食糧危機の問題への解決策として、「ネリカ米」というのを先に取り上げた。そこでは、次のように主張した。
「ネリカ米だけでなく、おかずや調味料も必要だ」
その際、次のように指摘した。
「ネリカ米は陸稲なので、水を大量に必要とする水稲とは異なる」
(緑の革命のときの水稲とは異なる。)
ただし、もっとよく考えてみると、アフリカ(ただし熱帯雨林と砂漠を除く地域)の大半はサバンナ気候であり、降水量が少ない。( → 気候地図 )
だから、陸稲であろうと、水をかなり必要とする。ならば、降水量をあまり必要としない作物の方が、いっそう適しているだろう。
そこで、イモを提案したい。
(サツマイモ・ジャガイモ・タロイモなど。)
イモは、土壌の痩せた土地でも生育するし、必要とする降水量も少なめで済む。(イモそのものは地中にあるからだ。)……というわけで、アフリカのように降水量の少なめのサバンナ気候の土地には、ネリカ米などの米よりも、イモの方が適しているはずだ。
──
ではなぜ、イモはこれまで作られなかったか? それは、イモが換金作物ではないからだ。イモは、重たいし、先進国まで運ぶ手間が馬鹿にならない。その点、小麦ならば、小麦粉にしてしまえば、先進国に運ぶのは容易だ。腐ることもないし。……というわけで、換金作物としては、小麦が最適だ。次いで、米だろう。(米もモミの形で運ぶことはできる。)
その点、イモは、運びにくい。そのまま運べば、傷だらけになるかもしれないし、途中で腐るかもしれない。かといって、水分をなくすためにエネルギーを使えば、価格が高くなる。イモの最大の美点が消えてしまう。……というわけで、イモは、換金作物にはなりにくい。(自国内の消費が原則であり、途上国から先進国に輸出するのは不向き。)
しかし、である。今の食糧危機では、アフリカなどの途上国の食糧が問題となっている。とすれば、ここでは、「換金作物」にこだわる必要はない。むしろ、「現地で作りやすいものを作り、現地で消費する」という方式が最適だろう。そのためには、小麦や米よりも、イモの方がいい。……私はそう思う。
つまり、「途上国はネリカ米を増産するべし。先進国はそれを援助するべし」というの方針(アフリカ開発会議 2008-05 )は、ズレているわけだ。
( ※ 同会議では「各国の首脳に対し一村一品運動の紹介も行われた」ということだ。このように多様な作物を展開する方が理にかなっている。単一主義は好ましくない。)
※ 以下は、特に読まなくてもよい。興味のある人向けの情報。
【 参考資料 】
Wikipedia 「芋」から抜粋・引用。
芋は、澱粉質などの糖質を多く含み栄養価も高いことから、世界には芋を主食としている地域が多数ある。ジャガイモやサツマイモのように、痩せた土地でも耕作が出来る。この記事からすると、イモの最大の欠点は、その最大の長所自体であるようだ。あまりにも容易に安定供給が可能なため、供給が増えすぎて、金にならないのである。
穀物栽培と比べて容易で効率が良いというメリットがある。
穀物と比べると保存が利かない。
広い地域で様々な品種の芋が栽培されており、多くの飢餓を回避してきた。
栽培場所を選ばず安定供給が可能なため、得易く安価な食料として庶民に広く親しまれてきた。しかし、「何処でも得られる食料」ゆえ、蔑まれる傾向も見られる。
しかし、その点こそ、食糧危機の現在では、必要な性質だろう。
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なお、私としては、「イモだけ」を唱えているわけではない。植物タンパク質の点からして、大豆もまた必要だろう。
Wikipedia 「大豆」から引用。
植物の中では唯一、肉に匹敵するだけのタンパク質を含有することから、近年の世界的な健康志向の中で、「ミラクルフード」として脚光を集めている。「畑の牛肉」の異名もある。これからすると、先に「ネリカ米だけで足りるか?」で述べたこと(おかずや調味料も必要だという点)については、「大豆」が解決策をもたらすことになるだろう。
蛋白質や脂肪、鉄分、カルシウムなどミネラルが多い。
低カロリーながらタンパク質やカルシウムを多く含むため、栄養源として重要である。
また、日本料理やその調味料の原材料として中心的役割を果たしている。
利用例: 豆腐 ,油揚げ ,厚揚げ ,がんもどき(飛竜頭) ,高野豆腐 ,豆乳 ,ゆば ,おから ,黄粉 ,醤油 ,味噌 ,納豆。
( ※ さらに言えば、五穀もあるが、これは現代ではダイエット食品です。食糧危機の回避とはちょっと方向が逆みたいですね。 (^^); ……ただし、メタボの人には、五穀をお勧めします。作る方じゃなくて、食べる方で。)
[ 付記 ]
芋の栽培に当たっては、注意するべきことがある。次のことだ。
「収量の多い単一種ばかりを栽培してはいけない」
これは、進化論における「自然淘汰」の発想を否定した発想である。「優れたものが生き延びる」という発想を取ると、収量の多い単一種ばかりが栽培されるようになる。しかし、そういうことをなしてはいけない。絶対に。
なぜか? そのことはアイルランドにおける「ジャガイモ飢饉」の例を見るとわかる。
アイルランドでは、「ジャガイモ飢饉」と呼ばれる大飢饉があった。これは世界の歴史を書き換える飢饉だった。アイルランドではジャガイモの不作のせいで、国家規模で大量の餓死者が出た。(国民のうちの一部はひもじさのあまり、アメリカに流れた。)
ではなぜ、アイルランドでは、「ジャガイモ飢饉」という大飢饉があったのか? ジャガイモにおける疫病のせいだ。そして、それがなぜこれほど大規模になったかというと、次のことによる。
「収量の多い単一種が栽培されたため、多様性がなくなり、疫病への抵抗力が全体として失われた」
これに対して、疫病の原産地である南米では、多様な品種が栽培されていた。だから、特定の一種が疫病でやられたとしても、他の種は生き延びるから、「疫病のせいで全滅」ということは免れる。
アイルランドではそうではなかった。「収量の多いものが優秀だ」という淘汰主義(ここでは人為淘汰)によって、優秀な単一種ばかりが栽培された。そのあとで、疫病ゆえに、全滅することになった。
( → Wikipedia 「ジャガイモ飢饉」から趣旨を解説した。)
なお、このような「特定の単一種が増えたあとで全滅する」というのは、目新しいことではない。その原理は、先に示した。
→ ミツバチの教訓 4 (生物の目的)
ともあれ、以上のことから、次の結論が得られる。
「収量が多いからといって、特定の単一種を栽培してはいけない。大切なのは、優秀さではなく、多様性だ。」
そのことを忘れると、あるとき突然、疫病が襲って、イモといっしょに人間が大量に倒れてしまいかねない。つまり、大飢饉だ。
自然淘汰(優勝劣敗)を絶対視する発想は、人類にとって非常に危険なのである。それは「ハイリスク・ハイリターン」という形で、あるとき突然、全滅をもたらしかねないからだ。
「生物においては多様性こそ何よりも大切だ」
このことをはっきりとわきまえておこう。目先の収量などにとらわれてはならない。
【 関連項目 】
→ ネリカ米だけで足りるか?
→ アフリカの未来
