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日産シルビアの復活……という寝惚けたことを、次期社長が言っている。前項で示したとおり。
→ 日産自の次期社長: Open ブログ
これはあまりにも馬鹿げているので、私が正解を示そう。以下の通り。
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日産のシルビアが日産の歴史上、空前の大成功となったのは、コンセプトが優れているからでもないし、性能が優れているからでもない。理由はただ一つ。デザインが圧倒的に優れていることだ。私見だが、日本の車のデザイン、第1位になると思う。(市販車部門)
ついでだが、市販車部門でなくてショーカー部門で1位は、(私見だが)日産エリュールだと思う。前に紹介した。
→ 日産 エリュール: Open ブログ (画像リンクあり)
では、これらのデザインが傑出しているのは、なぜか? 理由はただ一つ。どちらのデザインも、デザイナーが長野宏司であったことだ。
Genspark の回答
S13シルビアのデザイン
S13シルビアは、日産が1988年から1994年まで生産したスポーツカーで、主に日本国内で人気を博しました。このモデルは、デザイナーの長野宏司さんによってデザインされました。彼は入社7年目にしてこのモデルの外装デザインを手がけ、そのシンプルで美しいクーペフォルムは、多くのファンを魅了しました。
デザインの評価
S13シルビアは、そのスタイルが非常に評価されており、後の世代のスポーツカーのデザインに多くの影響を与えました。特に、クリーンで流麗なラインと、スポーティーながらも洗練された印象が特徴です。この車両は、レースやドリフト文化とも密接に結びついており、カスタマイズのベース車両としても人気があります。
P11プリメーラのデザイン
一方、P11プリメーラは日産が1995年から2001年まで生産したミッドサイズカーで、こちらもデザインに関して長野宏司さんが関わっています。非常に洗練されたデザインが特徴で、当時の主流であったデザインをひとつの基準として打ち立てました。プリメーラはデザイン性だけでなく、実用性と快適性にも重点が置かれており、日常的な使用に適した車両として位置付けられていました。
両モデルの共通点
S13シルビアとP11プリメーラの共通点として、どちらのモデルも日産のブランドイメージに大きな影響を与えたことが挙げられます。長野宏司さんがデザインしたこれらの車両は、単純な形状を超えて、時代のニーズに応える機能美とデザイン性を兼ね備えています。
S13シルビアのデザインは、長野宏司さんが手がけたものであり、その評判は高く、特にエクステリアデザインは後に製造されたさまざまなモデルに影響を与えました。彼はこのモデルのデザインを担当しただけでなく、日産の全ての乗用車を統括するポジションにも就いていたことがあり、イギリスのデザインセンターのトップも務めています. これにより、彼のデザインスタイルが日産全体に及ぼした影響は計り知れないものがあります。
こんなに優秀な人なんだから、歴代最高のエリュールにも関与していたはずだ、と推定したら、その通りだった。
長野宏司さんは、日産自動車のデザイン部門において重要な役割を果たしてきたデザイナーです。彼は主に自動車の外観デザインを担当しており、特にコンセプトカーである「エリュール」のデザインにも関与しています。
「エリュール」は、2010年のロサンゼルスオートショーで発表されたFFハイブリッドセダンのコンセプトカーで、独特のデザイン要素を取り入れたモデルです。この車両は、未来のセダンデザインの方向性を示すものであり、日産のデザインチームによって創造的に開発されました。その中で、長野さんのデザイン哲学や技術が反映されています。
彼のアプローチは、伝統的な日本のデザイン要素との融合を目指しており、「エリュール」ではそうした影響も見受けられます。具体的には、洗練されたラインと均整が取れたフォルムが特徴で、日本の美的感覚を表現しています。このように、長野宏司さんはエリュールのデザインにおいても、大きな影響を与えています。
長野宏司さんは、日産自動車で商品企画本部商品戦略室主管として、デザイン統括に関わっていた経歴があり、特にエリュールのデザインにおいてもその影響力を発揮しました。エリュールは、革新的なデザインを融合させ、伝統的な要素を現代的に再解釈したものであり、長野さんのビジョンが具体化された結果と言えます。彼は日産のデザインビジョンに基づき、機能性と美的要素を両立させたデザインを推進し続けています。日産の国際的な展示会での注目を集めたエリュールは、これまた彼の名が広がる一因となりました。
以上でわかるだろう。
シルビアが傑作だった理由は、長野宏司という一人の人物の才能にかかっていた。その才能があったことと、その才能を生かした組織経営が、ともにあったからこそ、成立したことだった。
ならば、日産の経営者がめざすべきことは、「シルビアという車種を復活させること」ではない。天才的な才能のあるデザイナーを呼び寄せることと、その才能を生かす組織を作ることだ。車種の成功は、その結果であって、経営の目的自体にはならないのだ。
経営者は自分では車を作らない。車を作るのは部下である。その部下の才能を生かすのが経営者の仕事だ。
そんなこともわからないで、「シルビアを復活させたい」と望むなんて、自分がなすべきことをまったくわきまえていない、と言っていい。
竈門炭治郎の爪の垢でも煎じて飲ませたいところだ。
【 関連項目 】
長野宏司については、ずっと前に論じたことがある。(2006年)
→ デザインの基礎: Open ブログ
[ 付記 ]
長野宏司という優秀な人材がいたのに、日産のデザインが長らく低迷していたのはなぜか? ……その理由は、上記項目に記してある。
当時のデザイン部長は中村史郎であったが、この人物があまりにも無能でありながら、長らく長期政権を取っていたからだ。無能なトップが十数年にわたって日産のデザインを支配した。1990年代の「日産顔」( V モーションの前身となる V字顔)を固定した。長野宏司のデザインした P11プリメーラについても、元の案ではカッコよかった顔を、不細工な「日産顔」へ強引に全面変更した。(だから全然売れなくなった。)……1990〜2000年代の日産のデザインの低迷を招いたのは、デザイン部長である中村史郎だったのである。
ではなぜ、無能なデザイン部長がずっと長期政権を取ったのか? 通常の人事ならば数年で交代するはずなのに、なぜ彼がずっと長期政権を取ったのか? それは「英語の社内公用語化」のせいである。ゴーンが英語重視だったので、「デザイン力と英語力の双方」を重視した。その結果、英語がペラペラなのは中村史郎だったので、彼がずっと長期政権を担った。
実は、長野宏司も英国留学の経験があるので、英語力はかなりあったはずだが、性格的にペラペラと言葉を発するタイプではなかったようだ。地味な職人タイプのデザイナーであったようで、リーダーシップを発揮するタイプではなかったようだ。ゴーンはデザイン部長に「経営力」を求めたので、その点では部下を率いるリーダーシップ力のある中村史郎が、ゴーン時代にはずっと担当していた。ゴーンに仕える形で。
かくて日産は、不格好な V 型グリルをずっと続けてきたのである。ゴーンの「英語の社内公用語化」のせいで。
※ 詳しくは下記。
→ 英語の社内公用語化は?: Open ブログ
※ 最近の日産のデザインがまともになったのは、中村史郎が退任したあと、アメリカ人のデザイン部長が率いているからだ。(2017年4月〜)
※ 調べてわかったが、中村史郎が退任したのとゴーンが退任したのは、同じ日である。(正確には1日違い。)
日産の不格好な V 型グリルの話。