2025年02月26日

◆ 私立高校の無償化

 私立高校の無償化の方針が決まったようだ。維新は手柄だと言い張るが、この方針は貧富の格差を拡大する。

 ──

 私立高校の無償化の方針が決まったようだ。維新の要求に自民党が応える形で、方向性が決まった。
  → 自民、高校無償化で私立支援 45万7千円の引き上げ額を維新に提示 :朝日新聞
  → 高校授業料無償化の効果、税金支出に見合うかは不透明 公立離れや新たな教育格差の指摘も - 産経

mushoka2.jpg
出典:産経


 これに対し、「何であれ無償化はいいことだ」と思う人が多いので、方針を歓迎する声が強い。
  → 「私立まで対象にすべきでない」は正当か 専門家が語る高校無償化:朝日新聞
  → 地方も含めこの選択肢しかない?「高校の無償化」について、戦後の教育拡大を踏まえて20年近く研究してきた立場からの意見 - Togetter [トゥギャッター]

 しかし、この人たちは勘違いしている。今回の論点となっているのは、無償化をするか否かではない。なぜなら、中低所得者の無償化は、すでに実現済みだからだ。
 今回の論点は、(まだ無償化の対象となっていない)高所得者にも無償化の恩恵を及ぼすか否かだ。

 (誤)無償化を実現するか
 (正)無償化の実現を、高所得者にも及ぼすか

 無償化の賛成論者は、「無償化は大切だ」という理念ばかりを唱えるが、頭がイカレているとしか言いようがない。話題になっていることとは別のことを論じている。あげく、論理がメチャクチャになっている。たとえば、こうだ。
 すべての子どもに、高校で学ぶ権利を保障するのは当然のことである。

 一部自治体が無償化を拡充しているが、国内のどこに住んでいても高校生にひとしく無償化は実現されるべきだ。
( → 「私立まで対象にすべきでない」は正当か 専門家が語る高校無償化:朝日新聞

 「すべての子どもに、高校で学ぶ権利を保障する」というのは、(金のない)中低所得者の分を無償化するということだ。それはすでに実現されているので、今回の施策とは関係がない。勝手に別のことを話題にしないでほしい。(頭がおかしい。)

 「ひとしく無償化は実現されるべきだ」というのは、自己矛盾である。彼らは「ひとしく」というが、私立高校の無償化というのは「ひとしく無償化すること」ではない。「私立高校には高額の補助金を出して、公立高校には少額の補助金を出す」という格差をもたらすことだ。つまり、金持ち優遇をすることだ。そういう不平等政策なのである。
 一般に、私立高校は、公立高校よりも、ずっと金をかけた教育をしている。公立高校は税金でまかなうので、安上がりの貧弱な教育しかしない。一方、私立高校は、金を取る分、魅力のある教育をする必要があるので、高コストで高品質の教育をする。
 そのことは、1学級あたりの生徒数を見てもわかる。
 「高校の1学級あたりの生徒数は、私立と公立でどう異なるか?」
 という問いに、次の回答を得た。 

Perplexity の回答。
公立高校では、1クラスあたりの生徒数が40人を標準としています。これは「公立高等学校の適正配置及び教職員定数の標準等に関する法律」に定められています。
私立高校では、1クラスあたりの生徒数が公立よりも少ない傾向にあります。平均して36.4人程度となっており、公立と比べて約10%少なくなっています。
私立高校では、20人前後のクラス編成も一般的であり、より少人数制の教育を実践している学校も多くあります。

 
Feloの回答
多くの私立高校では、1クラスあたりの生徒数が20人から30人程度であることが多く、個別指導が行いやすい環境が整っています。

 公立高校は、授業料を安くすることを優先して、低コストで低品質の教育を提供している。
 私立高校は、授業料を高くすることの代償として、高コストでも高品質の教育を提供している。

 ここで、双方を無償化したら、どうなるか? 
 公立高校は、低コストのまま、低品質で無償の教育を提供する。( 30万円分)
 私立高校は、高コストのまま、高品質で無償の教育を提供する。( 45万円分)

 かくて、私立高校ばかりが有利になる。結果的に、公立高校に入学したがる生徒はいなくなり、公立高校は崩壊する。公立高校は私立には入れなかった落ちこぼれしか入らなくなり、これまでの優秀な公立高校は消滅する。
 一方で、私立高校は、大人気になるので、授業料を大幅にアップする。これまでは年額 45万円前後の授業料だったが、これを倍額ぐらいに引き上げる。それでも従来と同程度の負担だから、生徒の募集に苦労することはない。
 
 結果的に、「貧しいけれども頭のいい」という生徒の行先がなくなる。これまでは「優良な公立高校」に進学すれば良かったが、今後はもうそういうものは残らなくなる。荒廃した公立高校と、金持ち用の私立高校の、二者択一となる。それというのも、もともとが「金持ち優遇」という政策なのだから、金持ちが優遇されて、貧乏人が冷遇されるのは、当然のことなのだ。

 こういう矛盾を指摘しているのは、本サイトだ。一方、そのことに気づかないで、空疎な理想論を唱えるのが、冒頭の二つの記事の専門家たちだ。

 ──

 この問題に気づいているのは、本サイトだけではない。他にも気づいている人たちはいる。
  → 高校無償化に関するアンケート。過半数以上が「公立・私立ともに無償化すべき」と回答。無償化であれば私学に進学していた方が 23%
  → 大阪維新「改革」の副作用が全国へ、「私立高校授業料無償化」で公立セーフティネット高校が潰される皮肉
  → 高校授業料無償化の効果、税金支出に見合うかは不透明 公立離れや新たな教育格差の指摘も - 産経(前出)

 弊害もまたあるということが、少しは指摘されているようだ。(本サイトほど明確ではないようだが。)

 ──

 では、どうすればいいのか? 私の主張は、こうだ。
  ・ 金持ちのための高校無償化は、やめる。(現状維持)
  ・ 中低所得者のための高校無償化を、実現する。(新規政策)


 つまり、「無償化」という理念そのものは実行しようとするのだが、その無償化の対象が異なる。維新が狙っているのは、金持ちに限定した無償化だ。一方、私の狙っているのは、中低所得者に特化した無償化だ。

 これには次の疑問があるだろう。
 「中低所得者向けの無償化は、すでに実現しているのでは?」
 
 これには、こう答える。
 「現状の無償化は、授業料の無償化だけである。むしろ、授業料以外の他の分についても無償化するべきだ。より広範な無償化を実現するべきだ」

 では、授業料以外の無償化とは、何か? 具体的に高額の出費を見ると、次の二点が重要だ。
  ・ 制服の費用(10万円前後)
  ・ 電子タブレット or パソコンの費用(10万円前後)


 合計して 20万円前後の出費を強いられる。そこで、この分の費用を公費でまかなえばいい。特に、中低所得者向けには、その分を無償化すればいい。あるいは、高所得者も含めて、公立高校の生徒には無償化すればいい。

 ※ 制服は義務的に出費を強いられるのだから、義務がある以上は、公的に費用を負担するのが当然だ。(服装が自由ならば、公的負担の必要はないが。)

 ※ なお、学校が制服を採用しない場合には、制服の費用を援助することはなくなる。このことをもって、学校の制服の廃止に誘導してもいい。制服なんて、馬鹿げているからね。(ちなみに私の出身高校は、制服がなかった。)

 ともあれ、このようにして、公立高校では「教育の無償化」を貫徹するべきだ。金持ち専用の無償化に熱中する維新なんかよりは、中低所得者向けの無償化を重視する本サイトの方針に従うべきだ。

 ※ ちなみに、維新の方針に従うと、公立の商業高校や工業高校は壊滅するだろう。そのせいで、「手に職を持って高卒になる」生徒が減って、「何の職業能力もないまま高卒として働く」という哀れな若者が大量に出現するだろう。日本の職業高校教育は壊滅するせいで、日本全体の教育制度が歪んでしまう。

 ※ 金に目がくらんだ維新のせいで、日本全体が歪んでしまうわけだ。維新のせいというよりは、前原のせいだが、維新が前原に牛耳られたのが悪い。ひどいものだ。

 ※ より根源的には、玉木が悪い。「8兆円を寄越せ」という馬鹿げた要求をして、自民党が飲むことができなくなったから、4000億円で済む維新の「高校無償化」を呑んだわけだ。何もかも、玉木が悪い。




 [ 付記 ]
 そもそも、高等教育の無償化は、国立大学の学生こそ、第1目標であるべきだ。現状では、国立大学の入学金は 28万円ほど。授業料は 54万円ほど。初年度の納付金は 80万円超だ。国立大なのに、だ。
 一挙に無償化しろとは言わないが、7割減ぐらいには減額するべきだろう。こっちを優先するべきだ。国立大学には入れるような優秀な学生には、きちんと学費を援助するべきだ。

 その一方で、Fラン大学の無償化という現行方針は、さっさと廃止した方がいい。
  → Fラン大学の無償化: Open ブログ
 
 ※ 日本政府や維新のやることは、メチャクチャすぎる。トランプみたいに狂気の政策だ。デタラメにも、ほどがある。
 
posted by 管理人 at 23:58 | Comment(3) | 一般(雑学)6 | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
同意します。富裕層と貧困層の格差を意図的に詰めようとする政策は平等の視点からどうかと思うけれど、このように結果として格差が開くような政策はすべきではないと思う。
結果的に格差が縮まるような政策をすべきだと思います。
Posted by SM at 2025年02月28日 20:00
田舎ですとね 偏差値35以下おそらく境界知能しかいないのが私立高校なんですよね  それが系列のfラン大学へ行くわけです  男女問わず性欲に支配されて本能の赴くままの輩ばかり
 教えなんて虚しさしかない 
Posted by k at 2025年03月09日 11:49
 朝日新聞声欄 2025年03月09日。高校教師の投稿。

 ──

 私学に多額の公費が使われる中、公立校も忘れることなく予算配分をお願いしたい。
 私が勤務する県立高校は施設老朽化やエアコン未整備で教育活動に支障をきたしている。エアコンのない寒い体育館で卒業式が開かれた。猛暑の夏は授業や部活動はもちろん、集会などの行事もできない状況だ。
 3年前、地元の公立中学に進んだ長男は雨漏りのする体育館で入学式に臨んだが、卒業式も修繕されないままの体育館で迎える。これが多くの公立校の現状だ。

 ──

 「私学に多額の公費が使われる中、公立校も忘れることなく予算配分をお願いしたい」
 という要望はごもっともだが、理屈は逆だ。私立高校に多額の金を投じるから、公立高校に回す金がなくなる。制度の趣旨はもともと「私立優遇・公立虐待」なのだ。本文中で述べた通り。

 トランプは教育虐待をしている。
  → https://x.gd/bZyc2

 しかしトランプだけでなく、日本もまた同様の教育虐待を推進しているのだ。私学無償化の名の下で、公立虐待をする。……それを主導するのが維新であり、他の党も同調する。
 
Posted by 管理人 at 2025年03月10日 10:45
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

  ※ コメントが掲載されるまで、時間がかかることがあります。

過去ログ