──
東京女子医大の理事長(当時)が、大学の金を不正に取得した。この件で、朝日の社説が論じている。
東京女子医科大学元理事長の岩本絹子容疑者が、自らの任務に背いて大学に損害を与えたとして、警視庁に背任容疑で逮捕された。新校舎棟建設をめぐり、1級建築士に対し計1億円超を不当に支払わせた疑い。自らも一部を受け取ったと警視庁はみている。
私立大をめぐっては近年、理事長が関わる不祥事が相次ぐ。このため文部科学省は、運営する学校法人のガバナンスを改革するため私立学校法を改正。理事長に権限が集中しないように、評議員会などが理事会をチェックする機能を強化し、理事と評議員の兼務を禁止するなどした。
ただ文科省は「大学の自治」に配慮し、学外者だけによる評議員会に経営上の重要事項の決定権を与えることは見送った。
そんな期待を含んだ改正法が4月に施行される直前に、またも歴史ある大学の理事長と金の流れに捜査が及んだ。執行部に一般教職員や学生の声が届き経営に反映される、風通しの良さも大切な要素となる。
( → (社説)東京女子医大 私大改革 「他山の石」に:朝日新聞 )
文中の「理事長が関わる不祥事が相次ぐ」というのは、たとえば、日大の理事長の事件だ。あれが大騒ぎになったのに、増してもこの事件だ。理事長の横暴は目に余る。
どうしてこうなったのか? そこで、調べてみる。
まず、私立大学における理事長と学長の関係はこうだ。
Feloの回答
理事長の役割
- 経営の最高責任者: 理事長は大学の経営を統括する最高責任者であり、理事会の長を務めます。大学の方針や戦略を決定し、全体の運営を管理します。
- 権限の集中: 理事長は学校法人の代表として、法人の業務を総括し、重要な決定を行います。理事会の議長として、大学の経営に関する最終的な権限を持っています。
学長の役割
- 教育・研究の責任者: 学長は大学の教育・研究に関する業務を担当し、学内の運営を行います。学長は教職員の選挙で選ばれることが一般的で、教育方針や研究活動の推進に責任を持ちます。
- 理事会との関係: 学長は理事会からの委任に基づいて業務を執行しますが、最終的な権限は理事長に集中しています。これにより、学長は現場のトップとしての役割を果たしつつも、理事長の指導の下で活動することになります。
権限関係の特徴
- 権力の上下関係: 理事長は学長よりも強い権力を握っており、大学の経営において重要な決定を行う立場にあります。学長は教育・研究の現場を管理する役割を持ちますが、理事長の意向に従う形で運営されることが多いです。
- 選任方法の違い: 理事長は理事の互選で選出されるのに対し、学長は教職員の選挙で選ばれることが一般的です。この違いが、両者の権限関係に影響を与えています。
結論
理事長と学長は、大学の運営においてそれぞれ異なる役割を果たしていますが、理事長が経営の最高責任者として強い権限を持ち、学長は教育・研究の責任者として現場を管理するという明確な上下関係が存在します。この関係は、大学のガバナンスや運営において重要な要素となっています。
国立大学の場合は、政府(文科省)が指導するが、私立大学には文科省の権限が及ばない。そこで文科省のかわりに理事長が経営責任を取るが、それが経営面で巨大な権能を持つわけだ。
ただしその権能は最初から巨大だったわけではない。
私立学校法は、1949年に制定されました。この法律は、私立学校の設立、運営、及びそのガバナンスに関する基本的な規定を提供しています。理事長と学長の関係についても、この法律の中で規定されています。
近年、私立学校法は数回の改正を経ており、特に2023年4月26日に改正私立学校法が成立し、2025年4月1日から施行されることが決定しました。この改正では、理事長への権限集中を防ぎ、学校法人のガバナンスを強化することが目的とされています。
法律そのものは、1949年に制定された私立学校法のままであり、2025年4月1日までは変わりないようだ。しかしながら運営面では、途中から変化が生じて、理事長の権能が強まったようだ。
Feloの回答
2014年に文部科学省からの通知があり、私立大学における大学の自治が大幅に後退しました。この通知により、学校法人の理事会の権限が強化され、理事長の権限も相対的に増加しました。この変化は、大学の運営におけるガバナンスの強化を目的としていましたが、結果的に理事長が経営面での権限をより強く握ることになりました。
2014年に文部科学省からの通知があり、私立大学における大学の自治が大幅に後退したわけだ。
この当時は、安倍内閣の大学改革があり、私立大学だけで名国立大学でも、大学の自治を大幅に制限する方針が取られた。
Feloの回答
安倍内閣の大学改革は、主に2014年に行われた「学校教育法及び国立大学法人法の一部を改正する法律案」によって特徴づけられています。この改革は、大学のガバナンス構造に大きな影響を与え、特に学長の権限を強化し、教授会の権限を制限する内容となっています。
学長権限の強化: 改正により、学長は大学の重要な決定を行う際に教授会の意見を聴く必要がある場合に限り、教授会に意見を求めることができるようになりました。これにより、教授会は単なる諮問機関に変質し、実質的な権限が大幅に制限されました。
この改革に対しては、大学関係者や教育界から強い反発があり、「学問の自由」や「大学の自治」が脅かされるとの懸念が広がっています。特に、教授会の権限が制限されることで、教育・研究の質が低下するのではないかという声が多く聞かれます。
教授会の権限が縮小されて、学長の権限が強まったわけだ。
この動きは、小泉純一郎時代の大学改革に発する。
Feloの回答
2004年に実施された国立大学法人化は、大学の運営体制に大きな変革をもたらしました。この制度変更により、大学の経営権が教授会から学長や理事会に移行し、学長の権限が強化されました。これにより、教授会は従来のように人事や教育課程に関する実質的な決定権を持たなくなり、学長の諮問機関としての役割に制限されました。
結局、小泉純一郎時代と安倍晋三時代に、「大学の自治を弱める」「トップダウン経営を導入する」という方針で、理事長権限の強まりが生じた。もともと理事長に独裁的な権限を与えるのがよいことだ、という認識の下で、強大な権力を与えたわけだ。いかにも、小泉純一郎や安倍晋三が考えそうなことだ。
そして、この二人の制度改革のせいで、理事長に独裁的な権限を与えることになったから、理事長の犯罪が起こるようになったわけだ。絶対権力は絶対に腐敗するからだ。
[ 付記 ]
以上のことから、対策も自然にわかる。
独裁体制とは逆に、民主化すればいい。理事著や学長の権限を弱めて、教授会の権限を強めればいい。
とはいえ、教授会が日常的な経営に関与するという昔ながらの方針も非効率的だろう。
私の推奨は、こうだ。
「教授会が理事長の任免をする権限をもつ。いつでもリコールまたは弾劾することができるようにする。その後の新学長を任命することもできる」
韓国の大統領が独裁化したら弾劾できる。それと同様の制度を、日本の大学にも導入すればいいのだ。
現実には、それができていない。理事を任命するときには理事長の息のかかった理事ばかりが任命されがちだから、何の浄化効果もない。自律的でない。
朝日の記事では、外部の関与で理事長を決めるという方式が示されているが、これはまともに機能するはずがない。そのことは、日産自動車の例でももわかる。無能な素人がまともな経営者を選任できるわけがない。
→ 日産自動車の業績悪化: Open ブログ
では、どうすればいいか? 「教授会が理事長の任免をする権限をもつ」というふうにすればいい。すぐ上に述べた通り。
※ 教授会ならば、まともな知恵を持つ人がいるので、まともな判断ができる。
※ 学長については、「教授会で学長を決める」という制度が昔はあった。しかし 2004年の制度改革により、この制度は廃止された。かわりに学長の息のかかった「学長選考会議」が決めるようになったので、結局はまともな民主的な制度は廃止されてしまった。
そうでもないのが悲しいところです。大学経営は教育研究と対立することがあります。勉強しない学生を大量に留年させると入学希望者が減って経営に問題が出ます。大学の評価が落ちない程度にしか留年させられません。
日本の大学は大変革が必要と常々思っています。(1)きちんとした教育がなされていない。
(2)教授の古ぼけた研究へ貢献した人が次のの教授になることが何世代も繰り返されている。
(3)30代の若手教員が自分のアイデアで研究を進めることができないシステムになっている。
学生が留年したら、学生の責任ではなく大学教授の責任だ、という制度を立てるべき。留年する学生が多ければ多いほど、教授を減給にするべし。逆に、楽しい授業をする予備校講師みたいな教授に、高給を与えるべし。
そういう変革をする理事長を招くといいね。
教授には嫌われそうだが。
どうやって選任するかは、知恵を絞る必要がある。
留年を決めるのは特定の一人の教授ではなく、年間の取得単位数の下限です。2年生の前に20単位、3年生の前に50単位などの基準があり、これを満たさないと留年になります。単位の総数が基準。
> 大学の定数(キャパ)は一定なので、学生を留年させたら、その分、翌年の入学者を減らす必要があります。全員を留年させたら、翌年の新規入学者はゼロとなります。
⇒ 確かに、日本の大学は諸外国に比べて定員管理が厳格であるという記述は、ネット上に散見されますね。ただし、1人単位の増減も許されないという感じでもなさそうです。下の令和3年?の文科省資料によれば、私立・国公立での基準の違いはありますが、定員の105%以上、おおむね110%以上になると、なんらかのペナルティがあるという運用みたいですね。
https://www.mext.go.jp/content/20211210-mxt_koutou01-000019262_ex9-2.pdf
⇒ ちなみに、下の京大の資料によると、4年制学部を4年で卒業するのは入学者のおおよそ8割弱だそうなので、平均すると、各年次で定員の5%強の留年者が恒常的に発生しているのでしょう。
https://www.assdr.kyoto-u.ac.jp/ssc/students/repeat-a-year/
> 留年を決めるのは特定の一人の教授ではなく、年間の取得単位数の下限です。
⇒ 確かにその基準はベースにありますが、学部・学科ごと各年次に定められた必修科目を落としても、留年になる場合がありますよ。人文系は卒業研究・製作(卒論)ぐらいがそれにあてはまるような感じの大学もあるかもしれませんが、理工系、中でも医学系は厳しいのではないでしょうか。
どうも、突っ込みが入るようなので、これからは突っ込まれないように、例外についても書いておきます。例外処理ですね。
On Error GoTo label;
みたいに。
https://diamond.jp/articles/-/323502
内容については詳しく言及しませんが、この留年処分(教養課程⇒医学部への進学選択不可)に問題があるとしたら、組織の問題(教授会とはいえないまでも、複数の教員が判断にかかわっている)だという気がします。筆者の論考では、
> ※ 教授会ならば、まともな知恵を持つ人がいるので、まともな判断ができる。
とありますが、たとえ少数のマトモな人がいても(かつ、その人が学科長・学部長クラスの教授でも)、学生個々の案件レベルまでには口出しができず、全てのケースについて「民主的で妥当な判断」ができるとは限らないかもしれませんね。(もちろん、筆者が本稿で当初述べたことは、学生個々ではなく大学運営に係わる大きな案件では、少なくともそれができるようになるだろうということで、私もそのようには思います。)
「まともな判断ができる」
というのは、個々の案件レベルの運営の話ではなく、その直前に記してある
「教授会が理事長の任免をする権限をもつ」
という件についてです。これについてまともは判断ができればいい。
個別の運営は、理事長およびその配下の大学組織が担当します。教授は担当外。
⇒ はい、そこに誤読があったようでしたら重ねてお詫びしますし、仮になかったとしても、筆者(管理人さん)のご主張の趣旨を深めて理解できたように思います。
しかしながら、付け加えますと、本稿([付記]の部分を含む)のストーリーは、
<パート1>
私立大学における経営の仕組み(理事長と学長の役割分担など)は〜〜である。ところが、近年における大学改革によって、(私立では)@大学の自治が弱まり、Aトップダウン経営的なものが導入され、B理事長(と学長)の権限がさらに強まった。いっぽうで、教授会の権限は弱まった。これが問題の背景にある。
<パート2>
([付記]の冒頭において)独裁体制に対しては民主化を進める、具体的には、理事長と学長(とくに理事長)の権限を弱めて教授会の権限を強める、ということが対策となろう。
<パート3>
([付記]の続きで)「教授会に理事長の任免をする権限を持たせる。いつでもリコールまたは弾劾することができるようにする。その後の新学長を任命することもできる」という具体策を推奨する。
となるかと思います。それで私は、前回のコメントにおいて、パート1からパート2までの論考を受けとめつつ、それまでの複数コメントに対する追加の感想・意見を述べたまでです。
管理人さんは、私が引用した、
> ※ 教授会ならば、まともな知恵を持つ人がいるので、まともな判断ができる。
という部分について、「それはパート3についてだけのことなのに、パート2にまで勝手に敷衍している。その行為は誤読だ。」と仰っているようですが、そもそも、当該[付記]の終わりでは、
> ※ 教授会ならば、〜
> ※ 学長については、〜
のように、私の引用部分を含む2つの主張が箇条書きで置かれているだけですから、それらが前段のどこと関連しているかはわかりずらいといえます。本稿全体を通して、パート3の部分が一番大事である(結論になるようなものである)か否かとか、そこも判別は難しいと思われます。
さらに蛇足かもしれませんが、
> 個別の運営は、理事長およびその配下の大学組織が担当します。教授は担当外。
という(本稿にはない)あらたなご見解についても、現状はそこまで理事長への一極集中ではないと思われるのに、そのように変えたら、「理事長の権限を弱める」というパート2の方針と矛盾してきます。
それでも結果的に、書かれた人がそう仰っているので誤読は誤読なのでしょうが、過去に何度も申し上げているとおり、私は、書かれた文章をそのまま読むことはできても、筆者(管理人)さんの心の中まで読み取ることはできません。悪しからず。
> どうも、あちこちで誤解されていますが、
と書いているだけです。別に批判はしていません。誰も責めていません。
はい、前に仰っていたように、「おしゃべり」の掛け合いみたいなものですから。ただし、余計な「突っ込み」は無くすようにします。