2024年11月04日

◆ 連立政権の行方 .4

 ( 前項 の続き )
 野党連立政権が実現しないのは、誰の責任か? 

 ──

 国民党の責任? 


 与党が過半数割れをしたのだから、野党がまとまれば政権を奪える。なのに政権を奪えないとしたら、誰の責任か?
 「立憲よりも自民にすり寄る、国民党の責任だ」と思う人もいるだろう。だが、これは誤りだ。なぜなら、国民党には「自民」以外の選択肢が与えられていないからだ。
 前項で述べたように、交渉の原則は「ギブ・アンド・テーク」だ。そこで、自民と立憲はどうしたか? 
 自民党は、国民党を取り込もうとして、政界工作を始めた。政権を渡すことはできない(自公政権に含めることはできない)という条件を付けた上で、政策協議ならば応じる、という方針を示した。
 立憲はどうか? 何も政界工作をしなかった。「首班指名投票で票をくれ」と要請するだけだった。「テーク」だけを求めて、「ギブ」がゼロ回答だった。つまり、政界工作を何もしなかったも同然だ。

 結局、国民党の前には、二つの選択肢があるはずだったのに、現実には一つの選択肢しか与えられなかった。「自民との部分協力」だけである。立憲が示したのは、ただの「屈服」だけであり、そんなものは選択肢には入らなかった。
 一般に、商売というのは、商品と金の取引である。片方が金を出し、片方が商品を与える。ここで値引き交渉のように交渉をする余地はある。しかし、一方が他方に「おまえのすべてを寄越せ。おれは何も与えない」というのでは、ただの強奪である。そんなものは犯罪みたいなものだ。商売でもないし、取引でもない。野田がやっているのは、そういうことだ。論外である。
 というわけで、国民党に与えられたのは、自民党からの選択肢だけだった。だから、それを受け入れた。立憲からは、何の提案もなかったし、何の取引もなされなかった。単に「一方的屈服」の要請があっただけだ。それは何の意味もない。
 

 一般国民の声


 国民党は自民と連携する予定である。これに対して一般国民はどう思っているか? それについての世論調査がある。朝日新聞による。
 衆院選で大幅に議席を増やした国民民主党の連携相手について、朝日新聞社が11月2、3日に実施した全国世論調査(電話)で2択で質問した。「与党との連携に力を入れたほうがよい」が33%で、「野党との連携に力を入れたほうがよい」42%がやや上回った。
 支持政党別に国民民主の連携相手に関する意見を見ると、立憲民主支持層では84%が「野党との連携」を選んだのに対し、国民民主支持層は「与党との連携」が3割で、「野党との連携」が5割だった。
( → 国民民主の連携 「与党と」33%、「野党と」42% 朝日世論調査:朝日新聞

 今後の政権枠組みは「自民中心が続くのがよい」が43%で、「立憲中心に代わるのがよい」が32%。組閣直後調査の「自民中心」48%、「立憲中心」23%より接近した。
( → 石破内閣支持急落34% 自公・国民民主で税制協議「賛成」63% 朝日新聞社世論調査:朝日新聞

 以上を整理しよう。
  国民党については
   与党との連携 33%、野党との連携 42% だ。
  政権枠組みについては
   自民中心が 43%、立憲中心が 32% だ。


 上の二点を比べると、話が逆転しているように見える。「いったい、どっちを求めているんだよ。自民政権と立憲政権のどっちを求めているんだよ」と文句を言いたくなるだろう。
 しかし、それは読解力が不足しているだけである。朝日の記事を読んだだけでは理解しにくいだろうが、本サイトのシリーズを読んできた読者なら、真実がわかるはずだ。真実とは? こうだ。
 「野党と立憲とは違う。野党政権と立憲政権とは違う」
 このことから、一般国民の意見は、こうだとわかる。
 「自民党政権はイヤだし、野党政権の方が好ましいが、だからといって、立憲政権は好きじゃない。立憲なんか、信用できない。だから、立憲中心でない形で、野党政権がほしい」
 こうして正しい結論がわかった。それは「立憲中心ではない野党連立政権」である。すなわち、本サイトでこれまで提唱してきたようなものだ。そのことが、朝日新聞の世論調査からも判明したのだ。
 つまり、これまで私が述べてきたことが、まさしく一般国民の望んでいることだと判明したのだ。

 ただし、その真実を、マスコミも理解できないし、政界の人々も理解できない。なぜか? 「裸の王様」と同じである。頭が濁っているのだ。頭が思い込みで染まっているのだ。
 思い込みとは? 「自民中心と立憲中心の二通りしかない」という認識だ。実際には、その二つ以外にも道はある。特に、「三党連立」という道がある。それは「三人の副首相」と、首相の「持ち回り制」だ。これを(新たに)「トロイカ体制」と呼んでもいい。


troica.jpg


 こういうトロイカ体制による野党連立政権があれば、多くの国民の望む「立憲中心ではない野党連立政権」が可能となる。すべてが解決する。
 なのに、その真実を、マスコミも理解できないし、政界の人々も理解できない。なぜか? 「裸の王様」と同じである。頭が思い込みで染まっているのだ。

 立憲の責任


 人々は真実に気づかない。ただ、人々がそうであることは、人々が愚かであるからというよりは、立憲が愚かだからだ。端的には、野田が愚かだからだ。
 立憲は国民党に何も提示しない。「ギブ」するものを、何もテーブルに載せない。自民党の方は、「ギブ」するものを、少しだけテーブルに載せた。なのに立憲は何も提示しないのだ。これでは交渉にはならない。交渉ではなく、単に一方的な「屈服」を要求しているだけだ。
 こういう状況を見れば、世間の人々が「立憲の手札はこれしかないのか」と思い込むのも仕方ない。実は立憲の手札にはもっと別のものもあるのだ、と教えて上げるほど親切でなくてもいい。(そんなに親切なのは私だけだ。ああ、何て親切で優しいんだろう。)

 野田はあまりにも強欲だ。前項でも示したが、舌切り雀の欲張り婆さんのように欲張りだ。また、こうも述べた。
 もらうだけならば、乞食か物乞いのような頭を下げるべきなのに、頭を下げることもしないで、一方的に要求する。「それが人にものを頼む態度か」と、どやしつけてやりたくなるほどだ。 
 ほとんど強圧的な強奪にも近い。まるでジャイアンだ。その方針はジャイアニズムだ。「自分がすべてを取る。相手には何一つ与えない」という方針。「おれのものは、おれのもの。ひとのものも、おれのもの」というジャイアニズム。
 これが野田の方針なのだ。
( → 連立政権の行方 .3: Open ブログ

 自分からは何も与えず、自分は相手から奉仕してもらうのが当然だ、という立場。

 立憲民主党は、頂き女子と、同じ精神構造をしているのだ。「自分は一方的にもらうのが当然だ」という発想。
( → 元彼から贈り物がほしい: Open ブログ

 この点では、河野洋平とはまったく異なる。
 河野洋平は卓抜な判断をなした。そうして相手側の政権を崩壊させて、自分たちが政権を奪うようになった。
 ではなぜ、河野洋平は卓抜な判断ができたか? それは、彼が政党の目的を知っていたからだ。それは何か? こうだ。
 「政党の目的は、政権を取ることだ」
 実は以前、こう言った人がいる。「政権を取らない政党は、ネズミを捕らない猫と同じだ」と。それは正しい。政党の目的は政権を取ることであり、それを忘れた政党はもはや政党として意味がないのだ。河野洋平はそのことをまさしく理解できていた。だから彼は何にも優先して、政権を取ろうとした。そのためには、「首相の座を社会党に提供する」という奇想天外な方法を取ることもできたのだ。
 なぜ河野洋平はそれができたか? 「政党の目的は、政権を取ることだ」という本質を理解できていたからだ。何事であれ、物事の本質を理解できる人は強い。本質を見抜けば、進む道も誤らない。
 だから、河野洋平は卓抜な判断ができたのだ。
( → 連立政権の行方 .1: Open ブログ

 河野洋平にはできたことが、野田にはできない。なぜか? 頭が悪いからだ。それも、ちょっと悪いだけならば真似することができるのに、真似するだけの能もない。というか、理解するだけの知性もない。あまりにも頭が悪いのである。だから、交渉の場で「テーブルには何も載せない」という無為無策を選ぶのだ。
 今回は、自民党の議席が激減したという千載一遇のチャンスである。そのチャンスに、自分からは何も動かず、タナボタで票をもらえることだけを期待する。その愚かさには、呆れるしかない。

 立憲の自惚れ


 もう一つ、呆れることがある。今回、立憲の議席が増えたのは、「立憲が支持されたからだ」と自惚れていることだ。「共産党と手を切って、保守的な方針を取ったので、議席が大幅増になっている」と思い込んでいる人もいるようだ。
 だが、真相は違う。真相は、こうだ。
 こうして自民から逃げた票がたくさんある。ではその逃げた票の受け皿は、どこか? 立憲か? いや、国民党だ。自民から逃げた票の受け皿は国民党であって、立憲ではないのだ。
 なるほど、小選挙区では、立憲は野党代表として議席を得る。しかしそれは、「他の野党候補がいないから」という消極的支持の票であるにすぎない。それは立憲の積極的支持の票ではない。
 実を言うと、自民から逃げた票を得た分は、もうちょっと多いのだが、自民から得た分、れいわに逃げていく。自民支持だった保守票が立憲に流れた分、立憲支持だったリベラル票が れいわに流れていく。流れて入るプラス分と、流れて出ていくマイナス分が、ほぼトントンだ。差し引きして、+3 の微増にしかならない。自民と公明は大幅に票を減らしたのだが、その票が流れていく先は、立憲ではなく、国民党だったのだ。
 かくて、「自民の票を奪って政権交替」という野田の目論見は、不成立に終わった。得をしたのは、国民党と れいわばかりだった。
( → 衆院選の情勢(2024): Open ブログ

 これは、選挙前の情勢調査による予想についての判断だが、現実の投票結果も予想とほぼ同じだった( 出典 )ので、判断はそのまま継承できる。
 つまり、増えたのは自民党の批判票だが、その受け皿となったのは、れいわと国民党であり、立憲は受け皿とならなかったのだ。小選挙区では、他に候補者がいないので、とりあえず「野党代表」として受け皿になったが、比例区ではまったく受け皿にならなかった。自民党の批判票を、れいわと国民党に奪われるばかりだった。
 要するに、立憲は一般国民の支持を得られなかったのだ。その意味では、立憲は「比例区で増えそこなった」のであり、「一人負け」と言ってもいい状況だ。(実際は維新も負けたので、二人負けではあるが。)

 立憲は今回の選挙では、大幅に比例区の票を増やせたのに、まったく増やせなかった。( 出典 ) つまり、実質的には負けた。なのに、負けたにもかかわらず「勝った」と思い込んでいる。そのせいで、威張って、ふんぞりかえっている。あげく、国民党には一方的に屈服を要求する。あげく、テーブルには何も載せないまま、交渉は決裂して( or 交渉が始まりもしないで)、協力は不成立となる。かくて、数の上では多数派に属するくせに、政権を取ることに失敗する。
 それというのも、「政権を取らない政党は、ネズミを捕らない猫と同じだ」と理解できないせいである。


cat-mouse.jpg





 ※ 次項に続きます。

 
posted by 管理人 at 23:33 | Comment(0) | 一般(雑学)6 | 更新情報をチェックする
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