2014年09月14日

◆ 東大教授(玉井克哉)の暴走

 東大教授と言えば、知性の代表と思えていたのだが、とんでもない暴走をする人もいる。 ──

 彼は朝日の記者を批判して、本ブログの記事を朝日の記者が書いたものだと思い込んで、ひどく怒った。
 しかるに、すぐあとになって、その勘違いに気づいた。





 勘違いして怒ったのだから、「ごめんなさい。間違えました」と謝罪すればいいのに、そういう謝罪はしなかった。他人の間違えにはめくじらを立てるくせに、自分の間違えにはしらんぷり。
 しかしまあ、これはよくあることだから、咎めないでおこう。

 ──

 しかるに、五日後の本日になって、新たに次のツイートを書いた。





 呆れた。ふたたび、本ブログ(Openブログ)を、朝日の記者が書いたものだと勘違いしている。謝らなかったから、自分のミスを忘れて、ふたたび同じミスをしている。

 実は、その少し前にも、次のツイートを書いている。




 ──

 まったく呆れる。「愚民」などと記した本ブログは、朝日の記者のブログではありません。勘違いしないでください。一度気づいたこと(自分の誤り)は、忘れないでください。

 でもまあ、東大教授にも、耄碌(もうろく)した人はいるのかもしれないね。若年性アルツハイマーかも。……お大事に。
 


 [ 付記1 ]
 「愚民などと罵り」と彼は言っているが、本ブログは彼のことを「愚民」と罵ったことはない。だいたい、個人が「民」「民衆」であるはずがないだろうが。民衆は民衆、個人は個人。個人が「愚民」であることなど、あり得ない。
 まったく、こんな読解力さえもないのでは、困りものだ。どれだけの知性があるのか、疑わしい。
 また、該当記事では、「大学教授不適格」とは書いていない。記事をそのまま引用すれば、こうだ。
 東大教授のレベルもここまで落ちたのかと呆れる。
 日本語をまともに読むことのできない東大教授が、どうしてまともな論文を書くことができるだろう?
( → 朝日の誤報?(特許権)

 「不適格」とは言っていないですよね。似たことは言っているが。
 とにかく、引用するときには、きちんと元の語句を引用しましょう。
 といっても、論文を書けない人に言うのは、もともと無駄かも。まともな引用能力があるとも思えない。馬耳東風、蛙の顔にションベンかな。

 なお、この大学教授のダメなところは、「愚民」とか何とかの片言隻句ばかりにこだわっていて、ブログの本筋(誤報かどうかという問題)についてはまったく知らんぷりでいること。
 ま、その点についてまともに論じれば、自分の間違いが赤裸々になるから、あえて肝心の問題を避けているのだろう。
 こういうふうに、本筋の対決を避けて、どうでもいい下らない片言隻句の争いに持ち込もうとするのを、何というべきか? 揚げ足取りに似ているが、もっと小賢しいですよね。「論点逸らし」と「揚げ足取り」の合わせ技かな。新規の論理ペテンの方法かも。

 [ 付記2 ]
 それにしてもこの人、本ブログに文句があるなら、本ブログの著者である私に向かって言えばいいのに。あるいは、きちんと批判の評論でも書けばいいのに。(ブログかホームページに。)
 それもできずに、 twitter で朝日の記者を個人攻撃するばかり。情けないね。どうして本ブログを直接批判しないんだ? (もちろん、論理では勝てないからですね。負ける戦いはしない、ということか。……それがわかっているだけ、利口だな。ちょっと感心した。「頭いい」と称賛しておこう。 (^^); )



 【 追記 】
 なぜこの教授はいつまでも勘違いし続けているのだろう? ……そう思って、不思議に思っていたが、ようやくわかった。この教授は、本ブログの記事を読んでいないのだ!
 そのことは、次のツイートからもわかる。





 このとき、相手の言葉をないがしろにして、該当のブログを読まなかった。かわりに、他のフォロワーからの評価(「悪口が書いてありますよ」という評価)だけを読んだ。だから、自分が何を批判されているか、さっぱり理解しないのだ。何しろ、誰がその記事を書いたかさえ、勘違いするほどなのだから。

 呆れた。
 この手の人々は、しきりに相手を批判するが、相手から自分への批判は、一切耳に入れようとしないのだ。
 その点は、片瀬久美子さんと同様だ。彼女は、私の批判があるとフォロワーから聞いたあと、該当の記事を開いたが、冒頭に否定的評価があるのを見て、その先の本体を読むのをやめた。だから、その先にある批判を読まなかった。読まないまま、勘違い記事を書き続けた。
 この教授も同じ。朝日記者への攻撃は続けるくせに、朝日の記者が「読んでください」と書いたブログを読みもしない。だから自分がどこをどう間違えているのか、さっぱり理解できないのだ。かくて、相も変わらず、デマを飛ばしている。

 自己への批判を読む勇気。それをもたない人々は、いつまでも勘違い記事を書き続けるのである。……これが、暴走の理由だ。

 ──

 ともあれ、まとめふうに言えば、こうなる。
 「朝日の記事については、読まずに批判する。本ブログの記事についても、読まずに批判する。いずれにせよ、読まずに対象を批判する。……これはまあ、論文の捏造みたいなものだ」
 世間は STAP細胞の捏造なんかに騒いでいる。だが現実に、「ありもしないもの」をあるかのごとく論じているのは、東大教授だった、というオチ。



 [ 補足 ]
 (1)
 「愚民」ということがだが、その意味対象が「民衆」であれば、個人への中傷や名誉毀損には当たらないので、「謝罪」そのものが成立しない。
 だから、「謝罪」の対象はあくまで個人である。このくらいの法的知識のない人もいるのかもしれないが。……ところで、この教授、専門は何だっけ?
 
 (2)
 彼が自分の間違いに気づけば、本項で転載したツイートは削除されて、残骸だけが表示されます。
 上記ツイートが表示されている間は、彼はそのツイートを削除していないので、自分の間違いツイートを取り消していないことになります。



 【 追記 】
     本項は、このブログには珍しく、個人攻撃の体裁を取っています。これは本ブログの方針に反します。ではなぜ、そうするのか? 
     (1) この教授がいつまでもしつこく個人攻撃をしているから。つまり、彼がイジメをしているという状況で、「イジメをする人のイジメをやめさせたい」という狙いがあります。これが最大の理由です。(比喩:ジャイアンがのび太をいじめて半殺しにしようとしているときに、ジャイアンに「やめろ」と言ってもジャイアンがイジメをやめない。そこで仕方なく、ジャイアンを蹴っ飛ばす、ということ。)
     (2) この教授がイジメをするときの理由に、本ブログを使っている。それも、本ブログを勝手に曲解することによって、だ。本ブログを正しく引用するのならばともかく、本ブログに書いてないことを書いてあると見なした上で、勝手に他人を攻撃するために使われたんじゃ、たまったもんじゃない。
     簡単に言えば、「嘘を言うな」ということ。この教授は、他人に向かって「嘘を言うな」と批判して、その理由として本ブログの記事を「嘘」の形で誤用している。とんでもないことだよね。

     




 【 関連項目 】

 本項は、次の項目を引き継いだものです。何の話かと思った人は、まずは次の項目をお読みください。
  → 朝日の誤報?(特許権)

 なお、上記は3回シリーズの1回目です。
 シリーズの2回目は、下記です。
  → 朝日の誤報騒動・その後
 3回を全部読むのは長くて大変だというのであれば、下記の項目(3回目)だけをお読みください。
  → 朝日の誤報騒動・その後2
posted by 管理人 at 21:25 | Comment(4) | 一般(雑学)2 | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
これは、

「ブログ記事の一言一言がそのまま西尾氏の意見だと取るしかない」
https://twitter.com/tamai1961/status/509104531137765376

「このブログの中身に一言一言、すべて責任を負うんですよね」
https://twitter.com/tamai1961/status/509105737411223552

というところから来てるのではないかと思われます。
因縁にも程があるという感じですが。
Posted by おっぱま at 2014年09月15日 01:07
まるでヤクザの因縁ですよね。
この東大教授が屁理屈で記者を叩いている様子は、コンビニで土下座を強要した人たちと良く似ています。
慰安婦問題や原発の吉田証言の問題に乗じて、特許記事が誤報だと言い掛りをつけ、それに対して反論した記者に対して、屁理屈を駆使して徹底的に攻撃し続ける。世間の空気が朝日批判一色という追い風があるから気分は無敵なのかも知らないけれど、空気を味方にした暴走は突然の逆風に見舞われる可能性も高く、この結末は破滅的な自爆になってしまうのかも。
Posted by 三男 at 2014年09月15日 07:53
東大教授の方に非があることは明らかです。
ただ愚民は個人への罵倒言葉として成立しますよ。
民と付くからといって必ずしも民衆・集団を表すわけではないです。
例えば「Aは日本国民です」はごくごく普通の表現です(ただし、この場合A=日本国民ではなく、Aの所属を表す表現と解釈も出来ますが)。
また愚民を複数形にした「愚民共」という表記も普通に使われることから、個人への罵倒として愚民を使っても文法上の問題はないでしょう。

それこそ言葉尻ですが、付記、捕捉と随分文章を割いて愚民の対象は民衆と主張しておりますので、ご指摘させて頂きました。
Posted by しろお at 2014年09月16日 17:01
まあ、一般論はともかく、原文を読めばわかるように、「愚民」はある種の大衆のことを意味しています。特定の人物のことを指すのに「愚民」という言葉は使っていません。

> 愚民を複数形にした「愚民共」

日本語に複数形はありません。

 ──

ちなみに国語辞典によると:

おろかな人々。 by 小学館国語大辞典 

愚かな人民。 by 大辞林

為政者のすることに無批判の人民。by 三省堂国語辞典。

……いずれにしても、特定個人を指すための言葉ではありません。

> 「Aは日本国民です」

 これは等価を意味するのではなく、集合の要素であることを示します。
 例:「2は偶数である」

 「偶数」という言葉で2を意味することはありません。
 同様に、「愚民」という言葉で特定個人を意味することはありません。

 なお、「彼は愚民だ」という表現は成立しますが、私はそのようなことは書いていません。
 
 ──

 この東大教授は、本ブログの記事を読んでいないから、勝手に勘違いしたんです。彼のもとには「愚民という言葉が書いてあるぞ」という指摘をしたツイートがいくつか寄せられたので、それを読んだ彼は、「愚民というのは自分のことを指したんだな」と勘違いしたんです。
 原文を読みもしないで文句を言う、という彼の特質がよく現れている。世の中には、誤読する人もいっぱいいるが、この東大教授は、読みもしないで勘違いする。故意の文盲みたいなものだな。(むしろ、恋は盲目、ならばよかったのにね。  (^^); )
Posted by 管理人 at 2014年09月16日 19:14
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