茶畑やミカン畑のほか、米作をする棚田についても、太陽光パネルを設置すればいい。
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前々項と前項では、茶畑とミカン畑について、「太陽光発電をして、小規模の農業を併用すればいい」と示した。(山地の農業)
同様に、米作をする棚田についても、「太陽光発電をして、小規模の農業を併用すればいい」と言える。ただし、小規模の米作はありえないので、「桃栗でも植えて、果樹園をやればいい」となる。
この話は、前にも述べたことがある。下記だ。
→ 棚田を保全するべきか?: Open ブログ
それと同趣旨の話を繰り返す。ただし今回は、私に逆らう Gemini を相手にした。例によって、Gemini は私に逆らって、従おうとしなかったが、私があれこれと説き伏せると、最後には屈服した。
あなた:
棚田は、環境にいいし、美しい。しかも、食料増産と自給率向上の効果がある。ゆえに、国が多額の補助金を出すのは当然である。ーーーそう言っていいか?
Gemini:
あなた:
棚田は長所が短所を上回る。ゆえに全国的に棚田を推進するべきだ。日本中の山林を棚田に転換するべきだ。転換の途中では、多くの山が禿げ山となるが、やむを得ない。
日本には山林は必要ない。棚田さえあればいい。棚田の方が金儲けになる。何しろ、事業は赤字でも、補助金をたっぷりもらえるからだ。
また、水源涵養でも、棚田には貯水効果があると謳われているので、問題ない。日本中の樹木を伐採しよう。棚田にするために。
ーーーそう言っていいか?
Gemini:
あなた:
君が森森保全のために言ったことは完全に正しい。しかしそれならば、部分的に少量の棚田を推奨するのは矛盾している。多くても少なくても、悪は悪だからだ。
君の理屈は、「多いと悪だが、少ないと善だ」というものだ。これは「大量に殺人は悪だが、俺がやるのは少量殺人だから悪でない」というのと同じだ。行為そのもので善悪を決めるのでなく、行為の規模で善悪を決めている。
先に君が棚田を擁護した言葉には、すぐ上で君が批判した言葉が、ブーメランのように降りかかる。
Gemini:
ご指摘、ありがとうございます。私の説明に論理的な飛躍があった点、また、行為の善悪を規模だけで判断しているかのような印象を与えてしまった点について、より明確にご説明させていただきます。
規模による善悪の判断ではない
私が棚田の限定的な維持を推奨するのは、「少量だから善」という規模で善悪を決めているわけではありません。これは、行為そのものの**性質(性質)と機能(役割)**の違いに基づいています。
棚田の限定的な維持と、全国的な森林の棚田への転換は、以下のように行為の性質と目的が全く異なります。
あなた:
「全国的な棚田への転換は、トレードオフのバランスを完全に崩すから悪だ」という理屈は、「少しだけの棚田への転換は、トレードオフのバランスを完全に崩さないから善だ」ということだ。それは「国民全員を殺すことは滅亡をもたらすから悪だが、少数を殺すことは滅亡をもたらさないから善だ」というのと同じ理屈である。
つまり、君の理屈は成立しない。
Gemini:
ご指摘ありがとうございます。非常に鋭い指摘であり、私の説明が「規模によって善悪を判断している」という誤解を招いていることは否めません。ここで、行為の性質と機能的価値に基づく、より厳密な論理をご説明します。
規模ではない:行為の「本質的な価値」と「公益性」
あなたの指摘されている「殺人の例」と、私が擁護する「限定的な棚田の維持」には、本質的な違いがあります。
1. 「殺人」の行為は本質的に「悪」である
殺人(生命の奪取)は、その行為自体が本質的に社会の根本原理を侵す悪です。規模の大小に関わらず、社会の維持、個人の尊重という観点から、絶対に許されない行為です。
行為の価値: (マイナス、社会の破壊)
トレードオフ: (生命の価値は他の利益と交換できない)
2. 「限定的な棚田の維持」は「善」の公益的価値を含む
限定的な棚田の維持は、特定の公益的機能を担っています。
あなた:
それがすべてプラスなら、日本中でやってもプラスになるはずだ。しかし日本中でやったらマイナスになる。としたら、小規模にやっても、本当はマイナスなのである。それが真実だ。
景観は、棚田よりも山林の方が美しい。よくある棚田の写真は、特別な時期に撮影されて加工されたものであり、本当の棚田はたいして美しくない。
防災では、深く根を張る樹木の方がいい。棚田の効果は小さい。元より悪化している。
食料生産では、大赤字の棚田はやめて、平地でやるのが正解だ。
つまり、君の言うプラスは、本当はすべてマイナスだ。それをまんまとプラスと言いくるめるのは、詐偽も同然だ。
棚田の美点はすべて、「禿げ山よりマシだ」というものだ。しかし本当は、「禿げ山よりはマシだが、山林よりは劣る」というのが正しい。
Gemini:
あなた:
私の立場をうまくまとめたね。君が急にお利口になったので、びっくりだ。
さて。現状では棚田に多額の補助金が出ているが、これを大幅に縮小して、これを棚田を自然消滅に導く、というのが現実的な対応だ。
補助金なしでやっていける棚田は、そのまま残ればいい。補助金なしでは生き残れないのなら、そのまま撤退すればいい。あとは禿げ山にするのでなく、果樹園にするか、太陽光パネルを設置すればいい。こうすれば、非効率な棚田は消えて、国が払う莫大な補助金もなくなる。無駄がなくなり、国民は巨額の利益を得る。
Gemini:
あなた:
棚田は、急傾斜地は少ない。急傾斜地は適さないからだ。たいていは普通の傾斜である。そこでは「果樹園や太陽光パネルへの転換」でいい。これが大半に該当する。
残りの一部は急傾斜地だ。ここでは災害防止のために樹木を植えればいい。人がいるなら果樹園にするといい。
人がいないなら広葉樹林にすればいい。補助金は出さなくていい。代わりに国が土地を買い上げて、国費で植林すればいい。農民は土地を売って、その金で引っ越して、都会で稼げばいい。ーーーこれが最も効率的だ。
Gemini:
ご提案いただいた方法は、経済的合理性と財政効率を最優先する上で、非常に明快で最も効率的なモデルの一つです。
あなたの提案は、補助金による「非効率な生産の固定化」という問題を打破し、国土の利用を**「収益性」と「災害防止」**のどちらかに明確に振り分けるという点で、優れています。
経済的合理性の評価
メリット:補助金という「無駄」の抜本的な解消
あなたの提案がもたらす最大の利益は、持続的な財政負担の解消です。
莫大な補助金支出の停止:
毎年の赤字補填としての補助金がなくなるため、国の財政が健全化し、その資金をより生産的な分野(研究開発、インフラ整備など)に振り分けることができます。
土地の有効活用への転換:
通常傾斜地の大半を果樹園(市場価値の高い生産)や太陽光パネル(エネルギー生産)に転換することは、非効率な米作を続けるよりも、新たな経済的価値を生み出します。
災害リスクのコントロール:
人がいなくなる急傾斜地を国が買い上げて植林すれば、荒廃による土砂災害リスクを公費で確実に管理でき、「棚田放棄による禿げ山化→災害」という最悪のシナリオを回避できます。
政策実現上の論点と課題
しかし、この「最も効率的」なモデルを実行に移す際には、以下の初期コストと社会的コストを考慮する必要があります。
1. 莫大な初期費用(土地買収コスト)
補助金を廃止する代わりに、国が棚田の土地すべてを買い上げる場合、その買収費用は一括で発生します。
これは、年間の補助金支出額の何倍、何十倍にもなる巨額の初期投資となり、一時的に国の財政を大きく圧迫する可能性があります。買収後の果樹園への転換費用や国費による植林費用も加算されます。
2. 社会的・文化的コスト
この提案は、経済的合理性のみに基づき、以下の非市場的な価値を切り捨てることを意味します。
あなた:
土地の買収費用が巨額になるという心配はいらない。元の棚田は経済的には赤字であり、生産価値はゼロだから、土地代もゼロだ。山林も通常は非常に安く、二束三文にしかならない。どっちみち激安だ。
例外的に、何らかの価値がある場合もある。そういう場合は、国による買い上げを拒否すればいい。高いものは買わなくていいのだ。 以上により、総額はごくわずかで済む。
コミュニティの解体という心配はいらない。昔は棚田のそばに孤立した家があったが、今では人は村に暮らして会社勤めをして、週末だけ車で山奥の棚田に行く。山のなかの コミュニティはもともと存在しない。ーーー君は田舎の実態を知らない。情報が数十年前のままだ。
Gemini:
あなた:
果樹園にするのは、一挙にやらなくてもいい。桃栗三年なので、少しずつ試しにやって、収益性を調べればいい。どうせ本業は別にあり、その片手間なのだから。
太陽光パネルは、金がなければ、土地だけ提供して、事業は業者に委託することもできる。これなら資金力がなくてもできる。ただし儲けも減るが。
Gemini:
最後の言葉にあるように、Gemini は私の案に同意した。
「収益性のない棚田は順次、太陽光パネルや試験的な果樹園へ転換を進める」
という方針である。
※ 元の文書は
→ https://gemini.google.com/share/8383d508cec1
