( ※ 本項の実際の掲載日は 2011-11-29 です。)
「生命の本質は、数の増加だ」という説がある。あるいは、主語を「生命」から「進化」に変えて、「進化の本質は、数の増加だ」という説がある。(ダーウィン説にもとづく発想。)
しかし、これは誤りだ。
論証は簡単だ。進化の歴史を見ればいい。次のことがわかる。
「生命は進化の程度を高めるにつれて、『数の増加』という性質を弱めてきた」
このことは、具体的な進化の過程を見ればわかる。
- 単細胞生物 → 無脊椎動物 → 魚類 → 両生類 → 哺乳類
また、人間同士を見ても、未発達な途上国では多子多産だが、発達した先進国では少子化している。
──
では、どうして、こういうことが起こるのか? それは、別所に記してあるとおりだ。その趣旨は、こうだ。
「進化の過程では、量の拡大ではなく、質の向上がある」
生物は進化するにつれて、質的に向上してきた。そのことは、上の進化の過程を見てもわかる。そして、質的に向上するにつれて、死亡率がどんどん下がっていくから、数の増加は必要なくなる。
逆に言えば、質的に低いものほど、多子多産である必要がある。その意味で、次のように言える。
「進化の本質は、質の向上であり、量の増加ではない。質の向上がどんどん強まるにつれて、量の増加はどんどん弱まっていく」
下等な生物は、質が劣るがゆえに、死亡率が高い。それを補うために、多子多産である必要がある。そして、多子多産であるためには、大量の子(≒卵)を生み出す必要があるので、一つ一つの子(≒卵)は小さくなる必要がある。そのせいで、必然的に質は低くなる。……つまり、「質の低さ」と「量の多さ」は、ほとんど一体化している。
一方、高等生物は、質が優れているがゆえに、死亡率が低い。そのおかげで、少子少産で済む。そして、少子少産であれば、大量の子(≒卵)を生み出す必要がないので、一つ一つの子(≒卵)は大きくすることができる。そのおかげで、必然的に質は高くなる。……つまり、「質の高さ」と「量の少なさ」は、ほとんど一体化している。
このように、「量の多さ」と「質の高さ」は、たがいに矛盾する。こちらが立てば、あちらが立たず。そして、高度に進化した生物は、「量の多さ」を犠牲にして、「質の高さ」を果たしたのだ。
以上からわかるだろう。
進化の本質は、「数の増加」ではなく、「質の向上」だ。そして、「質の向上」のためには、「数の増加」はむしろ抑制されていく。人間に至っては、「数の増加」はほとんど最小限にまでなっていく。(生涯出生率[合計特殊出生率]は 2.0 をほんのちょっと上回る程度だ。これ以上は下がらないほどにも下がっている。これが進化の極致であろう。)
──
では、生命の本質は何か? 生命の本質は、「数の増加」ではないとしたら、何なのか? それは、下記項目で述べた。
→ 利全主義と系統 (生命の本質)
つまり、生命の本質は、「系統の存続」である。わかりやすく言えば(俗っぽく言えば)、「種が持続すること」である。
「系統の存続」ないし「種の存続」だけが大切だ。ここでは「存続」が大切なのであって、「増加」は大切ではない。生命の本質は「増えること」ではなくて「生きること」だ。種レベルで言えば、「存続すること」であり、「絶滅しないこと」だ。
生命というものは必然的に「生と死」を備える。そして、下手をすれば、個体の「死」ゆえに、種が「絶滅」しかねない。その「絶滅」という罠を回避するシステムを備えた種だけが、歴史による淘汰の圧力を超えて、生き延びる。
生命にとって何よりも大切なことは、「生きること」であり、「増えること」ではない。そして、「より良く生きること」のためには、「増えること」はむしろ有害ですらある。だからこそ、生命は進化の過程を経て、「増える能力」を徐々に失い、「良く生きる能力」(つまり質)をどんどん高めていった。……それが進化の歴史からわかる。
( ※ というわけで、生命や進化の本質を「数の増加」と見なす発想は、間違っているわけだ。)
【 関連項目 】
さらに詳しい話を、次の各項で示している。生命の本質に関わる話なので、読んでほしい。
→ 増加の意味
→ 利全主義と系統 (生命の本質)
→ 進化の本質
→ 有性生殖の意義
→ 下等生物/高等生物
→ 生命の本質(総集編)
《 番外 》
→ 進化論(ダーウィン説)の問題点
