連立政権はどうなるか? 自民主導か、立憲主導か?
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前項について
前項では、2通りの政権構想と、4通りのコースを示した。さて。そのあとは?
「どうなるか」という予想なら、(1) になりそうだ。自民主導で、国民党と維新が部分的に制作協力する、という形だ。ただしこの場合、1年後(または8カ月後)ぐらいに、自民党の党勢が回復したところで、解散となる。そうなると、野党の議席は激減して、自公連立政権が復活する。元の木阿弥だ。……国民党にとっては、最悪の結果となる。せっかくの「当選」の権利を、むざむざと捨ててしまったのに等しいからだ。
「どうするべきか」という正解なら、(4) である。野党主導ではあるが、立憲主導というよりは三党トロイカの体制を取る。では、これが正解であるのは、なぜか?
その理由を言おう。こうだ。
「政党の目的は、自分の政策を実行することではない。もっと大切なことがある」
このことを理解するには、過去に学べばいい。
村山政権の教訓
村山富市政権は、いかにして生まれたか?
背景には、新進党と社会党の対立がある。新進党では、副党首である羽田が首相になって、党首である小沢は院政を敷こうとした。ここで小沢がゴリ押しをして、連立政権の一翼である社会党をあまりにも軽んじた。「社会党が自民党と結びつくはずがないから、おれたちの言いなりになるしかない」というのが、小沢の思惑だった。ところが、小沢の思惑に反して、怒り狂った社会党は自民党と結びついた。かくて新進党の連立政権は崩壊して、自民党と社会党の連立政権が誕生した。
では、どうしてこうなったか? 「社会党の党首を首相にする」という奇天烈な構想を、河野洋平・自民党総裁が取ったからだ。つまり、「こうすれば新進党の連立政権を崩壊させることができる」という河野洋平の戦略が卓抜だったのだ。(それは三国志の話みたいな戦略であり、常識にとらわれないトンデモな発想だった。)
河野洋平の功績については、AIの Felo が要約している。
質問:
村山富市首相の政権成立のとき、自民党が協力したのは、誰の判断か
回答:
村山富市首相の政権成立において、自民党が協力した背景には、当時の自民党総裁である河野洋平の判断が大きく影響しています。村山政権は1994年に発足し、社会党、新党さきがけ、自民党の連立政権として成立しました。この連立は、当時の政治状況において自民党が過半数を失ったことから生まれたものです。
自民党の協力の背景
河野洋平の役割: 河野洋平は自民党の総裁として、村山政権に対して協力的な姿勢を示しました。彼は連立政権の形成において、社会党との政策合意を重視し、連立の枠組みを整えるために尽力しました。
政治的状況: 1993年の衆議院選挙で自民党が過半数を失い、非自民勢力が連携する必要が生じました。このため、河野は自民党の立場を維持しつつ、村山首相との協力を選択しました。
連立政権の形成: 村山首相は、社会党と新党さきがけとの合意を基に連立政権を樹立しましたが、河野の協力がなければこの政権は成立しなかった可能性が高いです。彼の判断が、連立政権の実現に寄与したと言えます。
結論
村山富市首相の政権成立において、自民党が協力したのは、主に河野洋平の判断によるものであり、彼のリーダーシップが連立政権の形成に重要な役割を果たしました。
河野洋平は卓抜な判断をなした。そうして相手側の政権を崩壊させて、自分たちが政権を奪うようになった。
ではなぜ、河野洋平は卓抜な判断ができたか? それは、彼が政党の目的を知っていたからだ。それは何か? こうだ。
「政党の目的は、政権を取ることだ」
実は以前、こう言った人がいる。「政権を取らない政党は、ネズミを捕らない猫と同じだ」と。それは正しい。政党の目的は政権を取ることであり、それを忘れた政党はもはや政党として意味がないのだ。河野洋平はそのことをまさしく理解できていた。だから彼は何にも優先して、政権を取ろうとした。そのためには、「首相の座を社会党に提供する」という奇想天外な方法を取ることもできたのだ。
なぜ河野洋平はそれができたか? 「政党の目的は、政権を取ることだ」という本質を理解できていたからだ。何事であれ、物事の本質を理解できる人は強い。本質を見抜けば、進む道も誤らない。
だから、河野洋平は卓抜な判断ができたのだ。
※ 仮に、あのときの地味の党総裁が河野洋平でなかったなら、「村山富市首相」は実現していなかっただろうし、新進党が政権を失うことはなかっただろう。そのままリベラル政権が永続する一方、保守系の自民党は四散五裂して原形を留めていなかっただろう。そのあと日本は、保革が何度も交代するような、民主主義の国になっていただろう。……現実には、日本は(ほぼ)常に保守政権が続くようになった。その分水嶺となったのが、河野洋平だったのだ。
国民党
国民党(国民民主党)の玉木はどうか? 彼はこう語っている。
国民民主党の玉木雄一郎代表は29日、国会内で記者会見した。自民、公明両党や他の野党との連携について「政策ごとに良いものには協力し、駄目なものには駄目だと言う」と述べ、「パーシャル(部分)連合」の可能性を否定しなかった。
「選挙で約束した手取りを増やす、国民の懐を潤す経済政策の実現へ、やるべきことは全てやりたい」と語った。
( → 国民民主党・玉木雄一郎代表「良い政策には協力」 部分連合否定せず - 日本経済新聞 )
「ほしいのはポストではなく、選挙で約束した手取りを増やす経済政策の実現だ」と強調。所得税の減税やガソリン税の暫定税率廃止などについて、「どの党に対しても訴え、協力を求めたい」と述べた。
( → 所得・ガソリン減税を要求 国民代表、連立参加は否定:時事ドットコム )
彼の目的は何か? 政策の実現だ。自分たちの政策を掲げて、一つ、二つ、三つというように政策をいくつか実現したがる。
この方針は、河野洋平党は対極的だ。あまりにも視野が狭いのだ。個別の政策という小さな点だけしか見ていない。日本全体を動かす権能(つまり政権)を得るということはまったく眼中にない。あまりにも視野が狭くて、あまりにも目的が小さい。……要するに、徹底的に小物なのである。「全体を得るためには、部分を譲ってもいい」と考えた河野洋平とは、対極的に、小物だと言える。
どうしてこれほどにも違いが出るのか? おそらくは、人間の器の違いである。あるいは、頭の知能のレベルの違いである。……玉木雄一郎は、人間の器が小さすぎるし、頭の知能のレベルが低すぎるのだ。だから、個別の政策にばかり目をとらわれて、政権奪取という大きなものは目に入らないのだ。
こういう愚か者を動かすには、「海老でタイを釣る」という戦略が有効である。馬鹿な獲物は、餌でおびき出して、すっぽりと網で捕らえてしめばいいのだ。つまり、罠である。馬鹿な獲物は、この手に引っかかる。
玉木をだます方法は、簡単だ。「所得税減税」「ガソリン税減税」を見せびらかして、おびき出せばいい。そうして国民党をおびき出してから、つかみとって、自民党政権の維持に協力させればいいのだ。
「首相の決選投票では、野田とは書かないでください。白票を投じてください。そうすれば自民党政権が成立しますからね。お願いしますよ」
「はい。わかりました。白票を投じて、自民党政権を成立させます。自民の手下になるので、そのかわり、ガソリン税の減税をよろしくお願いしますよ」
「わかったよ。2025年の秋から実行するよ」
こうして国民党をがんじがらめにして、自民党政権を成立させる。そのあとで、参院選と同時に、衆参同日選をやる。そこでは、もはや「裏金疑惑」の効果がないので、自公が圧勝する。と同時に、国民党は用済みとなり、ポイ捨てされる。「ガソリン税の減税も、2025年の秋の実施の前に、廃案とする」でおしまいだ。
結局、国民党はいいように利用されただけで、捨てられるわけだ。下駄の雪。
政権を奪い取った河野洋平と、利用されるだけで捨てられる玉木とは、あまりにも大きな差があるのだ。片方は王者であり、片方は下駄の雪である。
※ 玉木は首相指名の決選投票で、「野田とは書かない」と明言している。つまり、白票にすると明言している。しかし、国会投票で白票を投じるのは、もはや政党として機能していないのに等しい。国民が白票を投じるのは、個人の自由として認められるが、政党が首相指名投票で白票を投じるのは、もはや政党としての自殺に等しい。さらに言えば、自党の議員に「白票にしろ」と命じて党議拘束をかけるのは、狂気の沙汰だ。そういう狂人が玉木なのだ。下駄の雪となりたがるだけのことはある。
※ 男に貢いで、弄ばれて、捨てられる女……というのにも似ている。新宿の公園のそばには、「立ちんぼ」と言われる売春婦がいて、体を打って稼いだ金を、ホストクラブのホストに貢ぐが、しょせんは捨てられるハメになる、という結果になる。玉木はこれと同類だ。国民党は、立ちんぼ同然だ。
※ 次項に続きます。
自民・公明・立憲 の連立政権になると思います。
一方、野党連合なら、合意点は簡単に見つかる。
そうね。普通に考えれば、自社連立はありえなかった。なのにそれを実現させた河野洋平がいかに卓抜だったかということになる。普通に考える人とは、レベルが違った。
どうしてそれが実現したかというと、社会党が大幅に現実路線を取ったからだ。そこまで見通していた河野洋平が優れていた。物事の本質を見抜いていたと言える。だから政権を奪い取ることができた。
政権を奪うには、それだけの能力と知性が必要だ。タナボタを待つだけでは駄目だ。
ちなみに、今回、多数派工作をしているのは自民党だけだ。野田は何も工作していない。単に「票をくれ」と言うだけだ。これは乞食と同じ。多数派工作ではない。ただの物乞いだ。