2024年08月26日

◆ 会津の栄枯盛衰の理由

 会津は江戸時代に栄えてから衰えた。それはなぜか? → 地形ゆえだ。

 ──

 前項の話の関連で、NHK で次の番組を見た。(録画したもの)
  → 戊辰戦争と会津 - 歴史探偵 - NHK
  → 【感想】NHK 歴史探偵「戊辰戦争と会津」を視聴しました|hayahi_taro

 話の内容は、特に重大なことが含まれているわけではない。ただ、「会津藩は決して弱小藩ではなく、東北最大の強力な藩だった」というのが、意外だった。その強大さによって、幕府を支えていたが、そのせいで、長州からはひどく恨まれたらしい。

 ※ 新政府の発足後、会津藩は新政府にたてついたわけではなく、恭順の意を示したそうだ。ところが長州は、積年の恨みゆえに、何が何でも、会津藩を滅ぼそうとしたらしい。イスラエルによる、ガザ抹消みたいなものだね。
 ※ 会津藩の武士は、降伏後、故郷から放り出された。北海道の僻地 に送られた。皆殺しにしなかった分、イスラエルよりはマシかな。
   一部は、青森に。コメント欄を参照。

 ──

 さて。そのついでに考えたことがあった。
 「東北の一地方にすぎない会津は、どうしてそれほどにも栄えたのか? また、今ではちっとも栄えていないが、それはどうしてか?」

 これに対しては、私は次のように推定した。

《 栄えた理由 》

  ・ かつて繁栄したのは、そこが盆地で、稲作に適していたからだ。
  ・ そこは盆地なので、奈良盆地と同様に、肥沃だった。
   (関東平野は、火山灰台地なので、肥沃でない。
    リン不足。人糞の投入が必要。 → 参考資料:下肥
  ・ そばに猪苗代湖があって、利水に有利だった。


 以上のように推測したが、AIに質問して、確認できた。以下では、AIの回答を転載する。



 Gemini の回答


江戸時代の会津の稲作は、会津盆地の自然条件や藩政の影響を大きく受けながら発展してきました。

会津稲作の特徴

  • 冷涼な気候: 会津盆地は冷涼な気候で、稲の生育期間が短く、晩生の品種が栽培されていました。
  • 水利施設の整備: 藩政時代には、新田開発や用水路の整備が進められ、稲作の生産性が向上しました。
  • 「会津農書」の編纂: 会津藩では、農業技術書「会津農書」が編纂され、稲作技術の普及に努めました。
  • 自給自足: 会津藩は、米を藩内の食料として自給自足することを目指し、米作りが重視されていました。

江戸時代における会津稲作の状況

  • 初期: 保科正之の改革により藩政が安定し、新田開発や用水路の整備が進められ、稲作は発展しました。
  • 中期: 「会津農書」の編纂により、農業技術の普及が進み、稲作の生産性が向上しました。
  • 後期: 藩財政の悪化や天災により、稲作に影響が出始めました。

会津稲作のその後

  • 明治以降: 新しい品種の導入や農業技術の進歩により、稲作は近代化されました。
  • 現代: 冷涼な気候を活かしたコシヒカリの栽培が盛んに行われています。

 Perplexity の回答 1


会津の稲作に影響した主な自然条件は以下の通りです:

地形的特徴
会津盆地は稲作に適した地形を持っています。盆地状の地形が水田耕作に適した平坦な土地を提供し、稲作の発展を可能にしました。

土壌条件
会津地方の土壌は稲作に適しています。特に、里山の豊かな土壌が良質な米の生育を支えています。
この肥沃な土壌は、長年の稲作によって培われてきた可能性があります。

気候条件

寒暖差
会津地方の特徴的な気候条件として、昼と夜の寒暖差が挙げられます。この寒暖差が米の品質向上に寄与し、おいしい米を生み出す要因となっています。

周辺地域との類似性
会津は米どころとして有名な新潟県や山形県に隣接しており、気候条件が類似しています。この気候的特徴が、会津米の高品質を支える要因の一つとなっています。

水資源
稲作には豊富な水資源が不可欠です。会津地方では、猪苗代湖からの水を利用した灌漑設備が整備されており、これが安定した稲作を可能にしています。

 Perplexity の回答 2


会津の米作において、猪苗代湖の利水は非常に有益でした。以下に、その理由と影響を説明します:

安定した水源
猪苗代湖は、会津地方の農業、特に稲作にとって重要な水源となっていました。湖の水量が豊富で安定していたため、干ばつ時でも安定した灌漑用水を供給できました。

水利事業の発展
江戸時代には、猪苗代湖の水を効率的に利用するための水利事業が行われました。これにより、広大な会津平野に水を供給することが可能になりました。

洪水対策
猪苗代湖は自然の調整池としての役割も果たしていました。豪雨時には湖が水を一時的に貯留することで、下流域の洪水リスクを軽減する効果がありました。

水質の影響
猪苗代湖の水は、ミネラル分を含んでおり、稲の生育に適していたと考えられます。これが会津米の品質向上にも寄与した可能性があります。

経済的影響
安定した水源を確保できたことで、会津地方の稲作は安定し、藩の経済基盤の強化につながりました。 猪苗代湖の利水は、会津の米作に大きな恩恵をもたらし、地域の農業と経済の発展に重要な役割を果たしました。江戸時代を通じて、この天然の水源を活用するための技術や制度が発展し、会津の稲作文化の基盤となったと言えるでしょう。




 一方、会津が衰えた理由については、次のように推測した。

《 衰えた理由 》

  ・ 交通の便が悪すぎる。
  ・ 地形的に孤立した盆地で、他の平野とつながらない。 


 この件は、NHK の番組でも、だいたい似た趣旨の話が言及されていた。(交通の便が悪いということ。)

 ではなぜ交通の便が悪いかというと、地形的に孤立しているからだ。
 福島市や郡山市は、南方の白川や那須塩原を経て、関東平野までだいたいつながっている。だから、ここを東北本線が通っており、交通の便はいい。
 太平洋側も、いわき市や日立市など、海岸線に沿って平地が続いており、鉄道も通っている。
 しかし会津は違う。ここは孤立した盆地だ。他の平地とはつながっておらず、周囲は山地で囲まれている。鉄道を通すのも容易ではない。(橋やトンネルの連続となる。だから明治新政府にも鉄道建設を拒否された。しかたなく民間資金を集めて、私営鉄道を作った。)

 こういうふうに地形的に孤立していると、近代の文明社会では、もはや「文明から隔てられた」という形になって、繁栄することはできなくなる。
 現在ではどうか? 明治時代にできた鉄道を引き継いでいるだけで、ポンコツの鉄道があるだけだ。道路もあるが、山地に囲まれて隔てられていることには変わらない。

 盆地という地形は、かつては稲作のために有利であって、富をもたらしたのだが、近代の文明社会になると、その地形が不利になった。
 かつては繁栄した会津は、今では文化的には僻地になってしまったと言える。そして、それは、どうしようもないことなのだ。地形ゆえに。
 





 ※ 似たことは、米沢や山形にも当てはまる。ともに盆地である。だから、ひところは米作が盛んであり、とても繁栄したが、地形ゆえに交通の便が悪く、今では発展から取り残されてしまっている。それはどうしようもないことなのだ。


kokudaka.jpg
出典:城ある記資料


 ※ 盆地ではないが、北陸の富山・金沢・福井も似た状況にある。これらはかつては「加賀百万石」と言われ、日本で最大の富裕な米どころだった。しかし周辺を山地で囲まれて、他地域からは隔絶して、交通は不便だった。それでも、かつては日本海を巡る北前船のおかげで、物流は十分だったが、今では陸路の不便さゆえに、発展から取り残された。かろうじて、北陸新幹線が通ったおかげで、ふたたび発展しつつあるようだが、地形的な不利さは、いかんともしがたい。
(この不利さゆえに、能登半島が大々的に復興することはないだろう。なぜなら、能登経済の基盤としての富裕な加賀藩が、もはや消えてしまったからだ。)
 
 ※ 加賀藩の前田家の富裕さの名残は、東京の駒場の 旧前田家本邸 に見て取れる。(東大のすぐ隣)
   → 歴史を訪ねて 旧前田家本邸 | 目黒区

  (東大生にとって、デートの適地だ。)

posted by 管理人 at 22:05 | Comment(5) | 一般(雑学)6 | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
 次の箇所を加筆しました。
  ・ Perplexity の回答 1
  ・ 最後のあたり
Posted by 管理人 at 2024年08月27日 09:30
会津藩が転封されたのは北海道ではなく青森の斗南ですね。
  https://x.gd/PLeOZ
義和団の乱で有名な柴五郎大将の伝記に記述がありましたが、作物が育たずかなりの貧困を強いられたみたいです。
Posted by 大阪から at 2024年08月27日 11:41
 NHK の番組が小樽と言っていた。改めて調べ直すと、下記。

 ──

> 会津藩は廃藩となった。戊辰戦争が終ると新政府は蝦夷地の警護と開拓を行うために「開拓使」を設置、名称を「北海道」と改めた。藩が取り潰しになり東京で謹慎中の旧会津藩士の一部が北海道に移され、小樽・余市などの開拓に当たらされた。また、同時に会津松平藩の再興が認められ、旧南部藩内(盛岡)に領地を与えられ、斗南藩と称した。斗南藩は後に北海道に領地を与えられ、少数であったが旧会津藩士が北海道に移住した。

 https://www.pref.fukushima.lg.jp/sec/11015a/kikaku-hokkaido-03.html
Posted by 管理人 at 2024年08月27日 11:46
 会津が米どころであることについての解説。以下、転載。

 ──

米がおいしく育つには、以下の条件が必要です。

 1. 稲穂が出る時期の平均気温が23〜26度である
 2. 冬の積雪によって土が休むことができ、その後微生物の活動が盛んになる

そして、これらの条件を満たすのは、なんと

  ・ 福島県の会津地域
  ・ 新潟県の魚沼地域
  ・ 長野県の飯山地域

の3地域のみなのです。

──

 → https://hondaya.jp/store/rice/aizu_koshihikari/#1_1

Posted by 管理人 at 2024年08月27日 20:45
 ニッカが創業したのは、余市。余市という村ができたのは、会津藩士が移住したから。
 もし会津藩士が来なければ、余市は開発されなかったので、ニッカ創業の地は余市でなく別の地域になっていた。
 
 ウイスキーと会津には深い関係がある。

 https://note.com/fujiiman/n/n00a64a96c44a
 https://www.hoteresonline.com/articles/12552
 https://bushoojapan.com/jphistory/baku/2023/12/26/114549/3
Posted by 管理人 at 2024年08月28日 11:47
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

  ※ コメントが掲載されるまで、時間がかかることがあります。

過去ログ