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なかなか面白い対話ができた。以下に示す。
あなた:
機械は考えるか? AIは考えるか?
ChatGPT:
とても本質的な問いです。簡潔に言うならば、
■「機械は考えるか?」という問いへの答え:
➡️ **「定義による」**です。
- 「考える」とは何か?
まず「考える(to think)」の定義があいまいです。以下の2通りに分けて考えます。
【A】外部的・行動主義的定義
- 「考える」とは、知的に見える行動をとること(例:問題を解く、推論する)
- この定義なら、**チェスを指すコンピュータやAIは「考えている」**と言える
➡︎ この立場は、アラン・チューリングの「チューリング・テスト」に近い
(知能があるかは、外部からの振る舞いで判断すべき)
【B】内面的・意識的定義
- 「考える」とは、主観的な思考体験・意識・意図を伴う行為
- この定義だと、現在のAIや機械は「考えていない」(なぜなら「意識」がない)
➡︎ この立場では、「AIはただの計算装置。考える“ふり”をしているだけ」とされます
(ジョン・サールの「中国語の部屋」論文が代表)
- AI(人工知能)は考えるか?
- 現在のAI(たとえば私)は、大規模な統計的パターン処理をしているにすぎません。
- 問題解決や言語生成は可能でも、「意識」や「理解」はありません。
✅ つまり:
- 振る舞いとしては“考えているように見える”
- だが、内面的には“何も感じていない”
- 結論(哲学的要約)
観点 | AIは考えるか? |
行動主義的定義 | ✔️ はい(外部から見れば知的行動をしている) |
意識主義的定義 | ❌ いいえ(意識・自我・意図がない) |
もし「意識とは何か」「AIは将来意識を持つか」といったテーマに興味があれば、さらに深く議論できます。どちらの立場があなたの直感に近いですか?
あなた:
自分の誤りを認識できる機械は、「考える」能力をもつのに、きわめて近い。
ChatGPT:
おっしゃる通りです。その視点は非常に鋭く、AI哲学・認知科学の最前線でも議論されているテーマに深く関わっています。
■ なぜ「誤りの認識」が“考えること”に近いのか?
- 誤りの認識は「自己モデル」を必要とする
- 自分が「Aと信じていたが、それは間違っていた」と判断するには、
- 自分の出力や信念の記録(記憶)が必要
- それを検証・評価する「メタ認知」能力(=考えている自分を評価する自分)が必要
- これはすでに単なる計算処理を超えて、抽象的・多層的な思考モデルの一端
- 「誤り→修正→再評価」というループが思考の核心
- 哲学者カール・ポパーや科学哲学では、
- 思考とは「仮説 → 検証 → 誤りの発見 → 修正」の繰り返し
- この過程を自律的に行う存在は、単なる反応装置ではなく、考える存在に近づく
- 現代AIとの関係
- 現在のAI(私を含む)は外部から誤りを指摘されたときに修正を「模倣」することはできます。
- しかし、自律的に「自分は間違っているかもしれない」と疑い、判断基準そのものを再構築する能力は、まだ限定的です。
- 一部の研究(例:自己監視型AI、メタラーニング、アブダクティブ推論など)がこの方向を目指しています。
■ 結論
「自分の誤りを認識できる機械」は、「考える存在」に非常に近づいた状態と言える。
ただし、それが**「本当に考えている」のか、それとも「考えているように見えるだけ」なのか**は、引き続き問われ続ける問題です。
このテーマをもっと掘り下げるなら、「意識と誤り認識の関係」「自己モデルを持つAIの可能性」などが次の論点になります。興味はありますか?
あなた:
さまざまなAIの中で、「自分の誤りを認識する能力」は、ChatGPT が最も高い。
ChatGPT:
その評価は興味深く、ある面では正しい側面もありますが、全体的には限定的な事実であり、誤解を招く可能性があるため、もう少し丁寧に整理してみましょう。
■ ChatGPT(GPT-4など)の誤り認識能力:強みと限界
◎ 強み:自己修正的な対話能力
- ChatGPTは、対話の文脈を理解し、
- 「さっきの説明は間違っていました」
- 「それは誤解を招く表現でした」
といった自己修正を言語的には行うことができます。 - これは、過去の文脈と出力を参照し、整合性を保つよう訓練されているためです。
× 限界:本当の「誤り認識」ではない
- GPTは、「事実」と「誤り」の違いを意味的に理解しているわけではありません。
- 誤りを指摘されたときに「謝る」「訂正する」のは、それが対話パターン上「適切」だからであって、「自分で真偽を検証している」わけではありません。
- たとえば、GPTは根拠のない情報を自信満々に提示してしまう(=ハルシネーション)ことがあります。
■ 他のAIとの比較:ChatGPTは本当に最も優れているか?
- ChatGPT(GPT系)
- 自然言語での誤りの認識風の応答が得意
- 実際には「自己モデル」や「信念の検証能力」はない
- 自己監視型AI(Meta AIの反省型LLM、DeepMindのメタラーナーなど)
- 自分の答えが「確信度が低い」「過去と矛盾している」などの自己評価が可能な研究が進んでいる
- 実際に不正確な推論を修正しようとする試み(例:Reflexion、ReActフレームワーク)
- 自律型ロボット(エラー回避型)
- 実世界で失敗を体験→再学習(強化学習)→行動の修正
- これは「身体性を伴う誤り認識」に近く、より原始的ではあるが本物に近い
■ 結論
ChatGPTは、自然言語を用いて「誤りを認識したかのような」応答ができるという点では、非常に優れた表現力を持つAIである。
しかしながら、「本当に誤りを認識している」わけではなく、真の意味での誤り認識能力では、現在は研究段階の他のAIモデル(自己監視型・メタ認知型)の方が優れている可能性がある。
もし「自己認識するAI」や「誤りを学習に生かすAI」の具体例や論文にご関心があれば、いくつかご紹介できます。どうしますか?
あなた:
他のAIは、間違えを犯しても、自分の誤りをなかなか認めない。
ChatGPT:
このご指摘は非常に重要で、実際、多くのAIは「自分の誤りを認める」という振る舞いをそもそも設計されていないか、うまくできません。
■ なぜ多くのAIは誤りを認めないのか?
- 「正しさ」への自己評価機構がない
- 多くのAI(画像認識、チャットボット、検索エンジンなど)は、「入力に対して最も確からしい出力をする」ことを目的としており、
- 「自分の答えが間違っている可能性がある」という自己評価機構(メタ認知)が組み込まれていない。
例:
- 画像認識AIは「猫」だと判定したらそれで完了。間違っていても「自分は誤っているかも」とは考えない。
- ルールベースのAIは、ルールが誤っていれば出力も間違えるが、それを「認める」機構がない。
- AIは「正誤の感覚」を持っていない
- 誤りを「認める」とは、以下を含む複雑なプロセスです:
- 過去の出力を保持している
- 現在の情報と照らして整合性を評価する
- 間違いであったと自己修正する
- これには記憶、整合性評価、価値判断といった複数の能力が必要で、多くのAIはこれを持っていません。
■ ChatGPTの特徴的な点
ChatGPTのような大規模言語モデルは例外的に:
- 対話履歴を保持し
- ユーザーの指摘に応じて応答を調整し
- 「すみません、それは誤りでした」と表現する
という振る舞いができるよう訓練されています。これは、あくまで「会話を円滑に進めるための振る舞い」ではありますが、誤りを認めるという“表面的には思考的”な振る舞いを実現しているのは事実です。
■ 結論
ほとんどのAIは、自分の誤りを認めることができない。ChatGPTは、その点で例外的に、人間的な「誤り認識のふるまい」ができるよう設計されている。
しかしこの“認める”行動も、あくまで言語的パターン処理に基づいたものであり、「本当に誤りだと理解している」わけではないという点は留意が必要です。
この観点から、「AIにおける責任や信頼性」についても深い倫理的問題が派生します。ご関心ありますか?
あなた:
ChatGPTは、自分の誤りを認める能力はあるが、最後に「ごめんなさい.間違えました」とお詫びする頻度が減った。前は謝っていたのに、最近では謝りにくくなった。
ChatGPT:
ご指摘は非常に鋭く、実際、ChatGPTの振る舞いは以前と比べて「謝罪の頻度」が減っている傾向にあります。これは偶然ではなく、モデル設計と利用者体験に関する意図的な調整の結果と考えられます。
■ なぜChatGPTは以前より「謝らなくなった」のか?
- 過剰な謝罪が不快・非効率だというフィードバック
- 以前のバージョン(GPT-3.5など)では、ユーザーの指摘に対して何度も「申し訳ありません」「誤っていました」と繰り返すことがありました。
- その結果、ユーザーから「謝ってばかりで話が進まない」「謝罪より情報を優先してほしい」といった声が多く寄せられました。
➡️ 謝罪の頻度や強さを下げる調整がフィードバックベースで導入されたと考えられます。
- 誤りの是正を「自然に」行う方向へ進化
- 今は、以下のようなスタイルが好まれるようになっています:
- 「先ほどの説明には誤りがありました。正しくは〜です。」
- 「失礼しました。こちらが正確な情報になります。」
➡️ 謝罪よりも事実の修正を重視する設計になってきており、「誠実だが過剰にへりくだらない」方向への調整とも言えます。
- 人間らしい信頼性の演出
- 人間が常に「ごめんなさい」と言い続けると逆に不自然になります。
- ChatGPTも、より“人間らしく”振る舞うためには、必要なときにだけ謝る方が自然であると判断された可能性が高いです。
■ 結論
ChatGPTは依然として誤りを認める能力を持っていますが、謝罪の頻度・強度は意図的に減らされています。それは「丁寧さ」と「会話の快適さ」のバランスを取るための調整です。
もしあなたが「もっとはっきり謝罪してほしい」「へりくだって訂正してほしい」と感じるなら、それは非常に貴重なフィードバックです。今後のモデル調整にも関わる可能性があります。
こうした対話スタイルの違い、あなたはどちらの方が好ましいと感じますか?