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「何を当たり前のことを」と思う人が多いだろうが、当たり前のことができないのが人間だ。出来もしないとわかっていることに、あえて手を付けて、大失敗する。結局は in vain になるだけだとしても、「できるだろう」と希望的な楽観に染まったあげく、その希望の道を進む。
特に、そのための費用が(自分の金でなく)税金である場合には、顕著である。無駄な事業に何億円をかけようが、何千億円をかけようが、それで損するのは国民全体であって、自分の財布がいたむわけじゃない。だから平気な顔で、国民の税金を湯水のごとく無駄遣いするのだ。
そこで私が指弾する。
「無駄なことはやるな。それらは in vain になるだけだ」
と。
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ここまでの数日分の項目は、その趣旨で記述してきた。以下では、降順で説明しよう。
§ 空飛ぶ車は実現するか? .2
「空飛ぶ車は実現する」と思って、研究開発に邁進する人が多いが、充電式のタイプは実用化するはずがない。また、たとえ単発で実用化しても、多数の同時飛行は無理なので、自動車のように普及することはとうていありえない。(はるか遠い先まで実現しない。)
§ 自動運転バスより 移住がいい
自動運転バスの代案がある。
§ 自動運転バスで地方振興? .2
現行の自動運転バスはあまりにも高コストであり、実用化するはずがない。今の試験運行は、国が高額のコストを丸抱えしているから実現しているだけだ。その分、国民は懐の金を奪われている。
つまり、今の自動運転バスは、私やあなたの財布の金を奪うことによって実現している。ほとんど泥棒だ。
できもしないことを「できる」と言って、国民の金を奪うべきではない。詐欺も同然だ。
§ 自動運転バスで地方振興? .1
自動運転バスを開発するベンチャー企業、というふうに紹介する報道が溢れているが、誇大宣伝の誤報である。中小のベンチャー企業が、自動運転システムという難事業を開発するわけがない。
( ※ ベンチャー企業が開発するのは、ただの管理システムだけである。羊頭狗肉。次項 2 で説明。)
§ 能登の復興は困難だ [補足]
能登の復興はできない。できないことを無理にやろうとして、巨額の金を投入するのは、ただの無駄である。できもしないことを、やろうとするべきではない。
そんな無駄なことにために大金をドブに捨てるよりは、被災者のために、真に役立つ金を払うべきだ。その方が被災者は喜ぶし、国の払う金も少なくて住む。
できもしない復興のために「1戸あたり 2千万円」もの巨額の金をプレゼントするよりは、着実な生活再建のために「1戸あたり 500万円」を渡す方がマシだ。
§ 能登の復興は困難だ
能登の復興をするべきだ、という声が強いが、能登の復興は原理的に不可能に近い。それには歴史的な理由がある。
§ 小規模農家は廃業せよ
小規模農家は生産性が悪すぎる。ならばさっさと廃業した方がいい。その土地を売却・貸与することで、土地を集約して、大規模農地にすれば、生産性が上がる。
できもしないことを、やろうとするべきではないのだ。できないことはできないと自覚して、さっさと手を引くのが賢明だ。
無駄な生産活動は、さっさとやめるのが正解だ。やるだけ無駄だ。愚の骨頂。
※ 赤字経営をする小規模農家の高齢者がいなくなると、日本の米作は崩壊する……と心配する人が多い。しかし、高齢者がいなくなっても、土地は残る。その土地を集約して、大規模経営すれば、米作は維持される。「日本の米作は崩壊する」という心配は不要なのだ。高齢者はさっさと退出してもらうのがいい。「時給 10円だから米価を上げろ!」と叫ぶよりは、「時給 10円だから廃業する」と言うべきなのだ。
※ ちなみに、戦後に農業人口は激減した。「戦後の農業人口は約1,400万人から252万人へと激減しました」( → Feloの回答 )……これほど激減しても、農業そのものは維持されている。米作も 100%に近い自給率だ。つまり、農民は減っても、農地が残れば、それでいいのだ。
