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朝日新聞が報じている。
インドネシアの首都ジャカルタから北東へ飛行機と車を乗り継いで6時間。カリマンタン(ボルネオ島)東部のジャングルを切り開いた造成地……
今後、20年以上かけて、ここヌサンタラに首都を移転させる計画だ。
政府は移転に約466兆ルピア(約4兆3千億円)を投じる予定。2045年までに38の省庁・国家機関を移転させ、約80万人の公務員を移住させるという壮大な事業だ。
ジャカルタにある中央省庁で働く国家公務員の30代男性……は「絶対転勤したくない」と何度も首を横に振った。
転勤逃れのため、男性の勤務先では、地方自治体への出向希望を出す20〜30代の職員が続出しているという。
男性は「なにより受け入れられないのは、住環境だ」と話す。電波状況は不安定で、スーパーはまだない。ショッピングモールやおしゃれなカフェに行くには、最寄りの街のバリクパパンに出るしかない。完成待ちの高速道路でも1時間半はかかる。
( → 元ジャングルに転勤「絶対イヤ」インドネシア首都移転、公務員の本音:朝日新聞 )
公務員だけが移住して、それ以外の商店は何もない。たぶん病院も文化施設も何もないのだろう。要するに、仕事をする場所はあるが、人が生活する場所がない。人間の住むことのできない欠陥都市と言えるだろう。
どうしてこうなった? 私の判断を言えば、こうだ。
「都市移転をしようとしたのに、都市計画がなかった」
つまり、都市計画のない都市移転である。まともな計画もなしに、行き当たりばったりで進んだことになる。もはや滅茶苦茶というしかない。いわば手術をするのに、予定も立てずに、行き当たりばったりで手術をするようなものだ。失敗確率 99% という感じだ。
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では、正しくは、どうすればよかったか?
できれば、綿密な都市計画をつくれば良かった。たとえば、こうだ。
「最初は大学だけを移転・新築する。筑波や八王子のように、大学を移転する。しかも、大学だけで生活が完結できるようにする。寮・生協・食堂を完備して、大学外に出かけなくても済むようにする。そのあと商店を招いたり、文化施設を招いたりして、徐々に都市を形成していく。そのあとで、研究施設を移転する。しかるのち、ようやく政府組織を移転する。それに先立って、大量の住宅と商業施設を建設しておく」
こんな感じにすればよかった。なお、建物の大部分は賃貸にして、土地の大部分は政府保有とする。街が発展したあとで、土地を販売すれば、土地を高価で販売できるので、莫大な開発収益を得ることができる。(今すぐ売るなら、安値で売るしかないので、儲からない。それは損だ。ゆえに、賃貸にするのが重要だ。)
だが、綿密な都市計画をつくれば良かったとしても、インドネシア人にとっては、まともな(緻密な)都市計画を作ることなど、最初からできそうにない。魚に「空を飛べ」と言うようなものだ。無理。困った。どうする?
そこで、困ったときの Openブログ。うまい案を出そう。というか、前に出したことがある。これだ。
→ インドネシアの首都移転: Open ブログ
ここでは、ヌサンタラについて、こう評価している。
この島には大きな難点がある。「他地域からは大きな海峡で隔てられている」ということだ。ジャワ島ともスマトラ島とも、大きな海峡で隔てられている。交通の往き来が不便このうえない。
とすれば、「成功すれば、大成功」になるとしても、そもそも最初から「成功するはずがない」ということになる。
ここはもともと失敗確実だったのである。
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では、かわりに、どうすればよかったか? 私は代案として、「ジャカルタの西方にあるランプン」を推奨した。ここは、ジャカルタのすぐそばにあるので、ジャカルタとの行き来は容易である。ただし、海峡で隔てられているで、現状では未開発の荒れ地である。
ここならば、船を使っても短時間で行き来ができるので、ヌサンタラに比べれば圧倒的に距離は近い。ジャカルタからの距離は、ランプンが 120km 、ヌサンタラが 1200km だ。10倍も差がある。なお、海峡の距離は 27km だから、船で1時間ほどだ。何も問題ない。(ちなみに、東京湾横断のアクアラインは 15km だ。かつてここにはフェリーが航行して、当時の所要時間は 70分だった。→ Wikipedia )
結論。
インドネシアの首都移転は、惨憺たるありさまである。
それは5年前の時点で、私が予見したとおりだ。(それが具現化した。)
対案は、5年前に示していた。ジャカルタのすぐそばにある広大な空地を選べばよかった。
[ 付記 ]
首都移転は、遷都とも言う。日本では、天皇の交替による皇居の移転をともなった。特に、奈良時代に顕著だった。奈良のあちこちで、こまめに移転して、場所を変えた。

出典:平城遷都1300年記念事業準備事務局資料
このとき、遷都にともなって、さまざまな文化的な大変化があったようだ。遷都の影響はとても大きかったらしい。
一方で、住民はぞろぞろと大移動したわけではなく、大部分は現在地に残って、一部がだんだんと新都に移動したようだ。
Felo の回答がある。
質問:
奈良時代の遷都にともなって、民衆も移転したのか?
回答:
民衆の移転は、天皇や貴族、官僚のように直接的に強制されることは少なかったとされています。一般的に、農民や地方の住民は、生活基盤を持つ地域に留まることが多く、都の近隣に住む者や官吏が移動する形が主でした。したがって、民衆全体が移転するという状況はあまり見られなかったと考えられます。
ただし、都の建設や維持に関わる労働力として、地方からの人々が動員されることはありました。特に、都の近くに住む人々や、官吏として都に仕える必要がある者たちは、移転に伴って移動を強いられました。このように、民衆の移転は主に都の近隣地域に限られ、広範囲にわたる移動は少なかったとされています。
まあ、普通に想像できることで、さもありなん、という感想になる。
だが、そういう普通のことさえもできないのが、インドネシアの首都移転だ。ひどいね、というしかない。
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なお、このことからしても、震災後の復興では、「再建の都市計画が必要だ」とわかる。
現実には、そこそこの復興計画はできているようだが、まともに統合的な発展までは考えていないようだ。その実例は、輪島の朝市の復興計画に見て取れる。地元と計画を練っているようだが、基本は現場通りの復興で、一部に道路拡幅がある程度だ。せっかく建物が壊滅したのだから、一挙に区画整理もすればいいのだが、そういうことはしないようだ。せっかくのチャンスを生かし切れていない。
もっとひどい例もある。過去の福島の復興にある。陸前高田では、「莫大な巨費をかけて、空地だらけのゴーストタウンを作っただけ」というふうになった。一戸あたり 5800万円も出費しながら、それはただの無駄金となった。その金は、被災者の手に渡るかわりに、公共事業の事業者の手に渡っただけだった。先に示した通り。
→ 被災地を復興するな .5: Open ブログ
都市計画がないどころではない。「宅地を造成すれば、たくさんの人が来て、復興は実現する」と妄想した。根拠なき妄想に従って、巨額の金が投入された。その時点で、「こんな無駄金はやめろ」と私が何度も指摘したのに、その指摘は無視され、巨費をかけて建設した。いわば、砂上の楼閣を建設するように。