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「斎藤県知事が支持されたのは、既得権益と戦う姿勢を示したからだ」という擁護論を唱える人が多い。このことは、私の独自見解ではなくて、ネットでは同趣旨の報道が多くある。つまり、このような見解を出すツイートが Twitter にあふれている。たとえば、下記だ。(一部抜粋)
既得権益を壊しすぎてイジメられていた事に兵庫県民の多くは気付いている件
まず自らの給料を3割、退職金を5割カット。公用車センチュリー見直し。
65歳以上の県職員OBの天下り禁止、
兵庫県職員のお偉いさんたちは、退職後80歳になっても週1回2回の勤務でも現役並みの給料がもらえてました。
その天下り先の企業は県からあれこれ優遇されるという負のループを斉藤知事になったら自らのバッサリ廃止。
県庁舎建替1000億円の予算見直し。
東京都庁はバブル期に3つの庁舎を1569億円かけて建築してるけど、兵庫県の庁舎に1000億円も要る?ってことで予算をいったん白紙化。少なくとも予算を半減させる意向。
(稲村氏は1000億円の当初予算で進める意向)
( → 北川 哲平」 / X )
あれこれと無駄を排除したことを示して、「斎藤知事は改革派の素晴らしい知事だ」と持ち上げている。
だが、そこで示したことは、誰が考えても当たり前のことだ。同じことを唱える人は数多いので、とりたてて斎藤知事の功績だとは言えない。
一方、稲村氏については (稲村氏は1000億円の当初予算で進める意向) と述べているが、これは事実に反するデマである。稲村氏は同様に費用削減を唱えていることは、調べればすぐにわかる。なのに逆のことをデマで吹聴する。ひどいものだ。(デマによる情報汚染。)
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さらに指摘しよう。もっとひどいことがある。
そもそも、センチュリーやら、豪華県庁舎やら、癒着やら、さまざまな浪費をしてきたのは、前知事の井戸敏三である。その前知事をずっと支持してきたのは、兵庫県民である。
「前知事は保守派の自民党知事だから素晴らしい。反共であれば何をしても構わない」
という理屈で、全権委譲のように一任してきた。結果的に、前知事はやり放題にしてきた。センチュリーやら何やらも、その派生的な結果であるにすぎない。
なのに、県民は、自分たちで独裁者を支持してきながら、今になって「独裁者は気に食わん」と言い出して、「独裁者を倒す若手の改革者は素晴らしい」と支援している。
馬鹿じゃなかろうか。自分たちが独裁者を生み出しておきながら、今になって自分たちの支援したものを倒す改革者を支援する。
これは、比喩的に言えば、次のようになる。
・ 親に勧められた名家の女と結婚する。
・ その女がひどい浪費家だと判明する。
・ そのまま妻と暮らして 20年間。浪費も多数。
・ 老いた妻と離縁して、若い新妻と結婚する。
・ 若い新妻が DV 女だと判明する。
( ※ 老いた妻は前知事、若い新妻は斎藤、自分は県民。)
ここで、「若い新妻は 浪費しないので素敵だ」と賛美するのが、斎藤の支援者だ。なるほど、浪費しないという点では素敵だ。しかし、浪費しないのは、この若い新妻だけじゃない。他の女を選んでも、同様になる。(たとえば、稲村でもいい。)
一方で、この若い新妻は DV 女なので、とうてい許しがたい。そんなことをするだけで、妻として失格だ。さっさと離縁するのが当然だ。その際、「若い新妻は浪費しないので素敵だ」というような点は、まったく擁護にならない。そんなことは、他の女でも同じだからだ。
しかも、である。ここでは、最も肝心なことは、元の浪費女との結婚を決めたのは自分自身だ、ということだ。自分で駄目女を選んでおきながら、それを非難する新妻を賛美するなんて、とんでもないことだ。それよりはまず、こんな浪費女をもともと選んだ自分自身を反省するべきだ。
要するに、県民が反省するべきは、前知事の井戸敏三を当選させたことだ。彼に 2001年7月31日〜 2021年7月31日という 20年間もの超長期政権を与えた。こんな馬鹿げたことをした自分自身に根源がある。センチュリーや県庁舎の無駄も、そのすべては(県知事自身でなく)県知事を当選させた県民に責任がある。
そもそもこの人は現在 79歳。3年前の退任時は 76歳。こんな超高齢者に政治を委ねれば、ボケ老人の知事が暴走するのは当然だろう。県民自体に責任がある。
いや、県民だけではない。政党もそうだ。特に、自民党でない革新系がひどい。2005年と 2009年に、大差で負けた。そのあと、2013年と 2017年には、対立候補を立てることもなく、現知事を支援する側にまわった。民主党系のリベラル政党は、井戸敏三知事の支援に回ったのだ。( 2017年は民進党。代表は岡田克也。)
結局、兵庫県における強い保守基盤と、それに抗せずに独自候補を立てないリベラル政党の非力さのせいで、県民自身が井戸敏三知事を支持した。そうして民主的に選ばれた井戸敏三知事に対して、今になって「既得権益だ」と批判する。何が既得権益だ。その知事を支持したのは県民自身であるくせに。
自分たち自身が前知事を支持したのだ、という事実を忘れて、今になって前知事を「既得権益」と呼んで、それを批判する改革者を支援する。しかし、その改革者自身が、DV 女みたいな奴であって、パワハラの権化なのである。
これでは、独裁者を打倒したあとで、新たな独裁者を呼び込むのも同然だ。
のみならず、かわりに真の改革者であるジャンヌ・ダルクみたいな人(稲村和美)が登場しているのに、そのジャンヌ・ダルクみたいな人を、大量のデマの火で燃やして、炎上させて、火あぶりにする。呆れた話だ。


兵庫県民は今になって斎藤を「改革者」のように扱う。しかし斎藤はもともと維新と自民党の支援を得て出馬したのだし、今回の選挙でも、維新と自民党の部分勢力の支援を受けていた。(その点、政党の支援をまったく受けなかった稲村和美とは大きく違う。)
斎藤のバックボーンは、昔も今も保守勢力である。兵庫の県民性は強力な保守基盤だ。そこではリベラルの政党勢力は根づくことができない。
そんな強力な保守基盤のある地元で、彼を「守旧派に対抗する改革者」として賛美する。……これはタチの悪い冗談だとしか思えない。
それまでずっと保守を支持していた兵庫県民が、急に改革派の革新に転じる、というのは、まるで、ジキルとハイドである。あまりにも不自然だ。そんなことはありえない。(つまり、兵庫県民の本質は、ずっと保守派なのだ。改革者を支持するというのは、見せかけにすぎない。)
ともあれ、兵庫県民が好むのは、昔も今も保守派の政治家だ。今回、斎藤がうまく勝利したのも、保守派の政治基盤に沿っているからだ。
なお、行政経費の無駄を省こうとするのは、たしかにまともに仕事をしていると言える。だが、それは当たり前のことであって、大騒ぎするほどのことではない。むしろ、斎藤は本質的には、保守派の政治家なのである。
そして、そうだとすれば、保守派の体質ゆえに、やがては既得権益と癒着するようになるだろう。あげく、莫大な浪費をするようになるのは、必然だと言える。
なお、そのことは、維新を見てもわかる。維新は、当初は今の斎藤のように、「既得権益の打破」や「浪費のカット」を主張していた。しかし結局は、「大阪都構想による権力強化(独裁性)」や、「大阪万博やカジノ構想による莫大な浪費」をめざすようになった。
こういうふうに、保守派の政治家というものは、どんどん腐っていくのである。その点は、斎藤も同様だ。もともと保守派の政治家である以上は、どんどん腐っていくのは必然だ。パワハラ騒動は、その一端が露見したにすぎない。
そんな保守派の斎藤を、「既得権益に対抗する改革者」と見なすなんて、赤と緑を取り違えるような誤認だ。ほとんど赤緑色盲みたいな、色盲的な認識能力欠如だ。
斎藤が「既得権益に対抗する改革者」であるというようなことはない。そんな主張はただの妄想である。そういう妄想を Twitter でばらまくのは、ただのデマのバラマキであるにすぎないのだ。
だが、そのデマを大量に撒き散らすことが、結果的には、選挙を左右した。なぜか? 「嘘も百回言えば真実となる」からだ。少なくとも、真実として聞こえるようになる。そういう錯覚効果が生じる。
それがつまりは、「情報の汚染」である。このことは、前項で示したとおり。
→ 情報の汚染(政治を動かす): Open ブログ
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なお、単純に言えば、こうなる。
「パワハラで部下を死なせるようなワンマン政治家は、しょせんは信頼できない。どれほどコストカットで有能だと見えても、単に当たり前のことをやっているだけで、とりたてて有能なわけではない。改革者だと見せかけているが、結局は保守の地盤に頼っているし、既成権力の側に属している。市民側に属しているわけではない。そこを逆に見せかけるのは、詐欺も同然だ。だまされるな。しかし、世間は大量のデマに巻かれて、世間はだまされてしまった」