パロマのガス機器の死亡事故があった。シュレッダーによる子供の指の事故もあった。これらの事故が起こるたびに、事後的にいちいち反省するよりは、事前に一括して危険性をチェックした方がいいだろう。つまり、「危険学」というべき研究分野を構築する。 ──
「失敗学」があるのなら、「危険学」もあっていい。そういう発想だ。
この発想のもとで、「危険分析センター」でも構築する。そこで商品の危険性を一括して調査する。
その意味は? 現状では、個別企業がいちいち対処するが、企業は「魅力ある商品を開発する」ことに専念しており、「商品の欠点を修正する」という視点がない。人は誰しも、事故の美点を見たがり、欠点を見たがらない。欠点を見るには、他人の目が必要だ。そこで、第三者たる「危険分析センター」が必要となる。そこでは体系的な研究がなされる。それが「危険学」だ。
例1。
シュレッダーならば、開発の時点で、「子供の指」を想定する。現状では「入口の溝の幅を2ミリ程度に狭くする」という対処が取られているが、これでは使いにくくて仕方ない。むしろ、幅を狭くするかわりに、深さを深くすればいい。指の長さはせいぜい10センチだから、深さを10センチにする。シュレッダーの高さは現状よりも10センチぐらい高くなるが、やむをえまい。
ただ、私だったら、この10センチを弱いS字型のカーブ状にしますね。それなら指が通らないので。これだと10センチもいらない。なお、実をいうと、S字型でなく、 ) 型でも足りる。
次の図では、矢印の方向に指を入れることは可能だ。
指が手前(図では右)に曲がるので。
| ↓
|─ ───
| ((
次の図では、矢印の方向に指を入れることは不可能だ。
指が手前(図では右)に曲がらないので。
| ↓
|─ ───
| ))
( 参考 )
指の形
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∪
例2。
ガスならば、ガスの過去の事故例を一括してデータ管理する。危険性を統計的にチェックする。パロマのガス機器で死亡例が多ければ、ただちに統計的に危険性が判明するので、チェック担当者が調査開始する。
警察との連携が必要。
例3。
回転ドアの死亡事故も、例1や例2の対処ができる。
公園の遊具の事故も同様。
隅田川の停電事故でも、危険性はあらかじめ予知されていた(河川に警告があった)のだから、対処不足があらかじめわかっていたはずだ。
例4。
地球温暖化にともなって、洪水の恐れが大きくなっているという。洪水と満潮が重なって、隅田川の堤防が決壊したなら、水深2メートルの浸水があって、百万人規模の被害が出そうだ、という。(読売新聞・朝刊・中ほどの面のコラム 2006-08-30 )
これはかなり甘い見通しだ。なぜなら、「洪水が地下鉄に流れ込む」ということを考慮していないからだ。もしそうなったら、地下鉄全体が水没し、かつ、地下鉄にいる人々が何千人か何万人も死んでしまいそうだ。
比喩的に言えば、蟻の巣に、水を流し込むようなものである。(私は子供のころにやったことがある。ああ、何と罪深いことか! 悪ガキだ!)
で、その溺れる蟻が、東京の地下鉄の乗客だ。あっぷ、あっぷ。
そのときにならないと、対策もしないわけ。死者が莫大に出てから、「あのとき南堂の声を聞いておけば良かった」と後悔するんですかね。蟻みたいな知恵。
例5。
地震対策も大事だ。9月1日の朝刊・夕刊では、かなりいろいろと「対策の重要性」が示されている。しかし現状は、統一的な対策が考察されておらず、ただの個別対策の寄せ集めになってしまっている。もっと総合的・網羅的に考察する必要がある。
これについて詳しくは、次項で述べる。
まとめ。
危険性については個別企業が単独に自主的に対処するのではなく、独立した調査機関が組織的に研究するべきである。「危険学」の確立。
その意味は? 「市場原理に任せれば社会は最適化する」なんていう発想を捨てることだ。企業が求めているのは、利益の追求であって、消費者の利益(安全性)の保護ではない。両者はむしろ相反する。市場原理万能主義では、国民の生活は危険さらされる。
市場原理に任せていいのは、商取引だけである。人間の安全や生命は、金で片付く問題ではないのだ。「死者が出たら賠償金を払います」というふうに片付く問題ではないのだ。人の命は金では買えない。人の愛もまた同じ。
「あなたのお子さんが死んだのですね。では慰謝料を千万円払います。これで取引完了」
という具合には行かないのだ。生命や愛を大切にするためには、市場原理よりももっと重要な原理に従う必要がある。
(とはいっても、小泉やら安倍やら経団連やらには、馬の耳に念仏かも。彼らは馬ですからね。米国にいる鹿と仲良し。だから二人はつるみたがる。)
