2024年07月06日

◆ 原作改変・その後

 セクシー田中さんの騒動の、後日的な話。 最終結論。

 ──

 セクシー田中さんの騒動については、前に詳しく論じた。下記で全6回。
  → 原作改変・総括 .1(問題): Open ブログ
  〜 原作改変・総括 .6(余録): Open ブログ

 さらに事後的にも論じた。
  → 原作改変に日テレが声明: Open ブログ

 以上は事件の渦中にある2月中の記事だった。これでひとまず論評は終了(中断)した。

 ※ 私の主張の要旨は、こうだ。
   「ドラマ制作の現場と原作者が、双方で対面して、話しあうことが絶対的に必要だ。そうすれば意見の食い違いが起こらない」

 ──

 その後、新たに日本テレビと小学館から、調査報告が出た。
  → ドラマ「セクシー田中さん」 社内特別調査チームの調査結果について|日本テレビ
  → 調査報告書|小学館

 要旨(核心)は次の通り。
 日本テレビ 「原作者と対面させてくれと小学館に要望したが、拒否された」
 小学館 「原作者には、テレビ局との対面を提案した。だが、原作者に拒否された」

 後者(小学館の言い分)については、次の要約がある。
 報告書から読み取るかぎりでは、芦原さんは人づきあいの苦手な人だったようです。小学館の担当者から、脚本家と会って話しますかと持ちかけられても、直接会うといいたいこともいえなくなるからと断ってます。日テレスタッフと会ったのは、本物のベリーダンスをみんなで見る機会を設けたときだけで、しかもせっかく会ったのに、その際には仕事の話は全然してないのです。
( → 『セクシー田中さん』の原作改変問題の検討と改善案反社会学講座ブログ

 ただし、上記の話の該当箇所は、小学館の報告書では、うまく見出せなかった。

 ──

 小学館の報告書を読んで、私なりの結論を出すと、こうなる。

 ドラマの8回目までは、特に問題なく進んだ。しかし9、10回になって、大トラブルになった。未完成分について、脚本家が自己流の完結をさせた(恋愛ドラマふうのハッピーエンドだったと思われる)が、原作者は「これは作品の本来のテーマ」(女性が恋愛なしに自立すること)とは相容れないと感じて、全面的に書き直した。これはこれでよかったのだろうが、せっかく書いた脚本をボツにされた脚本家は「仕事を無にされた」と不満を記して、その後の騒動に結びついた。
 とすれば、(私なりに結論すれば)、問題の根源は、未完成の原作を勝手に完成させてドラマにする、という滅茶苦茶な方針にある。原作が未完成なまま、勝手にドラマ化すれば、原作との不一致が起こるのは当然だ。原作冒涜とも言える。
 本来ならば、あと半年を待って、原作が完成してから、原作に基づいてドラマ化すればよかった。なのに、そうしなかった。原作が未完成なまま、勝手に結末を作って、勝手にドラマ化した。……こんなことをすれば、原作者が文句を言うのもありがちだし、トラブルが起こるのもありがちだ。

 なるほど、直接的には、「原作者と現場とが対面して相談しなかったこと」が問題の原因だっただろう。対面して相談していれば、問題を回避することはできただろう。だが、これは本質ではないようだ。
  ・ 著者自身が、対面をいやがるようなコミュ障だった。
  ・ 対面をしなくても、1〜8回は成功していた。

 そういう事情がある。

 本質的なのはやはり、次のことだろう。
  ・ 未完成の原作を勝手に完成させてドラマにすること

 こういう方針が根源的に駄目だった。それはもともと「原作無視の改変」を内包していた。特に、「原作尊重」を非常に重視するタイプの原作者に対して、上記の方針を取ることは、絶対的にまずかった。

 ──

 以上のように、今回のトラブルの原因を突き詰めることができる。
 そして、その解決のためには、あれやこれやと面倒なことをする必要は何もなかった。単に次のことだけで済んだ。
 「作品が完成するまで待つこと」
 つまり、こうだ。
 「制作開始時期を、半年(またはもっと)遅らせること」
 それだけのことで済んだのだ。

 制作者としては、ドラマ化の権利の契約を結ぶだけに留めるべきだ。ドラマ化の時期を決める必要はない。契約だけ結んで、実際のドラマ化はもっと先に延ばせば済んだのだ。ほんのちょっと、それだけで済んだことなのだ。……なのに、そうしなかったから、人命が奪われた。
 
  ※ 契約金をちゃんと払うだけで済む。



 [ 余談 ]
 ところが、である。その簡単なことが、現実には できないようだ。なぜか? 次のことがあるからだ。
 「漫画を原作としたテレビドラマ化では、原作者に払う原作料は、タダ同然である」
 原作料がタダ同然だから、いつでも契約を反故にされる可能性がある。
 「今回の契約は破棄します。契約料は1万円だったから、違約金として1万円を払って、契約を破棄します」
 と言われたら、どうしようもないのだ。ドラマ化の権利は、あっさり他社に奪われてしまう。

 「原作料がタダ同然である」
 という悪しき商習慣が、テレビ局にとっては自分の首を絞める結果に結びついているわけだ。
 かくて、今回のような大トラブルが起こることもある。

 馬鹿丸出しというべきか。ケチはすべてを崩壊させる。



 [ 付記 ]
 「原作の完成を待つ」「時間的な余裕を取る」
 というような改善策もある。そういう時間的な改善策をとればいい、ということは、対策の一つとして、日テレの報告書でも提案されている。
 ただし、対策としてはいいのだが、今回の問題の原因がそこにある、とまでは指摘されていない。あくまで多くのうちの一つとして軽く提案されているだけだ。

 ただし、それを重視している経営者もいるようだ。フジテレビがそうだ。
  → フジ 日テレ「セクシー田中さん」調査報告書受け「映像化させていただくという立場を肝に銘じ」
 いくらかは反省もできているようだ。



 【 関連サイト 】
 
 参考記事。
  → 木南晴夏「最近のロケ弁の質があまりにも下がってる」驚いた弁当の内容とは | TOKYO HEADLINE

 ロケ弁の質が下がるとは、情けない。貧すれば鈍す。
 原作者軽視のかわりに、俳優軽視かな。


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posted by 管理人 at 23:36 | Comment(1) | 一般(雑学)6 | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
原作漫画をドラマで表現するのは相当に難しいと思うけど、管理人さんの言う通り原作漫画が完結してからドラマ化すれば、こんな悲劇は生まれなかった!

後になってから、問題を問題と思っていなかったボクにとって、社会問題に対する意識が低かったと言わざるを得ない・・・
Posted by hidari_uma at 2024年07月14日 07:42
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