2024年10月15日

◆ ノーベル物理学賞(2024) .2

 ( 前項 の続き )
 ノーベル物理学(2024)の話。(承前)

 ──

 パターン認識とパーセプトロン


 前項では、ホップフィールドとヒントンの業績を紹介した。では、この二人の業績の意義は何か?
 それはパターン認識だ、と私は考える。前項でも述べたように、この二人はパターン認識の実現に貢献した。これはきわめて大きな意義を持っていた。
 なぜか? それは、パーセプトロンとの関係を考えるとわかる。


percept2.gif
パーセプトロン


 パーセプトロンのアイデアは、まさしく脳の本質を示した。ニューロンの網目構造が、原理的にはこのような形の構造なのだということを、見事に説明した。これは原理的な説明だった。しかも本質的だった。
 しかしながら、その原理はわかっても、それが具体的に何をしているのかは、さっぱりわからなかった。上図のような原理的な関係性はわかっていても、具体的にその詳細はさっぱりわかっていなかった。だから、上図はわかっても、そこから先には進めなかった。特に、具体的な機械としてのAIを構築することはできなかった。
 そこで、とりあえず甘利俊一らが、何とかまともに動くようなAIを構築したが、それはおよそ使い物にはならないような低性能のものだった。こうして黎明期には、とりあえず何とかAIらしきものを作れたが、それは人間の知性には遠く及ばないものだった。
 こうして黎明期が続いたが、やがて多くの先行研究のあとで、ホップフィールドが新たなモデルを出した。それはAIの本質であるパターン認識を実現するものだった。
 さらにヒントンがこれを改良して、教師なしで自発的に知性を向上させる方式を導き出した。これによって、パターン認識の大部分が構築されることになった。
 このようにしてAIにおけるパターン認識という基礎部分を構築したことに、二人の業績の意義はあると言える。

 ※ パーセプトロンが何をしているかを明かした、ということに相当する。パーセプトロンの各層の内実を明かしたわけだ。(骨格だけは。)

 CNN


 ただし、二人の業績でAIが完成したわけではない。二人の業績はあくまでAIの基礎であるパターン認識の部分だけだ。AIが実用的に機能するには、さらに別のアイデアが必要だった。(骨格以上のものが必要だ。)
 それは、CNN(畳み込みニューラルネットワーク)と言われる。これは甘利俊一以来の RNN(再帰型ニューラルネットワーク)とは異なるものだ。その前身となるアイデアは福島邦彦に与えられたが、のちに新たに体系化して CNN という概念でまとめたのが、ヤン・ルカン(など)だ。さらに、ヒントンもここで貢献した。(彼は二度目の貢献だ。)
 ここにおいて初めて、AIは人間に匹敵するほどの認識力を獲得するようになった。これが現在のAIブームを引き起こした。

 したがって、貢献度について歴史的に言うなら、次のようになる。
   
   甘利俊一
     ↓
   ホップフィールド、ヒントン
     ↓
   ルカン (福島邦彦も? ヒントンも?)


 ホップフィールドとヒントン(一度目)の業績は、このうちの2段階目に相当する。全体の3段階のうち、2段階目だけに、ノーベル賞は与えられたわけだ。

 ノーベル賞の謎


 ノーベル賞は2段階目の人物だけに与えられた。これは謎である。
 (1) 1段階目の甘利俊一と、3段階目のルカン(および福島邦彦)は、ともに排除された。これは不当である。より重要な二人が排除されて、重要性の低い2段階目ばかりが受賞するのはおかしい。
 (2) 2段階目におけるホップフィールドの貢献はあまり大きくない。類似の研究が多いし、似たような研究もあるので、ホップフィールドの成果は傑出していない。そもそも、ホップフィールドの研究そのものが、甘利俊一の後追いふうであって、独創性を欠いている。たいした業績ではない。

 以上の2点ゆえに、「今回のノーベル賞はおかしい」という批判があちこちで生じた。
  → 本来なら日本の甘利俊一・福島邦彦両氏が受賞すべき今年のノーベル物理学賞JBpress
  → Schmidhuber の Twitter

 これについては「ごもっとも」という同感の声も多い。
 とはいえ、ノーベル物理学賞の委員会も馬鹿ではない。そのような批判が来ることはあらかじめ理解できていたと思える。なのにどうして、批判されるような形で受賞を決めたのか? これは謎だ。

( ※ ノーベル物理学賞の委員会が馬鹿だからだ、というのが、上記の批判者の見解だが、私は別に、「ノーベル物理学賞の委員会が馬鹿だ」とは思わない。ゆえに、上記の批判には同調しない。)

 物理学の範疇


 上の謎がある。その謎を解くにはどうすればいいか? そこで、困ったときの Openブログ。名探偵に登場してもらおう。名探偵の推理はこうだ。
 「ノーベル物理学賞の授賞対象は、物理学の分野に限られる。医学や文学や平和活動などは、どれほど優れた業績であっても、ノーベル物理学賞の対象にはならない。同様に、AI研究も、どれほど優れたAI研究であっても、物理学に関係なければ、ノーベル物理学賞の対象にはならない。だから、このような結果になったのだ」

 ホップフィールドの業績は、物理学の手法で与えられた。ヒントンの業績も、物理学の手法で与えられた。そのいずれも、物理学の業績と見なすことができる。物理学の成果がAIに及んだので、物理学の力がAIにまで及ぶことの証左だと誇ることもできそうだ。それほどにも物理学の側面が大きかった。それはまさしくノーベル物理学賞の対象となりえた。
 甘利俊一の業績は違う。それはあまりにも数学的な面が大きいので、どちらかと言えば(物理学より)数学分野の業績と見なせる。CNN のルカンの業績は、生物学の成果を取り入れたと見なせるので、どちらかと言えば(物理学より)生物学の業績だと見なせる。ノーベル生物学賞があれば、その対象となっていいが、ノーベル生物学賞というものは存在しなくて、ノーベル医学生理学賞が代用となっているので、そちらの対象となってもいい。
 いずれにせよ、甘利俊一の業績も、ルカンの業績も、ホップフィールドとヒントン(一度目)の業績よりも大きいようだが、だとしても、ノーベル物理学賞の対象にはならないのだ。物理学上の業績ではないからだ。だからこそ、彼らはノーベル物理学賞に選ばれなかった。(甘利俊一も、福島邦彦も、ルカンも。)

 実を言えば、今回のノーベル物理学賞は、AI分野の優れた研究者に与えることが目的だったのではなく、AIの研究者をノーベル物理学賞の分野に取り込むことが目的だった。他人の懐に手を突っ込んで金を奪うように、畑違いのAIの分野に手を突っ込んで優秀な業績を取り込もうとするのが目的だった。
 これはいわば、ノーベル物理学賞の売名行為である。そのために、AIの研究者は利用されたのだ。
 だから、彼らの業績が立派で最優秀である必要はないのだ。単に「物理学賞の対象となること」つまり「他人の懐に手を突っ込みやすいこと」だけが理由となったのだ。この二人の業績ならば、「物理学賞の対象と見なせる」(物理学の範疇に入る成果だと見なせる)ということで。
 つまり、ただの(委員会の)ご都合だったのだ。ノーベル物理学賞は、受賞者のためにあるのではなく、ノーベル賞の委員会のためにあるのだ。……それが真相である。

 以上が名探偵の推理だ。


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 ※ 私の見解は、以上でおしまいです。

 ※ 次項では、これまでの話の典拠となった情報を紹介します。(出典・典拠ふうの情報。)
 
 
posted by 管理人 at 23:05 | Comment(0) | 科学トピック | 更新情報をチェックする
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