査読者が論文を却下すると、査読者がノーベル賞の受賞者を左右することになる。それでいいのか? ──
これは、前項の話題を引き継いでいる。つまり、次のことだ。
・ 小保方さんは 2010〜2012年に、論文を却下された。
・ その後、2014年に論文が刊行された。
・ その間に、別人が 2013年に論文を公開した。
・ そのせいで、別人がノーベル賞を受賞する可能性がある。
今回の話に限って言えば、別人がノーベル賞を受賞する可能性はあまり多くはない。とはいえ、別人がもっと上手に研究をしていたら、別人がノーベル賞を横取りする形で受賞する可能性はあった。
つまり、査読者が「論文を却下する」という形で、ノーベル賞の受賞者を左右することになる。本来の受賞者は、査読者のせいで受賞できなくなり、かわりに別人が受賞することになる。……(*)
では、そういうこと(査読者が受賞者を左右すること = 別人が受賞すること)は、好ましいのか?
──
もちろん、「それは好ましくない」というのが普通の判断だろう。……(**)
ところが、である。「 Nature が論文を却下したのは正当であった」という判断を取るならば、論理的な必然として、「(*)のことは正当だ」ということになる。これは、(**)のことに反する。矛盾。
──
ここで、私の見解を言えば、こうだ。(前出)
Nature が論文を却下したことは、その時点の価値判断としては特に非難されるほどのことではない。とはいえ、事後的には「妥当ではない」と評価される。
つまり、「非難される」というマイナス評価にはならないが、「正当である」という 100点プラス評価は得られず、50点ぐらいしか得られない。
私はそう考える。
──
ここで注意しよう。私のように「 50点の評価しか与えられない」という解釈を否定して、「 100点の評価だった」ということであれば、(*)のこともまた正当化される。
つまり、本来の発見者が受賞できなくなり、次点の発見者が受賞されることになる。このように、受賞者を査読者が左右することになる。それは正当なことなのか?
換言すれば、こうだ。
「科学の歴史において、真実を隠蔽して、虚偽を公認することは、妥当なのか?」
真実は、小保方さんが第1発見者であり、別人が第2発見者である。なのに、別人が第1発見者であると評価するということは、真実を隠蔽して、虚偽を公認するということだ。それは、科学者として、取るべき態度なのか?
科学とは、真実の追究であるべきだ。
なのに、人為的に歴史を歪めて、真実を書き換えて、虚偽を真実であるように見せかけることは、科学として妥当なことなのか?
逆に言えば、ノーベル賞というのは、真実を示すためのものではなくて、虚偽を真実として見せかけるための欺瞞の制度なのか?
以上のことを、私は問いかけたい。
なぜか? 私の意見は、少数派であるからだ。というのは、先に下記項目を書いたときには、反発者が多かったからだ。
→ STAP細胞の掲載拒否は妥当だったか?
ここでは、私は「STAP細胞の掲載拒否は妥当ではなかった」と結論した。
しかるに、はてブや twitter の反響では賛同者は少なくて、「掲載拒否は妥当だった」という見解が多かった。特に、トンデモ嫌いの人がそうらしくて、次の見解が多かった。
「過去に iPS細胞などで捏造事件が起こったのだから、そういう捏造事件の再来を防ぐためにも、慎重であることは妥当だった」
こうして、Nature の慎重な判断を支持する見解が多かった。
しかし、その見解に従えば、本項で指摘した問題が起こるのだ。つまり、真実ではなく虚偽が真実として歴史化される、という問題が。
この問題を、本項では指摘しておく。
( ※ つまり、「Nature の慎重な判断は妥当ではない」と結論したい。)
( ※ 捏造防止については、次項であらためて論じる。)
[ 付記 ]
「掲載拒否は妥当だった」という見解は、かなり多い。前項のコメント欄でも寄せられた。次の趣旨。
「ノーベル賞の受賞者が別人になっても仕方ない。その程度のことは、過去にもあっただろう」
たしかに、そういうことは過去にもあったかもしれない。しかし、「過去に悪があったから、未来においても悪があっても構わない」というのは、話の筋道がおかしい。それは社会や科学の進歩を否定する。
こういうふうに、「真実よりも虚偽が優先されることは、科学においては当然のことだ」と考える人がいるものだ。
【 関連項目 】
→ 査読は捏造を防げるか?(STAP細胞) (次項)
2014年02月06日
過去ログ

>・ その後、2014年に論文が刊行された。
>・ その間に、別人が 2013年に論文を公開した。
>・ そのせいで、別人がノーベル賞を受賞する可能性がある。
繰り返すけど、どうして、あなたはその「別人」が小保方さんよりも前に同様の結果に至っていた、という可能性を無視するの?
「どっちが先だったか」という「真実」はあなたにはまだわかってないでしょ?
それがわかる前から、小保方さんが「本来の受賞者」なんだと決め付けるのって、「真実」や「虚偽」にこだわる人のとるべき態度だとは思えないんだけどねぇ?
本項の論点は、査読者がノーベル賞を左右するか?では?(題名そのままですが、、)
公開が遅れたことによる社会的損失以外に当事者が実害を被る可能性が出てきたから本項がエントリーされたのでは?
後に真実として別人のほうがより早かったとしても本項の論点は何ら変わりないと思いますよ。
一般論としての話を具体論で説明しているだけなので。
ええ、おっしゃるとおりです。
僕は本稿の論点に対してコメントしてるわけじゃなくて、管理人さんの「真実」に対する態度につっこんでるだけです。
(実際は、前のエントリのコメントに返答しようとしたんですが、なぜかエラーが出て書き込めませんでした。
それでしばらく経ったら、こちらのエントリが出てきて、枕に前項の続きとして同じことが書いてあったので、こちらにコメントしたんです。)
繰り返すと、「真実」や「虚偽」にこだわる人にしては、「どっちが先か」に関する「真実」の扱いが杜撰じゃあないかと。
至るところで「小保方さんが先だ」って決め付けてますよね。
あとぶっちゃけて言えば、科学的な「真実」が明らかになればいいんだったら、最終的に誰がノーベル賞取ろうがどうでもいいんじゃないかと思うんですが。
「真実」が明らかになったことには変わりないんだから。
なんで管理人さんが、誰がノーベル賞取るかにこだわってるのかがさっぱりわからない。
言いたかったのは、「多能性獲得のメカニズム」という科学的な「真実」が明らかになったんだったら、それを誰が最初に見つけたかとか、誰が最初に論文にしたかとか、誰がノーベル賞取るかとかには、別にこだわることなくない?ってことです。
別に目くじら立てて「査読者のせいで小保方さんのノーベル賞がー!」とか騒ぐことないだろうと。
何だか誤読があるみたいですけど、私は別に「小保方さんが絶対に第1発見者だ」と決めつけているわけじゃないですよ。「小保方さんが第1発見者なのに、そうでないというふうに歴史が歪曲されることの是非」を論じているのであって、事実認定は別のことです。
例。 「明日大雪であるならば、大雪時に困らないように対策しよう」
→ nanashi 「明日大雪になると決めつけるのはけしからん!」
ひどい誤読。
> 誰がノーベル賞取るかとかには、別にこだわることなくない?ってことです。
それは、ノーベル賞を受賞する業績を上げた人が言う言葉。業績を上げてもいない人が言うことじゃない。
例。イチローが「国民栄誉賞にこだわるつもりはない」と語るのは勝手だが、凡人が同じことを言うのは馬鹿げている。自惚れすぎ。
なお、同じ文句を言うなら、ノーベル賞財団に言うべし。
「誰がノーベル賞取るかとかには、別にこだわる必要はない。誰にノーベル賞をあげたっていいじゃないか。どうせなら、クジ引きにすれば? ノーベル賞クジというのを創設して、クジで当選した人にノーベル賞を出せばいい」
ま、そんなことになったら、ノーベル賞というもの自体が無意味化するが。
ノーベル賞というものに価値があるのは、それが科学の真実を認定して、科学の発展に寄与しているからです。真の発見者を隠蔽して、別人に与えて、「誰に与えたっていいさ」なんていう態度を取れば、それは、ノーベル賞自体の権威を失墜させます。
ノーベル賞が真実にこだわるのは、ノーベル賞受賞者のためじゃない。ノーベル賞を与える側のためです。そこを勘違いしちゃ駄目だよ。
結局、あなたは、ノーベル賞というものを「お金と名誉をくれるための道具」としてしか見ていないから、誤解する。「ノーベル賞は真実の追究を通じて、人るの発展のために寄与する」ということを見失っている。
あなたのすべての主張は、ノーベル賞というものを「お金と名誉をくれるための道具」として見ていることに帰因する。
「〜するべきか?」
という形の疑問文であり、
「〜するべきである」
という断定文ではありません。
テーマに対して賛否両論を併記して、そのうちの一方を私が取る、という形で示しています。当然ながら、逆の見解があることも明示しています。(決着は付いていません。)
異論があることは最初から認めているので、いちいち「異論がある」というふうに示す必要はありません。
ともあれ、最後でも示したように、
「真実ではなく虚偽が真実として歴史化される」
ということが、現実に起こっている、ということが、本項の論議でもわかるでしょう。
「真実ではなく虚偽が真実として歴史化される」
ということは、とうてい起こりそうにないことだと思えるのだが、現実にはまさしくそういうことを推進する人々が多いのだ、という問題が現実に起こっています。そのことは本項のコメント欄を見ても明らかでしょう。
こういう問題がある、というふうに問題の指摘を示すのが、本項の話題です。つまり、両論併記こそが、本項の話題です。
どちらか一方に決着を付けることは、本項の直接の話題ではありません。
「世間では虚偽の支持者が多いのだ」
「小保方さんもそういう虚偽の支持者によって否定されかけている」
という事実を認識してもらえれば、本項と次項の目的は達成されます。
( ※ 「小保方さんを評価するまい」という否定的論者の見解は、次項のコメント欄でも見られます。一般世界では支持者が多いのだが、専門分野では否定論者が結構多いんです。……嫉妬のせいかどうかは知らないが。)
ま、本項のポイントを一言でいえば、こうです。
「科学者というものは、真実の追究をするものだと思われているが、実は、真実よりも虚偽を重視する人が多い。そういう逆説的な現実がある」
もしかして、脳内変換できない人のかな?
以下、私見
個人的にはテーマの問題回避には論文開示データベースのようなものが望ましいと考える。
名前は「海千山千」、「レモン市場」でも御自由に。
ただし、それだけでは誰も注目しないデータになってしまうでしょう。
誰かが注目し、価値を与えなければ賞を取れるほどには輝けない。
課題は「数多く提出されるであろうデータを全て正等に評価する方法」でしょうね。
「いいねボタン」でも導入しましょうかね?
>私は別に「小保方さんが絶対に第1発見者だ」と決めつけているわけじゃないですよ
そうですか、それをはっきり自覚してるんならそれでいいんですが、実際はそのへんアバウトですよね。
すぐ次の文で
>「小保方さんが第1発見者なのに、そうでないというふうに歴史が歪曲されることの是非」
なんて書いちゃってますからね。
ここは「小保方さんが第1発見者だったときに、・・・」と書かなきゃいけない。
「小保方さんが第1発見者なのに・・・」って書いたら、それは仮定じゃなくて事実として述べてることになるでしょ。
「真実」や「虚偽」にこだわるって人にしては、そのへんの言葉の選び方がルーズすぎるってことをずっと言ってるんです。
> 例。イチローが「国民栄誉賞にこだわるつもりはない」と語るのは勝手だが、凡人が同じことを言うのは馬鹿げている。自惚れすぎ。
おお、食いつきますねえ(笑)
でも残念ながら、その例であなたが何を言いたいのか、さっぱりわからない。
わからないながらも一応言っておくと、僕は別に「小保方さんはノーベル賞にこだわるべきではない」なんて言ってるわけではないですよ。
>どうせなら、クジ引きにすれば?
そんなことも言ってないです。
それぞれの分野のエキスパートが選考してるんだから、その人たちに任せておけばいいじゃんってことです。
>ノーベル賞というものに価値があるのは、それが科学の真実を認定して、科学の発展に寄与しているからです。
これは盛大な勘違いですね。
ノーベル賞に「科学の真実を認定する」なんて機能はない。
一切ない。
本気でそんなこと思ってるなら、ノーベル賞に関する発言はいったんやめて、いろいろ勉強しなおしたほうがいい。
>あなたのすべての主張は、ノーベル賞というものを「お金と名誉をくれるための道具」として見ていることに帰因する。
「道具」だとは思ってないけど、実際、ノーベル賞が与えるのは「お金と名誉」と、あとはメダルぐらいだよ。
「真実」のお墨付きなんかはもらえない。
別にお墨付きを与える権限はないけれど、「科学の真実を認定する」のは授賞の際の当然の過程です。当り前でしょう。そんなこともいい加減にしたら、滅茶苦茶になる。
科学の立場にある人は、自分の頭で考える際、「科学の真実を認定する」ことを常に実行する必要があります。科学とは、既存の知識を覚える(受け入れる)ことじゃない。自分の頭で考えることです。あらゆる生徒・学生がそれをなすべきです。それが勉強というものです。
また、そのために、「実験」ということも大切です。既存の知識を教科書から覚えることが大切なのではない。いちいち自分で「科学の真実を認定する」ために実験をなす。
nanashi さんはどうも、科学というものを根本的に誤解しているようだ。
> 実際、ノーベル賞が与えるのは「お金と名誉」と、あとはメダルぐらいだよ。
> 「真実」のお墨付きなんかはもらえない。
何かを「もらう」という乞食根性が、どこから出てくるんだか。ノーベル賞と聞いたとき、そんなことしか考えられないの? 山中さんや田中さんが受賞したときに思ったのは、「世界に認められた」ということですよ。「お金とメダルをもらえる」ということじゃありません。
ま、言ってもわからないだろうな。住んでいる世界がまるで違うから、世界観を共有するための言語がない。話が通じないですね。
nanashi さんが本サイトを読むのが実に不思議。株式サイトでも読んでいる方が向いているんじゃないの?
頭冷やしてください。
僕は
>ノーベル賞が与えるのは「お金と名誉」と、あとはメダル
と書いたのに、あなたは意図的に「名誉」を無視して、僕が「ノーベル賞の価値はお金とメダルだけだ」と考えているかのように返答した。
(僕は実際、ノーベル賞の一番の価値は名誉にあると思ってる。)
あなたが他の人に何度も言ってるふうに言うと、「誤読」ですよこれは。
>あなたは意図的に「名誉」を無視して、僕が「ノーベル賞の価値はお金とメダルだけだ」と考えているかのように返答した。
>(僕は実際、ノーベル賞の一番の価値は名誉にあると思ってる。)
管理人が最初で書いてる”お金と名誉”の名誉は”箔付け”という意味合いの例示として使っていますよね。
つまり”我欲を満たすためだけの名誉”という意味合い。その後の文章「ノーベル賞は……寄与する」から明らかでは?
それをうけて、nanashiさんの「お金と名誉」とわざわざ管理人の言葉を引用して「」つきで括っているのですから、
コンテキスト上、真実の追求を通じて社会に貢献したのが認められたという意味の名誉は入ってないと読めるのでは?
査読者が論文を闇に葬った結果、他の第一発見者以外がノーベル賞取っても問題ないんですよね?
(”発見者”というのはただ見つけただけなく実験含め証明までした人という意味合いです。念のため)
>ここは「小保方さんが第1発見者だったときに、・・・」と書かなきゃいけない。
>そのへんの言葉の選び方がルーズすぎるってことをずっと言ってるんです。
このブログは論文じゃないしnanashiさんは査読者じゃないし、重箱の隅をつつくような指摘ではないですか?
本項含め関連エントリーで小保方さんこそが第一発見者であることが真実だ。と誤読する人はいないと思います。
「何決めつけてるの?」「なければならない」というふうに指摘するのではなく、
”こう表現すればよりベターですよ”という感じで指摘すればいいのに。と思いました。
そもそも、個人ブログと言う形式のものを見に来てて、さらに過去のエントリーの
文体などが蓄積されているのですから管理人の表現に”寄り添う”のが基本だと思いますよ。
2chみたいに”名無し”同士の議論ではないのですから。
> あちこちに人格攻撃が出てきたから、これ以上はまともな議論は無理ですね。
あれ? 激おこぷんぷん丸? 意外だったな。
他の人は、「そっちが皮肉を言うなら、私も皮肉を言う」という形で返すと、たいてい激おこぷんぷん丸になるけど、nanashi さんはそうじゃないみたいなので、「珍しく人間ができているな」と思ったんだけど。やっぱり、「自分では悪口を言うけど、他人からは言われたくない」タイプ? ごめんね。皮肉が通じなかったみたい。
> 僕が「ノーベル賞の価値はお金とメダルだけだ」と考えているかのように返答した。
そんなこと書いていませんよ。原文を見てごらん。
「お金とメダルをもらえる」
というふうに記しています。ここでは、「もらえる」という語句があるから、「もらえる」の対象は具体物であることが必要です。名誉は「物としてもらう」ものじゃないでしょ? ノーベル賞の授賞式で「名誉」というものが手渡しされるわけじゃない。
──
ところで、名誉を欲しがる人は老人には多いけれど、若い人では名誉を欲しがる人は多くありませんよ。そういう俗物は、研究者には向いていません。
小保方さんは、「社会のために貢献したい」というのが願いでした。あちこちで報道された通り。
その最終段階で、「社会への貢献が世界に認められる」という形でのノーベル賞受賞ならば喜びでしょう。しかし、ただの名誉(勲章)なんて、たいして嬉しくないと思います。
名誉(勲章)を欲しがるのは、引退した人だけです。つまり、もう業績を上げられなくなった人。
小保方さんは現役バリバリですから、名誉(勲章)なんかより、業績をさらに上げることに熱中しているはずです。
やっぱりあなたには、研究者の気持ちはまったくわからない。住んでいる世界が違いすぎます。
楽しいことしてくれますね(笑)
>あれ? 激おこぷんぷん丸? 意外だったな。
いや、別に怒っちゃいませんよ。
あなたの返答に揶揄が入ってくると同時に内容も乱れてきてたので、ああ、頭に血が上ってるなあ、このまま相手するとめんどくさそうだなあ、と思っただけです。
落ち着いたんなら続けましょう。
>ノーベル賞の授賞式で「名誉」というものが手渡しされるわけじゃない。
まあ、その辺はどうでもいいですよ。
肝心なのは、ノーベル賞によって「科学の真実の認定」が行われるわけじゃないってこと。
つまり、ノーベル賞を受賞したからといって、その研究の信憑性があがったりすることはないし、逆に、ノーベル賞を(候補に挙がったけど最終的に)もらえなかったからといって、その研究の信憑性が疑わしくなるなんてこともない。
だから、ここで前に書いたことに戻るけど、科学的な「真実」さえ明らかになればいいんだったら、最終的に誰がノーベル賞取ろうがどうでもいいでしょう。
ノーベル賞の選考の俎上に上がってる時点で、その研究の信憑性は非常に高いレベルでクリアされてて、その信憑性に関する評価は、ノーベル賞をもらえたかもらえないかで変わったりはしないんだから。
「ノーベル賞で科学の真実が認定される」なんて思ってたら、もらえるかもらえないかが「科学の真実」に大きく関わってくると思うだろうけど、実際はそんなことないってこと。
していませんよ。実際、ちゃんと書けているじゃない。そもそも、
> これ以上はまともな議論は無理ですね。
と撤退表明をした人をブロックするはずがない。
> ノーベル賞によって「科学の真実の認定」が行われるわけじゃないってこと。
その点の誤読はすでに示したでしょ。
「(世間的に)科学の真実の認定」がなされるのではなくて、「(主体として個別に)科学の真実の認定」をする、ということ。そんなことは科学者や学生なら誰もが個人的にやっている。私だってやっている。それが「考える」ということです。
同じことを何度も言わせないで。
あなたが私の話を読まないと(自分の誤読による妄想対象ばかりを攻撃していると)、その場合には、ブロックの対象となります。
今回、イエローカード1枚。あと1枚で、レッドカードになります。
IDをよく見てごらん。
きのう丸一日、エラーが出て書き込めなかったのが、たまたまIDをタイプミスして確認ボタン押したらすんなりOK。
で、元の名前に戻して再度確認したらエラー。
だから前のコメントはタイプミスしたIDで書き込んでるの。
それで、今はまたもとのIDでも書き込めてる。
どういうシステムになってるんですかね(笑)
>> ノーベル賞によって「科学の真実の認定」が行われるわけじゃないってこと。
>
> その点の誤読はすでに示したでしょ。
あなたも人の書いてること読んでないですね。
そのあとの、「つまり、・・・」以降が本論なの。
もともと僕が言ってたのは「真実にこだわるだけだったら、ノーベル賞を誰か取るかなんてこだわることなくね?」ってこと。
それに対してあなたが「ノーベル賞の価値は真実を認定するところにあるんだ」って言い出したから、「ノーベル賞に真実を認定する機能なんてない」って返答したの。
それに対してあなたは同意したけど、その後、もともとの「真実にこだわるだけだったら、ノーベル賞を誰か取るかなんてこだわることなくね?」に対してあなたはなんの返答もしてないでしょ。
前のコメントは「つまり、・・・」以降でそれを問いただしてるんだけど?
まあ別に答える気がないならどうでもいいよ。
僕もこれ以上はここにはコメントしないし。
あなたの自説はあなたのサイトで展開して欲しい。
間違いの指摘のつもりでしょうが大きなお世話。楽しく読めないです。
だからネイチャーだけに責任を求めるのはいかがなものかと、
ネイチャーにだして世に認められたいっていうのと、発明として特許で出願しておくというのと併用してたら問題ないのではないでしょうか?
特許はいつ出願したんだろう
もちろん発明と発見は違いますけど、ネイチャーが十分な実験結果重視なのはわかってたはずなので
深読みして誤読する人が多いけど、そんなことは述べていません。本項はネイチャーの責任を問うているわけではないし、非難しているわけでもありません。では何かというと、本文中に書いてある通り。引用すると:
> その見解に従えば、本項で指摘した問題が起こるのだ。つまり、
>真実ではなく虚偽が真実として歴史化される、という問題が。
> この問題を、本項では指摘しておく。
つまり、論じているのは、ネイチャーの是非ではなくて、ネイチャー擁護の是非。
比喩的に言えば、安倍首相の是非ではなくて、安倍首相を支持することの是非。
両者は別のことなので、区別してください。
結局、何が問題かというと、「虚偽を歴史的真実として記録することの是非」です。で、ひゃまさんのような人は、「虚偽を歴史的真実として記録するべき」と主張していることになる。
で、私は、その事実をしてしているだけ。それに対して良いとも悪いとも言っていません。勝手にすれば、というスタンス。真実よりも虚偽が好きな人は、世の中にたくさんいる。というか、ほとんどの人がそうだ。
真実の方が好きだ、というのは、私とか小保方さんとか、ごく少数の人だけです。で、そういう人々は、世間から「学問を愚弄している」というふうに批判されます。
つまり、私は批判される側であって、批判する側じゃない。私を見て、「ネイチャーを批判している」と思うのは、完全な誤読。その逆です。(批判される側です。)
どちらかというと学問を愚弄してるってよくいわれてるのはひゃまもそうですからw
ただ、記録をいうならネイチャーでなくてもよいのかと
ネイチャーやサイエンスにだしたこともないひゃまがいうのもなんですが、他の雑誌に出したことも無い新規性と充分すぎるデータを、同時に求めるなら、このような歴史的な発見に出す雑誌にそぐわないのかもしれません。
ポアンカレ予想の論文のようにAxrivにだしておいてもよいのかもしれませんね。
nanashiさんのような粘着厨はストレス解消したいだけですよ。おそらく、彼は現状が惨めでとても不幸か、何かのストレスで攻撃的になっているのでしょう。時間がもったいないと思います。