2025年04月24日

◆ 古代文明は九州にあった .1

 古代文明は九州にあった。近畿地方に文明が起こる前だ。


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 次の記事が話題になった。
 日本人がどんぐり食ってウホウホしてる時に中国はすでに国を作って数千年経ってて、そこから春秋戦国、楚漢戦争、漢王朝500年の栄達、三国志でやっと俺らの知ってる邪馬台国が出てくるからな。 中国文明すげーよ
( → 「日本人がどんぐりや土器でウホウホしてる時代に中国は鎧着て春秋戦国時代…」から始まる、文明と歴史に関する議論 - Togetter

 日本で国家文明ができたのは、奈良時代の難波京・飛鳥京・藤原京だが、それ以前には古墳時代があった。このあたりが文明の初期段階であり、それ以前は「どんぐり食ってウホウホしている」縄文人の時代だ、と思われがちである。
 だが、それは正しくない。奈良時代の文明ができる以前に、九州には古代文明ができていた。

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 この件については、前に「神武天皇と日本書紀」という話題で、「神武天皇が九州を出て、伊勢神宮のあたりから奈良地方に到達した」という話を述べた。いわゆる「神武東征」である。(詳しくは下記。)
  → 邪馬台国の謎 2: Open ブログ
  → なぜ京都と奈良は繁栄したか .1: Open ブログ

 ここでは、神武東征の話がある。その神武天皇は、九州から近畿地方に進出する前には、九州の高千穂地方で勢力を持っていた。このころ、古代九州には、北九州・西九州(熊本)・東九州(日向国)、南九州などに勢力があったようだ。
 これらの地域では、人口も多く、かなり文明が繁栄していたようだ。実際、多くの縄文式土器が出土する。ここから、次のことがわかる。
  ・ 食物は、古代はマンモスなどの狩猟で移住したが、縄文時代には、狩猟採集生活で、定住した。
  ・ 秋にはドングリを採集して、渋抜きをして、食料とした。
  ・ 豊かな自然環境があり、食物には困らなかった。(農耕は不要)
  ・ 文字文明はなく、文明は記録されなかった。
  ・ 神武東征が可能な程度には、都市集権や文明が発達した。

 要するに、文明はかなり発達していた。もちろん、言語もできて、意思疎通が可能であり、人間らしい生活もできた。ただし、文字がなかったので、文明は記録されなかった。食料は、農耕でなく、ドングリや魚介類の狩猟採集生活だったようだが、それは自然環境が豊かであったからだ。温暖で雨量の多い日本だからこそ可能だったと言える。
 このような縄文時代は、約1万年間も続いた。これは世界的に見てもかなり奇特であったようだ。欧州や中国では、かなり古い時代から農耕が始まったが、日本では縄文時代晩期のころまで稲作は始まらなかった。(豆類の農耕は縄文中期からあった。)
 ともあれ、日本では穀類の農耕の始まりはかなり遅かったようだが、だからといって文明がなかったわけではない。ドングリを食べてウホウホしていたのは、貧しさゆえというより、自然の豊かさゆえのことだったのだ。恥ずべきことではない。

 ──

 それより大事なことがある。「古代の九州にはすでに文明があった」ということだ。日本の文明は、古墳時代や奈良時代に突発的に形成されたものではないし、また、弥生時代に朝鮮から輸入されたものでもない。朝鮮からの影響はあったが、それとは別に日本独自の文明があった。それが、古代九州にあった文明だ。
 では、それはどのような文明か? 
 そのことは、AIに質問するとわかるが、先の九州各地の出土品から判明するような文明であったらしい。


takatiho.jpg


 特に重要なのは、高千穂地方だ。ここに豊かな文明があったらしい。
 ただし、この場所は、現在ではとても鄙びた場所である。どうしてこんな山間僻地が文明の発祥地なのか? 
 よくわからなかったが、AIに質問したところ、「水が豊かで自然環境に恵まれていた」というのが理由だったらしい。きれいな水とドングリと動物など。そういうものがあったらしい。

 だが、今改めて調べ直すと、地形の有利さがわかる。こうだ。それは、細長い谷川だ。






 西の高千穂町から東の延岡まで、谷川が続く。五ヶ瀬川 という。ここでは今でも鮎が豊富に獲れるそうだ。このような点で食料調達の有利さがある。

 なお、7300年前には九州南方の鬼界カルデラで巨大噴火があり、その影響で、南九州は火山灰の降灰で多大な被害を受けた。狩猟採集もできなくなった。その影響は 1000年以上にも及んだようだ。その分、南九州の定住者が高千穂地方まで移動してきた効果もあっただろう。

 以上のような理由で、高千穂地方には九州の古代文明が栄えたようだ。
 古代文明というと、邪馬台国が日本書紀の文明だと思われているようだが、違う。邪馬台国の場所は、現在の研究では、奈良の前身の「纒向(まきむく)」が有力とされている。ここには遺跡もある。だが、ここは近畿地方だ。
 むしろ、神武東征の前の場所である九州地方こそが、古代文明の発祥の地と言える。人々は邪馬台国のことで大騒ぎしているが、邪馬台国などは、どうでもいいのだ。それは中国に接見した古代国家というだけのことだ。たいして意味はない。
 それよりも大事なのは、もっと古い時期において、九州に古代文明が誕生していたということだ。それは九州各地の縄文式土器で裏付けられる。その土器はドングリの渋抜きをするためにあったのであり、すでに火や調理を用いる文明ができていたことを示す。そして、何よりも大切なことは、すでに言語が使われていたということだ。
 言語が使われていたという直接的な証拠はないのだが、人間の子供は六歳の時点でほぼまともに意思疎通ができる程度の言語力を備える。ならばこの程度の言語力は、古代人でも容易に獲得できたはずなのだ。猿や犬にはできなくとも、古代人にはできたはずなのだ。
 縄文時代には、竪穴式住居もあって、その遺跡もある。ある程度の文明ができていたことは間違いない。
 邪馬台国のことで頭をひねるよりは、古代九州の文明のことを考える方がいいだろう。そこにいる人々は、生活ではドングリや鮎などを食べていたが、頭の仕組みそのものは現代人とまったく同じだったのである。なぜなら、当時も今も、ホモ・サピエンスの遺伝子は同じだからだ。(脳の容量はほとんど変わっていない。)




 【 関連サイト 】

 高千穂の鉄道の紹介記事。
  → 廃線跡の「スーパーカート」がゆく高さ日本一の絶景 宮崎・高千穂:朝日新聞
  → 鹿児島・宮崎のパワースポットを車なしで巡る女子旅モデルコース

 ※ 実は、本記事を書く動機は、上の朝日記事だ。高千穂の話。ここからいろいろと調べるようになった。



 【 追記 】
 後で調べ直すと、本項にはいくらか不正確なところがあった。
 九州に古代文明があったという点はいいのだが、その主たる場所は、高千穂ではなく、吉野ヶ里であるそうだ。この点は、次項で説明する。
  → 古代文明は九州にあった .2: Open ブログ
 
posted by 管理人 at 23:47 | Comment(1) | 一般(雑学)6 | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
 古代史シリーズ 実は待ってたんです 期待してます  宇宙、素粒子物理学もお願いします
Posted by k at 2025年04月25日 13:43
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