2024年06月01日

◆ 武力と平和主義 .48

 ( 前項 の続き )
 シリーズの最終回。今回でいよいよ 完結となる。

 ── 

 イスラエルの方針転換


 本日は最終回……と書こうとしたら、大ニュースが飛び込んできた。イスラエルが方針を一転して、停戦の方針を示したのだ。
 「ハマスがイスラエルの人質を解放するのと引き替えに、イスラエルは攻撃を永久的に停止する」
 というもの。
 いかにも当然に思えるが、これは、今までハマスが提案してきたことそのまんまである。それを断固拒否してきたのが、イスラエル(ネタニヤフ)だ。
 「攻撃の永久停止なんて、とんでもない。ハマスが人質を解放したら、一定期間は攻撃を止めるが、その後はふたたび攻撃を続ける。パレスチナの民族絶滅まで攻撃を続ける。最後の一人まで殺し尽くす」
 というのが、ネタニヤフの方針だった。だから、ハマスの提案を一蹴してきた。
 ところが、このたび、イスラエルは方針を大転換して、ハマスの提案そのものを逆提案するに至ったのだ。
 バイデン米大統領は5月31日、イスラエルがイスラム組織ハマスに示した新提案の内容を明らかにした。3段階から成り、最終的には全人質の解放と永続的な停戦につながるものだと説明。ハマスは前向きな反応を示したが、イスラエルは軍事作戦を続けており、合意の成否は予断を許さない状態だ。
 米政府高官は記者団に、新提案はイスラエルが承認した上で、ハマス側には30日に伝達されたと述べた。新提案の内容は「数週間前のハマスの提案とほぼ同じ」という。 ハマスは31日、新提案について「肯定的に受けとめている」との声明を発表した。イスラエル首相府は31日、バイデン氏の演説後、声明を出し、ネタニヤフ首相が人質返還を達成するための新提案を承認したと明らかにした。ただ、「ハマスの軍事・統治能力の壊滅を含むすべての目的を達成するまで、戦争を継続できる」とも主張した。
( → イスラエル停戦へ3段階の新提案、米大統領説明 ハマスは前向き反応 :朝日新聞

 最後の一文が不明瞭だ。これだと、完全な停戦を意味しない。まだ紆余曲折の余地がある。
 しかし、そうだとしても、これまでの「パレスチナ民族の根絶」をめざしてきた方針とは、ほとんど正反対の方針だと言える。イスラエルはようやく、悪魔の心を捨てて、人間の心を取り戻したのかもしれない。

 安心するにはまだ早いが、希望の光がようやく見えてきたと言えるだろう。シリーズを閉じる最後の最後の段階になって、ようやく明るい未来の見通しが出てきたようだ。

 [ 余談 ]
 別途、問題がある。「イスラエルが交渉したくても、交渉相手がいない」ということだ。米国もイスラエルも、パレスチナ人の国家を承認しないので、交渉相手となるパレスチナ人の国家や政府が見つからない。パレスチナ自治政府はあるが、形骸化している。実質的に機能しているのはハマスだが、米国やイスラエルはハマスを「テロ組織」と認定しているので、ハマスを正式な交渉相手とすることが難しい。
 結局、「パレスチナ人の国家を承認しない」という米国とイスラエルの方針が、「交渉相手がいない」という結果を招いて、問題の解決を遅らせている。原理的な問題が発生している。自分たちの方針が自己矛盾を招いている、とも言える。馬鹿丸出しだね。

 隠された圧力? 


 イスラエルはなぜ、いきなり方針を急転換したのか? あまりにも不思議である。その謎は、私なりに推定できる。それは、「裏で米国が圧力を加えた」ということだ。
 つまり、イスラエルが攻撃を停止しない場合には、米国が次のようにして、実力を行使するぞ、と告げたのだ。
  ・ 武器供与の停止
  ・ 国連における拒否権発動の停止
  ・ パレスチナ国家の承認

 これらのことを裏で告げて、圧力をかけていた……という可能性がある。
 つまり、前々項の末や前項の冒頭で述べたこと(私の提案)を、米国がひそかにイスラエルに告げていた、というわけだ。

 そのような圧力は、本当にあったのか? あったすれば、あまりにも露骨な脅迫だし、イスラエルの体面を傷つける。だから、あったとしても、公表されることはないだろう。しかしながら、裏においてはこっそり、イスラエルに告げていた可能性があるのだ。……そう理解すれば、今この段階で、急にイスラエルが方針転換したことも納得できる。

 ※ そうでなければ、急転換は納得しがたいのだ。

 平和の意思


 話を戻そう。当面の話を離れて、シリーズのテーマに戻る。
 「パレスチナに平和をもたらすには、どうすればいいか?」
 このテーマでいろいろと論じてきた。前項でもいくつかの提案をした。また、実を言うと、前にもとりあえず、「当面の結論」というふうに述べたことがある。そして、そこでは最後に、こう述べた。
 最後にひとつ言っておこう。前にも述べことだが、次のことだ。
 「平和を実現するには、平和を望むことが必要だ」
 このことは、下記でも述べた。

   ****(中略)****

 このことこそ、このシリーズで最も強調するべきことだ、とも言える。なぜなら、現状では、その意思がないからだ。
( → 武力と平和主義 .19: Open ブログ

 上の(中略)という部分では、その一部に、こう記した。
  平和を実現するための道具があるとしても、その道具があるだけで平和が実現するわけではない。
 平和を実現するためには、何よりも、平和を実現しようとする強い意思が必要だ。平和の意思が。

( → 武力と平和主義 .11: Open ブログ

 いずれにおいても、「意思」の大切さを強調した。その「意思」とは、「平和の意思」だ。「平和を実現しようとする強い意思」だ。そういう意思こそが何よりも大切だ、と強調した。

 前項では、日本国内でデモをする人々の事例をいくつか紹介した。そこでは「デモをする」という形で、自らの意思を行動の形で示している人々がいる。そこにはまさしく意思がある。
 そして、こういう意思を通じてこそ、イスラエルの方針転換を引き出せるのだろう。

 ──

 今回、イスラエルは「 180度の転換」というぐらいの大きな方針転換をなしたようだ。ただしそれは、イスラエルが自発的に政策を変えたからではあるまい。世界の人々がデモなどの形で「意思」を示したからだろう。
  ・ 世界中の人々のデモや声明
  ・ 国際司法裁判所や各国政府の批判
  ・ バイデン大統領による圧力

 これらが絡み合って、イスラエルに方針転換を強要したのだ、と言えるだろう。
 とすれば、世界の人々が声を上げることは、やはり、それなりに大きな効果をもたらしたはずなのだ。

 ※ 米国の圧力が最も大きな効果をもたらしたのだろう、と思えるが、それとは別に、世界各国の声も大きな影響をもたらしたのだろう。

 ナチスをなぜ止めなかったの? 


 話は変わるが、昔のヒトラーのユダヤ人虐殺について、学校で学んだ子供が疑問を呈することがある。
 「どうしてヒトラーがそうするのを、当時の人は止めなかったの? そんな悪いことをする人がいたら、みんなで止めればいいのに」
 と。
 なるほど。子供ならば、そういう素朴な疑問を呈することもあるだろう。当時の社会がみんなでそろってナチスを支持していた、ということなど、思いも及ばないのだろう。「付和雷同」というような力がいかに巨大であるのかも、理解できないのだろう。

 まあ、たしかに現代の子供や若者ならば、大昔のナチスドイツに飲まれた世論を理解することはできないとしても、やむをえない。
 しかし、今まさしく、その渦中にあるのだ。ナチスドイツによるユダヤ人虐殺のように、イスラエルによるガザ虐殺がなされている。そして、それを見て、(つい先日まで)欧米はろくに止めようともしなかった。イスラエルを批判しようともしなかった。日本政府に至っては、ハマスを批判することに熱中して、イスラエルを批判するのをやめたほどだ。
 そして、そういう日本政府を見ても、大方の日本人は「我関せず」の態度だった。

 「どうしてヒトラーがそうするのを、当時の人は止めなかったの? そんな悪いことをする人がいたら、みんなで止めればいいのに」
 そう語る子供がいたように、次のように語る子供も出てくるだろう。数十年後に。
 「ねえ。おじいちゃん。昔はユダヤ人がパレスチナ人を大虐殺したんでしょ? どうしてそれを、当時の人は止めなかったの? そんな悪いことをする人がいたら、みんなで止めればいいのに。おじいちゃんは、そのとき何をしていたの?」

 あなたの孫が、あなたにそう問うかもしれない。そのとき、あなたは何と答えるか?
 「そのとき? ゲームしていたよ」
 とでも答えるのだろうか。

 ──

 繰り返して言おう。
 平和の実現のためには、意思が必要であり、行動が必要なのだ。それこそが世界に平和をもたらすのだ。人々が何もしないでゲームをしているのでは、世界には平和は訪れないのだ。

 批判よりも愛


 平和をもたらすには、意思と行動が必要だ。ただしそれは、「イスラエルを批判せよ」という意味ではない。単にイスラエルを批判するだけでは、平和が訪れるとは限らない。むしろ逆効果になることすらある。
 そのことは「北風と太陽」という逸話からもわかるだろう。

 ちなみに、次の事例がある。幼稚園の出来事だ。
 昔、私の目の前で息子を蹴る子がいた。注意してもやめず「なんでそんな事するの?」と聞いたら「いっつもママと楽しそうでずるい」と。
 腹立ってたのに気付いたら抱きしめてて、お迎えに行くたび構ってたら、暴力はやんで、「あ!クソババァ!」って飛んできて可愛かった。
( → Togetter

 暴力の止まらない子供がいた。その子供が暴力をふるうのは、もともと粗暴であるからではなく、寂しかったからだ。その寂しさを補うように、愛を与えたら、暴力は収まった。おしおきをするかわりに、愛でくるんだら、暴力は収まった。

 戦争も同様だろう。
 与えるべきものは愛だ。武器ではない。なのに、武器を与える。だから、虐殺が起こる。それがこれまで、イスラエルに米国やドイツがなしてきたことだ。

 イスラエルには、武器を与えるより、愛を与えるべきだ。では、愛とは? 個人に与える愛ではなく、国に与える愛とは何か?
 それは、前にも述べたことがある。PKO 軍の駐留だ。
  → 武力と平和主義 .36: Open ブログ
  → 武力と平和主義 .37: Open ブログ
  → 武力と平和主義 .43: Open ブログ
  → 武力と平和主義 .44: Open ブログ

 PKO 軍の駐留があれば、「世界がイスラエルを守る」という形になる。こうして、全世界で守ってあげることで、恐怖を消してあげる。「自分たちがこの地上から滅ぼされる」というイスラエルの恐怖を理解した上で、その恐怖を消してあげる。
 こうして世界に守られれば、世界に愛されると感じるので、不安がなくなり、心が優しくなるだろう。それとともに凶暴性が消えるだろう。……こうして悪魔の心が人間の心に戻っていく。
 そのために必要なのは、イスラエルを「悪魔だ」と批判することではなく、イスラエルを優しく愛してあげることなのだ。というより、「愛されている」と感じさせることなのだ。

 イスラエルは被害妄想にとらわれて、臆病になり、過剰防衛をすることで、やたらと大量虐殺をする。そのすべては、心の弱さに起因する。
 そういうのは、不安なせいで暴力をふるう幼児と同じなのだ。そういう幼児のような国には、おしおきをするよりも、愛してあげることが大切なのだ。憎悪や批判や正義感よりも、慈しみある愛こそが平和をもたらすのだ。

 そのことを原理として理解するといいだろう。




        別動画 https://x.gd/IM6ek


 [ 注記 ]
 ただし、愛するだけでは駄目だ。それでは、「甘やかし」と区別が付かなくなる。これまでの米国は、武器をやたらと与えるだけで、甘やかしていた。そのせいで、イスラエルはガキ大将のようにふるまうばかりだった。(スポイルしていたわけだ。)
 イスラエルには、甘やかすのとは別の方針が必要だ。特に、国連決議違反となる「入植」を停止させることが必要だ。米国が「拒否権」を行使したことも、改める必要があるだろう。

 良心の覚醒


 だが、何よりも大切なのは、イスラエルの方針転換ではない。欧米や日本の人々の方針転換だ。
 「見て見ぬフリ」
 「知らんぷり」
 「我関せず」
 こういう形で、ガザ虐殺を放置する人々が多い。良心が麻痺しているのだ。前にも述べた通り。
 自分が間違いをなしているとひそかに気づきながら、あえてそれを無視して間違いを続ける。……それは、どうしてか?
 そうことは、別に、特別なことではない。よくあることだ。現実の人間社会でも、多かれ少なかれ、いろいろな場面で見出すことができる。

 その一般原理は何か? 「良心の麻痺」だ。
 自分が間違いをしても、それを直視しない。見て見ぬフリをする。目をふさぐ。そのことで自分が何をしているかを理解しないでいられる。……たとえ自分のせいで大量の虐殺が起こるとしても、目をふさいでいれば、その責任に気づかずにいられるのだ。かくて、責任を感じずに済むのだ。
 これがつまり、ドイツがイスラエル支持を続ける理由である。

 こういう方針を取るのは、イスラエルだけでない。他の国も、同様のことをする。
 たとえば、日本だ。「見たくもないものは、見ないでおく。目を閉じることによって、それを見ても、見なかったことにする」という方針。
( → 武力と平和主義 .42: Open ブログ

 世界はイスラエルの暴走を黙認する。世界は思考停止状態になっている。知性はあっても、知性よりももっと大切なものが欠けている。(良心・良識・倫理観などが。)

 しかも、良心がないのに、自分では良心的にふるまっているつもりでいる。「過去になした虐殺を反省する。そのことで自分は良心的になっている」と思い込んでいる。こうして、大量虐殺するイスラエルを支持しながら、そういう自分を「良心的だ」と思い込んでいる。(勘違いしている。)
 ここには、良心の逆転がある。良心があるつもりでいるが、実は良心がない。これはもう狂人も同様である。
( → 武力と平和主義 .44: Open ブログ

 欧米や日本の人々は、良心をなくしている。ほとんど悪魔と化している。しかも、自分でそのことに気づかない。自分で自分の姿に気づかない。

 そこで前に、こう述べた。「彼らに自分の姿を教えよ。鏡となれ」と。
 だが、心を失った人々は、教えられても理解できないかもしれない。むしろ、反発するだろう。
 「おれたちが悪魔だと? とんでもない。おれたちの悪口を言うな。おれたちはちっとも悪くはない」
 と。

 なるほど。良心が麻痺している人には、良心による反省を求めても、もともと不可能なのかもしれない。もともと良心がなければ、良心による反省もありえない。目が見えない人には、「目で見よ」と言っても無理であるように。

 呼びかけ


 では、どうすればいいか? そのためには、良心が覚醒するように、促せばいい。たとえば、こう呼びかければいい。
 「昔のあなたを思い出してほしい。子供のころのあなたは、平和を望んだはずだ。大量殺害を嫌ったはずだ。人を殺すのを知れば、そんなことはやめてほしいと願ったはずだ。……だから、お願い。そういう昔の心を思い出して。昔のあなたを取り戻して。あのころのあなたを。純真な心のあなたを。利害や損得のために動くのでなく、平和を愛していた。そういう心を取り戻して。元のあなたに戻って。あのころのあなたに戻って」

 「鳥の詩」という歌もある。(杉田かおる)


    あなたがいた頃は 笑いさざめき
    誰もが幸福に見えていたけど
    人は人と別れて あとで何を想う
    鳥は鳥と別れて 雲になる 雪になる
    私の心が空ならば 必ず真白な鳥が舞う


 平和をもたらすのは、利害ではない。愛だ。
 一方、官僚たちは違う。彼らは、「国家の外交の基本は、国家利益だ」と信じがちだ。そういう彼らは、この世で一番大切なものは何かを考えるべきだろう。そこをきちんと理解しなければ、各国が自国の国家利益をめざしたすえ、最終的には人類は滅びてしまうだろう。

 人類に残された選択肢は、愛か死か、どちらかだ。しかるに、何もしないで放置する限り、人々はきっと「死」を選ぶだろう。なぜなら、死は美しい黄金色の「利益」という装いをしているからだ。人々はうわべだまされて、そちらを欲しがりがちだ。

( ※ 自民党やトランプの支持者がかくも多い、という現実を見ればわかる。)

 ──

 人の心は、鳥のように自由にはなりにくい。愛よりも金に縛られているからだ。そのひどい金属の重みゆえに、自由にはなりがたいのだ。






 ※ シリーズはこれで完結します。

   ただし、このあと、オマケの話が少しあるかも。

posted by 管理人 at 23:58 | Comment(7) |  戦争・軍備 | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
長大シリーズをありがとうございました。お疲れも癒えてきたでしょうか。

停戦については、実行に移されるまではまだどうなるかわかりませんので、経緯を見ていくしかありません。前回のハマス、今回のイスラエルの提案、それぞれの詳細は不明で憶測しか出てきませんのでこれについては論評しようがありませんが、停戦(終戦)という現実が達成されることを願いましょう。ただ、中東問題はこれで解決するわけではないので、停戦後に誰も彼も無関心になることが一番まずいことなのだろうと思います。けれど恐らく、そうなってしまうんだろうなとも思います。

私はイスラエルが方針転換をしたとは思っておりません。管理人様が断定されているようなパレスチナ民族を殲滅する意図は最初から無いし、少なくともガザ地区には軍の駐留も入植もなかった状態から10月7日のテロが起こされたわけで、当初より目的は人質の奪還とハマスの殲滅でした。非戦闘員の巻き添えがあまりに多いというのはその通りですが、民族殲滅を意図したものではありません(私が大量の巻き添えを許容・容認しているわけではありません。念のため)。欧米諸国は、多数の巻き添え発生に苦言を呈しつつも、ハマス殲滅の意図については容認むしろ推奨していたのではないかと思っています。だから方針転換したのはむしろアメリカなのかもしれません。

ハマスとの交渉の仲立ちをするカタールやエジプトなどの尽力が実を結ぶことを期待しています。各国の思惑が渦巻くため、予断は許さないですが。

5月27日の記事において「(2) 反ユダヤのキャンペーン」を提唱されながら「愛」を語られるのには違和感があります。現イスラエル政府や支援する国家群、そこに影響力を持つユダヤ系財閥などを非難するゆえに「反ユダヤ」を主張するとすれば、イスラエル政府が非道だからイスラエル一般市民は虐殺して可、というハマスと同じ発想なのではないかと思ってしまいます。

いずれにしても拗れに拗れている現状ですから、停戦後の強制力(PKFなど)は必須で、それが実現しないのであればいずれ戦闘は再開されるものと思います。たぶん、西岸地区では入植活動が繰り返され、イスラエル国内でも自爆テロやデモに乗じた攻撃が相次ぎ、ハマスなりイスラム聖戦なりが何らかの攻撃を加え、イスラエル軍が大規模反撃する。イスラエルも相変わらず国内に打ち込まれ続けるロケット弾を誰も止めなければ、自分で対処するしかないと思ってしまうことでしょう。「愛」と「実行力」の両方が揃わなければ、理想を掲げただけに終わってしまいます。そして問題は、その実行力を国際社会がまとまって発揮できるかということで、かなり困難な課題になるのだと思います。
Posted by けろ at 2024年06月02日 22:48
> 「(2) 反ユダヤのキャンペーン」を提唱されながら「愛」を語られるのには違和感があります。

 子供が悪いことをしたら、親は叱ります。それは親が子供を憎んでいるからではなく、子供への愛があるからです。
 悪さをし続ける子供を放置することは、決して愛ではなく、ただの甘やかしであって、甘やかして駄目にすること(スポイルすること)になります。今のイスラエルは、まさにこれ。
Posted by 管理人 at 2024年06月03日 10:01
 ネタニヤフがパレスチナ民族を殲滅したがるのは、最愛の兄を(軍事活動中に)失ったからです。一方的に殺されたのならともかく、軍人が軍事活動中に死んだのならば、栄誉の戦死として扱えばよさそうなのだが、ネタニヤフはそうではなかった。愛するものを殺されたことで、徹底的にパレスチナ人を憎むようになった。
 愛とは逆の憎しみは、人を悪魔に転じさせるものです。そのことを理解するべき。

 「愛する人を無惨に殺されたなら、その相手を殺してやる」
 という気持ちになる人は、とても多い。

  ※ ネタニヤフの兄は、栄誉の戦死なのだから、これには当てはまらないんだけどね。そこを理解できないのが、ネタニヤフ。
Posted by 管理人 at 2024年06月03日 10:29
 今回の停戦案で問題が解決するかというと、そうは言えない。問題を抜本的に解決するには、パレスチナ人の生存権を認める必要があるが、イスラエルがそうするのは難しいからだ。
 イスラエルとしては、パレスチナ人の生存権を認めない(民族を抹消する)というのが基本方針だ。その証拠が、入植を止めないということだ。これによってパレスチナ人を最終的にはパレスチナ領域から排除する。殺すつもりはなくとも、パレスチナの外の地中海に放り出す。その後に死ぬのはイスラエルのせいではない、という理屈で、民族を抹消する。

 ヒトラーはドイツ領域からユダヤ人を抹消しようとした。これを否定するのは歴史歪曲だ。今のイスラエルがパレスチナ人の抹消を狙っていないというのも歴史歪曲だろう。
 「パレスチナ人を地上から抹消しようとしているわけじゃない。地上のどこかで生きることは認めている」
 と言ったとしても、「地上のどこか」なんてものは存在しないのだから、結局は「イスラエルの国土領域(= パレスチナ領域のすべて)」からパレスチナ人を追い出す(抹消する)という形で、パレスチナ人の抹消を狙っている。
 その証拠が、入植だ。

 これを止めるには、「パレスチナ人の生存権を認める」ことが必要だが、イスラエルがそれを宣言することは、まずありえないだろう。「民族抹消」という最終目的に反するからだ。
Posted by 管理人 at 2024年06月03日 10:51
大変な力作、また労作、管理人さんの人間に対する深い愛情を感じました。私は時々拝見して他人の主張ではなく全てご自身の考えを書かれている点、ものすごく魅力を感じまたとても参考になりました。

米の停戦案を拒絶していたネタニヤフが一転して、自ら永久的な停戦提案をしたのはそのまますんなりとは納得できません。ご指摘のように、武器供与の停止やパレスチナ国家承認などを出したのでしょう。これは愛ではなく脅しですね。もしネタニヤフが米の脅しに屈せずに一国でもやる!と言って米とイスラエルが対立し米がパレスチナ国家承認などしたら米国内のユダヤロビーの資金と票がトランプに回ります。もしトラが実現します。それだけは絶対に避けたい。もっと怖い条件をネタニヤフに出したのでしょう。米の言うことを聞かない極右はどうなるか?安倍元首相が脳裏に浮かびます。ネタニヤフにはグランドデザインがあります。ユダヤの民の永遠の存続と安寧にはパレスチナの消滅が不可欠でしょう。そのデザインが揺らいだことはなく今までずっと一貫してそれをやってきたのでしょう。米(バイデン)にグランドデザインはありません。あるのは私益だけ。選挙を控えたトルーマンが世界でトップにイスラエルを国家承認した。ユダヤの票と資金のためです。同じです。

これからどうなるか注目していきたいと思います。
プルトニウムの粉という弱者の兵器を使えば生き残ったたった一人によってイスラエルなどあっという間に消滅し、ユダヤの民は再び流浪の民に戻ります。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーー
人類はすでに戦争をやめる時が来ているのです。それには何が必要か?管理人さんが正しくご指摘されたように“愛”が必要だと私も思います。国家のグランドデザインを超えた“愛”、国益を超えた人類益、祖国愛を超えた人類愛が必要です。
人類はそこに気づくでしょうか。
それは人類がやれる可能性があるのでしょうか。
それこそが「人新世」のテーマでしょう。
Posted by SM at 2024年06月03日 20:30
> 今のイスラエルは、まさにこれ。

なるほど。イスラエル政府が悪いから、そのルーツにある全世界に広がる全員を懲らしめるキャンペーンを張れと。

管理人様のご提案は既に世界で実現しつつあり、各国のシナゴーグやコミュニティが襲われたりしています。(逆にモスクやイスラム系の団体が襲われたりもしていますが)


それ、「ユダヤ人差別」そのものなんじゃないでしょうか。


ロシア大統領が悪ければ、反ロシア人キャンペーンを、
中国首席が悪ければ全世界に散らばる華僑はじめルーツの人々にも向けて反中国人キャンペーンを、
そしてイスラエルに与するアメリが政府が悪いと思えば、反アメリカ人キャンペーンを、
そのアメリカに追随する日本国政府が悪ければ、反日本人キャンペーンを。

「愛」どころか、世界中が敵対の渦に飲み込まれそうです。

でも、そんなことを主張されているわけではないのですよね?
Posted by けろ at 2024年06月03日 23:43
 ユダヤ人自身が、イスラエル支持を表明して、イスラエルに金銭を出している。こうなれば、殺人をする殺人犯の共犯者になるのは、必然です。

 殺人を支援するために金を出しておきながら、「おれは殺人の実行犯じゃない。だから無罪だ」と言い張るのは無理がある。普通は共犯となってユーザーになります。
 ちなみに、判例では、殺人部隊の運転手や監視員だけであっても、殺人の共犯と見なされます。実行犯でなくても、協力すれば、共犯なんです。

 イスラエル市民として税金を払って、その金でパレスチナ人を大量虐殺するのであれば、殺人の共犯と見なしていいでしょう。
 アメリカにいてイスラエルに寄付する人も、また同様。
 彼らは罪の意識を感じるべきだ。

 ただし、だからといって、彼らにリンチを加えるのは、また別の話だ。リンチはそれ自体が違法行為です。
 リンチを奨励・許容しているわけではありません。多くのユダヤ人は、自分自身では数万人を殺したことの責任の一部を負うが、たとえ彼ら自身が大量殺人の共犯者だとしても、これらの共犯者の人権は守られるべきでしょう。
 換言すれば、ユダヤ人は人殺しのし放題だ、とも言える。それはそれで、仕方ない。けろ さんは大喜びしそうだ。
Posted by 管理人 at 2024年06月04日 00:40
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