうも、政府の狙いは、「朝日をとっちめること」だけだったようです。その意味では、社会的には、逆効果をもたらしました。吉田調書は、安倍首相に政治的に利用されるだけだったようですね。本人の意図に反して公開されるべきではなかったとも言えます。その意味では、批判されるべきは、安倍首相だったかも。

 まとめると、
  ・ 事実については隠蔽した
  ・ 原文については過剰に公開した
 というふうに、二重の過ちをしたと言えそうです。
Posted by 管理人 at 2014年10月06日 22:14
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