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「死刑は人道に反するから廃止するべきだ」
と言って、死刑廃止論を唱える。これで年間5人ぐらいの凶悪犯の命を救うのが人道的だと考える。その一方で、
「無辜の被害者が銃で殺される」
という状況を放置して、米国における銃社会を容認する。これで年間1万4千人の命が奪われても、放置する。
死者数のデータは下記だ。
→ 2006年から2023年までのアメリカ合衆国における、銃による殺人件数

ここで比較しよう。
・ 複数殺人をした凶悪犯を5人 救うこと。
・ 無辜の民間人の命を 1.4万人 救うこと。
この二つのどちらを選ぶべきか? これは一種のトロッコ問題である。
では、この二つのどちらを選ぶべきか?
「そんなことは言うまでもない。前者の命より、後者の命の方が、ずっと大切だ。当り前だ」
と思うのが、普通だろう。東洋人ならば、そう考える。しかし欧米人は違う。欧米人は前者の方を重視するのだ。
欧州人は考える。「日本の死刑を廃止して、凶悪犯を5人救うことが大切だ。だからやたらと、めくじらを立てる。一方、米国で市民が 1.4万人が死ぬことは、どうでもいい。だから、見て見ぬフリをする」
米国人は考える。「何よりも銃を保持する権利が大切だ。そのためには、米国で市民が 1.4万人が死ぬことは、どうでもいい」
いずれにせよ、大量の民間人が殺されるのを見ても、平然としている。それが彼らにとって「人道的」ということなのだ。
これは、あまりにも狂気的である。矛盾という以上だ。そんな生易しい言葉では済まない。これはもはや、論理的なミスというなことでは済まない。どこか人間的に根本的な欠陥があると言わざるを得ないほどだ。
- ※ 「欧州は銃社会だ」という趣旨ではなく、「欧州人は米国の銃社会を批判しないのが、二重基準だ」という趣旨だ。
ではどうして、欧米人はこれほどにもぶっ壊れた頭をもつのか?
これは謎である。まったく、わけがわからない。どう理解したらいいのか? 困った。どうする?
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そこで、困ったときの Openブログ。うまい説明を出そう。こうだ。
実は、物事を人道主義の観点から理解しようとするから、矛盾を感じて、謎に見えるのだ。
むしろ、別の観点を取ればいい。そうすれば、物事はスッキリと理解できる。では、別の観点とは何か? それは、人種差別のような、差別観や差別意識である。西洋人は、有色人種を見下すという、差別観や差別意識がある。これを根源にすえれば、すべては矛盾なく、スッキリと説明される。
欧州人が死刑廃止にこだわるのは、なぜか? それは、野蛮なアジアやアフリカの未開人を植民地にして、彼らを文明化してあげるためだ。こうしてキリスト教の思想で現地人を強化することこそ、彼らにとって大切なことなのである。彼らは敬虔な信者として、伝道者としてふるまい、野蛮人にキリスト教の教えを伝道しようとしているのだ。これは崇高なことだと自己賛美しながら。( → 前々項を参照 )
米国人が銃社会にこだわるのは、なぜか? それは、白人がわが身を守るために、何が何でも銃を持ちたいからだ。特に、先住民や黒人が襲ってきたら、銃で身を守りたいからだ。
ではなぜ、白人はそんなことを恐れるのか? 先住民や黒人は、「白人に襲われる」とは思わないのに、なぜ白人は、そんなことを恐れるのか?
それは、白人がそれだけの罪を重ねてきたからだ。先住民のものであるアメリカ合衆国の全土を奪い取った。アフリカから誘拐した黒人を奴隷とした。さらには陵辱した。……こういう過去があるので、「いつ復讐されるか、いつ襲われるか」と思って、後ろめたい思いとともに、ビクビクしているのだ。
そこで、有色人種が襲ってきたときに備えて、あらかじめ強固な武装で身を守ろうとする。しかも、それだけではない。間違って誤射して、罪のない女子供を銃殺してしまうこともありそうだ。そういうときでも、自分は死刑になりたくない。そこで、「白人が死刑になる制度をなくしたい」というふうに思う。その程度のことでしかない。
要するに、自分は殺す権利を持ちたいが、自分は殺されたくない。撃つ自由を確保しながら、撃った自分は殺人の咎で死刑になりたくない。そういうことだ。
また、米国人が日本に来たときには、現地人を殺す権利も確保したい。日本人を殺したからといって死刑になりたくない。有色の野蛮人の手で吊し上げられて、白人が絞首刑になるなんて、堪えきれない。そういうことだ。
しょせんは、人道主義とは対極的な、差別意識とエゴイズムが根源にあるのだ。そう理解すれば、先の矛盾や謎も氷解する。西洋人の方針は、人道主義の観点からすれば矛盾だらけなのだが、差別主義の観点からは首尾一貫していて統一的に説明されるのだ。
つまり、彼らの口にする人道主義は嘘八百であり、彼らの口にしない差別主義とエゴリズムこそが真実なのである。
※ ガザの虐殺もこれで説明される。
私の認識だと、
欧州人は、「銃規制は賛成で死刑は反対。自国と周辺国(EU加盟国など)はこのまま(銃社会ではなく死刑は廃止されたまま)でいってほしい」という人が過半数である。
米国人は、「銃規制は反対で死刑は賛成。他国のやり方は知ったことではないが、少なくとも自国はこのまま(銃による自衛の権利は必須で死刑も残置されたまま)でいってほしい」という人が、過半数かどうかはわからないにしてもけっこう根強くいるし、州によっては過半数である。
というものです。つまり、最初の問いの立て方のところで、欧州人も米国人もそれら主張内容に(いい悪いは別にして)矛盾はないのに、そこから急に、
> 欧米人はこれほどにもぶっ壊れた頭をもつのか?
というところにいってしまうのが不思議です。ただし、本稿の中段以降では、
> 欧州人が死刑廃止にこだわるのは、なぜか? それは(後略)
> 米国人が銃社会にこだわるのは、なぜか? それは、(後略)
というように、両者を層別して論考を進めているので、そこからは違和感はありません。
欧州は米国の銃社会に甘い。日本の死刑にはめくじらを立てるが、米国の銃社会にはめくじらを立てない。
※ 欧州内部の銃規制の話をしているのでない。お間違えなく。
米国は、銃社会容認ばかりでなく、銃規制派も半分近くいるが、ほぼ全員が銃規制派である日本に比べれば、とんでもないほど容認派が多い。特に、政権を取る多数派が銃容認であるのが決定的だ。
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まあ、全員がイカレれている人ばかりではないというのは、御説の通り。
しかし政権を取る多数派がこうなっているんだから、本項のように単純化してもいいでしょう。
管理人さんはそれを米国人の野蛮さを表すととらえられ、さらに東洋人蔑視と結びつけておられます。そういう米国人も多いでしょうが、我々と付き合う(民主党の)方にはそんな人はいなかったと思います。米国の野蛮人たちを代表するトランプが大統領になってこれからどうなるか本当に心配です。
誤読。話が逆ですよ。
西洋人とは大きく括りましたね。
西ヨーロッパでは死刑制度は廃止されていますが、銃社会というほどではありません。
アメリカは死刑制度は存置されていますが、銃社会で有名です。
管理人さんがおっしゃりたいのは「西ヨーロッパ人」と「アメリカ人」のどちらでしょうか?
どちらにも「死刑廃止を唱えながら、銃社会を容認する」人はそうはいないように思うのですが。
以下、資料です。
隠された状態での携行許可証(秘匿運搬許可証)についてWikipediaで調べると
アメリカは(大雑把に言うと)共和党の強い地域では「合法」、民主党の強い地域では「Shall-issue(許可証を発行)」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%84%E5%9B%BD%E3%81%AB%E3%81%8A%E3%81%91%E3%82%8B%E9%8A%83%E8%A6%8F%E5%88%B6#/media/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Concealed_carry_across_USA_by_county.svg
西ヨーロッパではほとんどの国が「No-issue in practice(許可証を発行しないが、実際には発行する可能性がある)」、一部の国が「No-issue/no data(許可証を発行しない、またはデータなし)」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%84%E5%9B%BD%E3%81%AB%E3%81%8A%E3%81%91%E3%82%8B%E9%8A%83%E8%A6%8F%E5%88%B6#/media/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Right_to_carry_in_Europe.png
西ヨーロッパは死刑制度廃止、アメリカは存置
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Capital_punishment_in_the_world.svg
これらを見ても、アメリカ人と西ヨーロッパ人を「西洋人」とひとくくりにするのは無理があるように思います。
そのうえで、管理人さんの土俵に乗って「西洋人」とひとくくりとするなら、
・犯罪者を(時には無実の人も)その場で射殺してしまうことがある
・発砲する相手が有色人種であることが多い
ことは言えると思います。
先のコメントと同じ。誤読です。
「欧州は銃社会だ」という趣旨ではなく、「欧州は米国の銃社会に文句を言わないので、二重基準だ・矛盾だ」という趣旨です。
誤読する人が多いので、文中に加筆しておきます。
> 欧州は米国の銃社会に甘い。日本の死刑にはめくじらを立てるが、米国の銃社会にはめくじらを立てない。※ 欧州内部の銃規制の話をしているのでない。お間違えなく。
⇒ なるほど、わかりました。
にしても、日本人のほとんどは、(自国も他国も)銃社会になるのは反対で、自国の死刑は残置させたいという考え方ですから、欧州人とも米国人とも違うわけですね。これはなぜなんでしょう?
前項(◆ 西洋人と死刑廃止 .2)の、(3) 団体意識 以降では、日本人を含む東洋人の意識の特異性?が論じられましたが、この内容と関係があるんでしょうか?
例えば、「個人を抑圧して、集団(団体)を優先する」という精神的な緊張感があまりに高いために、自分が一度その規範から外れたら何をするかわからないと、心の奥底で自分で自分を恐れているような……。
だから、自分が、学校でハンマーを振り回すくらいはしたとしても、それが街中で銃を乱射するような事態にまでは発展しないよう、銃の所持は厳しく取り締まってほしい、かつ、人を複数殺したらすぐ死刑になるような今の制度を保ってほしい、そういうふうに思ってるとかですね。
筆者(管理人さん)には、次の機会にでも、「日本で、銃規制がなくなって死刑も廃止されると、乱射事件や殺人事件が増えてアメリカに近づくのか、それともあまり変わらないのか?」という点について、ぜひ論じていただきたいです。
まともな頭があるからです。馬鹿ではないからです。( → トロッコ問題の箇所で説明済み )
なぜそうか? 有色人種に対する差別意識がないからです。日本人自身が有色人種だからです。
読めばわかるでしょ。
> 「日本で、銃規制がなくなって死刑も廃止されると、乱射事件や殺人事件が増えてアメリカに近づくのか、それともあまり変わらないのか?」
答えは簡単だ。
「日本人は有色人種なので、差別意思がなくて、まともな頭が働く。ゆえに、銃規制はなくならないし、死刑も廃止されない」
だ。
論理学で言うなら、「 1=0 ならば」という仮定に対する質問は、それ自体が無意味。
しかし、いろいろ補足をしてもらって、筆者の論旨はなんとか理解できました。お手数をおかけしました。
この時点で、私のさらなる感想を一言いわせてもらえれば、欧米人は、筆者が決めつけるような「馬鹿で差別主義者である」というよりは、「ご都合主義」に毒されていて、その歴史が長いために、そこから抜け出せなくなっているんじゃないでしょうか。
それなりの知性があっても、「ご都合主義者」であれば、道徳的に矛盾といわれるような行動をしてしまうことがあるし、平気で差別なんかもすることがある。
アメリカでは、さらにそれが「実用主義(プラグマティズム)」にまでなって定着している。だから、いっぽうで理想を振りかざしつつ、内心では「論理的な整合性や信念の一貫性」なんかは軽んじられるところがある。すなわち、最終的には、利害をはかりにかけて、ポリシーというか、個人の行動規範が決まる。
すみません。そういう趣旨じゃなかったんですが。「いわずもがな」というぐらいの趣旨。
失礼しました。
ご指摘ありがとうございました。操作をミスってしまいました。
あわてて、訂正しました。
※ 調べてみると、17:38 からずっとエラー状態が続いていたようですね。6時間ほども。みっともなかった。汗っ。
フランス人は、福島汚染は、ジョークのネタにしていいと思っているが、フランス原発汚染は、ジョークのネタにしてはいけないと思っている。
そういう二重基準を紹介した記事。
→ https://togetter.com/li/2495868
欧米人にとって日本を差別することは、呼吸することと同じように、自然なことなのである。特に差別しようと思っているわけではなく、もともと人間扱いしていないのだ。(猿扱い。)