企業や家計と違って、国の場合にはどうか? 貿易赤字の意味を考える。
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国の場合
前項では、企業と家計の違いを図で示した。
では、国の場合はどうか? 国の場合は、家計の場合と同様だと言える。つまり、次の図で示せる。(再掲)

ただし、違いもある。
国の場合は、家計に似ているのだが、収入を得るための代価が異なる。
・ 家計の稼ぎは、労働を渡して、金を得る。
・ 国家の貿易は、商品を渡して、金を得る。
これらは似ているが、違いもある。国家の貿易は、輸出と輸入があるが、そのどちらも、「商品を渡して、金を得る」という貿易だ。
・ 輸出 …… (自国が) 商品を渡して、金を得る
・ 輸入 …… (相手国が)商品を渡して、金を得る
したがって、輸入の場合に、「(自分は)商品を渡されて、金を払う」というふうになる。
貿易の損得
ここで注意するべきことがある。こうだ。
家計の場合には、労働をして給料を得るが、それは別に、損でも得でもない。単に働いて稼いでいるだけだ。おおむね「労働 = 給料」という等式が成立する。
国家の場合には、国全体では輸出をして、輸出代金を受け取るが、それは別に、損でも得でもない。この全体は個別企業の取引に分解される。それぞれの個別企業の取引においては、おおむね「輸出品の価値 = 輸出品の代金」であるから、それは別に、損でも得でもない。たとえば、200万円の価値のある車を売って、200万円の代金を受け取れば、それは別に、損でも得でもない。普通に経済活動をしているだけだ。
要するに、貿易というものは、その取引で双方が納得をしているのだ。どちらかが一方的に損や得をしているのでなく、双方が「妥当だ」と納得しているのだ。ここを間違えないようにしよう。
貿易の勘違い
ところが、である。トランプや重商主義とは、ここを勘違いする。つまり、こう思う。
・ 輸出は、金を得るので、得である。
・ 輸入は、金を失うので、損である。
これは大いなる錯覚である。手元の金だけを見て、
・ 手元の金が増えていれば、得である。
・ 手元の金が減っていれば、損である。
と考える。
ところが実際には、手元の金は増減するが、同時に、手元の商品は逆方向に増減する。
・ 手元の金が増えていれば、手元の商品が減っている。
・ 手元の金が減っていれば、手元の商品が増えている。
このいずれにおいても、金が増減した分、逆方向に商品が増減しているので、双方の合計では変わらない。つまり、どちらにしても、損得はない。
なのに、手元の金だけを見て、手元商品を見失うと、勘違いして、「損した!「得した!」と大騒ぎすることになる。
これを左手ち右手の比喩で言うと、
・ 左手で減って、右手で増えれば、損得はない。
・ 左手で増えて、右手で減れば、 損得はない。
というふうになる。なのに、左手と右手の双方を見ずに、片方の手だけを見れば、「損した」とか「得した」とか、勝手に勘違いする。
これが、トランプの勘違いだ。
つまり、金を払って、商品を得たとき、「金が減ったから損した!」と大騒ぎする。そのとき、「商品が増えた」ということを見失っているのだ。
※ このことは、前にも記したとおり。
→ トランプの勘違いの本質: Open ブログ
※ 次項に続きます。
それを不満に思う読者もいるだろうが、仕方ない。記事は結論部なので分量は少ないが、この結論に至るには多大な思考の試行錯誤があった。ああでもない、こうでもない、とさんざん試行錯誤して、最終的にきれいに残った結論だけを記した。だから精選されて、少ない記事なんだ。
他の項目では、書くべきことは最初から決まっているから、特に考えることもなく、スラスラと書き出すことができる。
本項は違った。この結論に到達するまでには、あちこち寄り道してきた。かなり長大な思考時間を必要とした。
読むだけなら、数分間で読めるんだけどね。