では、われわれはどうすればいいのか? いよいよ、結論を示そう。
──
鏡となって指摘せよ
イスラエルが暴走するのを見ても、世界はそれを止めることができない。それは世界が良心を麻痺させているからだ。世界は自分が悪に染まっていることを自覚しながらも、あえて意図的に良心を麻痺させることで、見て見ぬフリをする。かくて「王様は裸だ」と言えなくなる。……これが、前項で示したことだ。
では、そういう状況で、われわれはどうすればいいのか? 世界に平和をもたらすには、どうするべきなのか?
それについては、先に述べた。
・ 世界が悪魔と化したことを指摘せよ。彼らの姿の真実を教えよ。
・ そのために鏡となれ。真実を教えるために声を上げよ。
・ そうして彼らの良心を覚醒させよ。
人々が何もしなければ、戦争は止まらない。しかし戦争を止めることは、まったく不可能だというわけでもない。たとえこの世界が悪魔に握られているのだとしても、悪魔に抗するための声を上げることはできる。……それは、平和を求める声だ。平和を望む声だ。
人々が平和のために声を上げれば、戦争を止めることはできる。
( → 武力と平和主義 .12: Open ブログ )
こうして人々が声を上げることで、世界を変えることができるはずだ。一人だけの声ではできないとしても、大勢が協力すればできるはずだ。
巨大な悪に対抗するには、どうすればいいか? それは、力を合わせることだ。一人一人は小さくて微力でも、大勢が力を合わせれば、大きな力を生み出せるからだ。
では、力を合わせるのは、何のためか? 力を合わせて、何をしようとするのか?
それは、悪魔と化した人々の心を、覚醒させることだ。
イスラエル自身の心を覚醒させることは難しいだろう。彼らの良心が目覚めることはないだろう。
しかし、欧米の心を覚醒させることはできるだろう。彼らにはまだいくらか良心が残っている。その良心は眠っている。だから、眠った良心を目覚めさせて、濁った心を覚醒させて、悪魔から脱させることはできそうだ。かろうじて。
だから、彼らの心を覚醒させるように、世界の人々が声を上げればいいのだ。
( → 武力と平和主義 .32: Open ブログ )
世界は悪に染まっている。世界は悪魔と化している。だが、世界はそれに気づかない。自分が悪魔に化したとしても、それを映す鏡がなければ、自分が悪魔になったことに気づかずにいられる。
だから、われわれは鏡となって、彼らの姿を教えるべきなのだ。「おまえたちは悪魔となっている」と。そう指摘するべきなのだ。
何のために? 良心を覚醒させるためだ。今は眠っている良心を、めざめさせるためだ。閉じている目を、開かせるためだ。見て見ぬフリをやめさせて、真実を直視させるためだ。
そのために、声を上げるべきなのだ。
告げる相手は?
声を上げるにしても、告げる相手を間違えてはいけない。間違えている例としては、朝日新聞の社説に見られる。
→ (社説)イスラエル ラファ侵攻は許されぬ:朝日新聞
「イスラエルのラファ侵攻は許されぬ」という趣旨で、「イスラエルは攻撃をやめ、停戦交渉に真摯に臨むべきだ」と書く。イスラエルに向けて主張(批判)する。
しかし、これは告げる相手を間違えている。朝日新聞が日本で何を書こうと、その声がイスラエルに届くことはない。届いても、あっさり聞き流される。それはただの「犬の遠吠え」と同じである。一粒の砂ほどの効果もない。ただの無駄だ。
では、どうするべきか? 日本人が声を上げるとしたら、その告げる相手はイスラエル政府ではない。日本政府だ。
だから、日本政府に向けて訴えるべきなのだ。「日本政府は、イスラエル支持・容認をやめよ」と。「イスラエルのラファ攻撃を、日本政府は非難せよ」と。ここでは、「双方の戦闘行為が停止することを望みます」なんていう曖昧な言葉で言うのでなく、「イスラエルの大量殺害は許されない」と明確に批判するべきなのだ。
このように、日本政府に向けて、日本人は訴えるべきだ。さらには、イスラエルに同調するドイツや米国や英国をも批判するべきだ。
訴えるべき相手は、イスラエルではなく、欧米や日本だ。ここを間違えてはならない。
※ 各国政府だけでなく、無関心層も、訴える対象となる。デモをすることで、無関心層の注目を引いて、共感者を増やすことも大切だ。社会や世論を動かすことが重要であり、そのためには無関心層に訴えることが大切になる。
訴え方を工夫せよ
社会に向けて声を上げるにしても、単に「反イスラエル」や「虐殺反対」と唱えるだけでは、つまらない。訴え方が平凡では、無関心な人々の注目を集めない。そこで、もっと注目を集めるように、訴え方を工夫する必要がある。次のように。
(1) ナチスのパロディ
イスラエルの虐殺は、ヒトラーやナチスの虐殺に似ている。そこで、この両者の類似性を浮き立たせるパロディを宣伝することで、注目を集めることができる。前に例示した。
逆手にとって、ナチスとそっくりのことを唱えるといい。ナチスはこう唱えた。
「ユダヤ人を虐殺することは正しい」
「ユダヤ人をガス室に送れ。劣等民族を絶滅させよ」
「世界に冠たるドイツ」
これを真似して、こう唱えるといい。
「パレスチナ人を虐殺することは正しい」
「パレスチナ人をガス室に送れ。劣等民族を絶滅させよ」
「世界に冠たるイスラエル」
ガス室の大量死を暗示させてもいい。
「ガザでは苦痛のない安楽な方法で死を与えよ!」
( → 武力と平和主義 .32: Open ブログ )
※ 「ガスで安楽死させるヒトラーの方が、イスラエルよりもはるかに人道的だ」という皮肉を、明らかにするわけだ。子供の頭をカチ割ったり、手足を切断するという、イスラエルの非人道性を示す。
(2) 反ユダヤのキャンペーン
「ユダヤ人差別」「反ユダヤ主義」というのは、従来の人道主義では、とうてい許されがたかった。
しかし今や、ユダヤ人の大量殺害こそ、人道主義に反するものとなっている。となれば、ユダヤ人を批判することは、かえって人道主義にかなう。
そこで、あえて(皮肉的に)「反ユダヤ」のキャンペーン(またはデモ)をすればいい。たとえば、デモのプラカードに、こう書く。
「ユダヤ人は子供を大量殺害する」(*)
「日本政府は殺人するユダヤ人の味方だ」(*)
こういうふうにキャンペーンをするといいだろう。
ただし、そうすれば、批判されるかもしれない。「反ユダヤだ!」「人種差別だ!」と。
しかし、たとえ批判されようと、大丈夫だ。なぜなら、上のような文句(*)は、嘘ではないからだ。そこに書いてあることは事実である。否定できない。日本政府は否定したくても否定できないのだ。
なお、反ユダヤのキャンペーンの極致としては、こう書くといい。
「人殺しをするユダヤ人の両腕を切れ」
これはネタニヤフの言葉を、そっくりなぞったものだ。(裏返しにする形で。)
→ 前出:ネタニヤフの言葉
「我々はハマスのテロ体制を崩壊させるまで止まらない。彼らの両腕を切り落とし、二度とイスラエルに刃向かえないようにする」
ネタニヤフはパレスチナ人にそうしようとした。ならば、同じことを、ユダヤ人全体にも施せばいいのだ。なぜなら、イスラエルはラファで 100万人を殺そうとしているからだ。100万人の命を救うためには、ユダヤ人の 100万人の両腕を切り落とすべきだ。……その方式を示したのは、ネタニヤフ自身なのだ。
( ※ シャイロックに仕返しするように、ユダヤ人に仕返しをしてやれ。「それが正義だ」とシェークスピアも言うだろう。)
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《 加筆 》
「反ユダヤのキャンペーンをしろ」というのは、差別主義を高めるためではない。では、何のためか? イスラエルを批判するためか? 違う。イスラエルの支援者を動かすためだ。
イスラエル政府の横暴さをもたらすのは、イスラエル国民のほかに、世界各国にいる在外ユダヤ人がいる。彼らが自国の政府や議会に働きかけることで、世界各国を動かしている。また、莫大な資金源にもなっている。(ロスチャイルド、ロックフェラー、モルガン、ゴールドマン・サックスなどだ。 → ユダヤの商人 )
イスラエルの横暴さを止めるには、こうした支援者を動かす必要がある。そのためには、「イスラエルがラファ侵攻をすると、世界各地のユダヤ人にも危害が及ぶぞ。人殺しを支援すれば、支援者自身も殺されかねないぞ」と思わせるといいのだ。そうすれば、彼らユダヤ人は人殺しを支援するのを、ためらうようになるだろう。
反ユダヤのキャンペーンというのは、差別主義のことではない。殺人の支援者を批判することだ。(通常の刑事事件ならば、共犯者として逮捕されてしかるべきだろう。)
(3) 拒否権停止を求めよ
現状では、アメリカはイスラエルに「ラファ侵攻停止」を要求しているが、イスラエルはこの要求を拒否した。イスラエルがアメリカにたてついているわけだ。とんでもないことだ。
これに対して、世界は何もしないで傍観している。これも、とんでもないことだ。困った。どうする?
そこで、困ったときの Openブログ。うまい案を出そう。こうだ。
「イスラエルがアメリカにたてついているのなら、アメリカはイスラエルを懲らしめればいい。そのことを、世界でキャンペーンすればいい」(デモなどで)
具体的には、こうだ。
「イスラエルがラファ侵攻をしたら、アメリカは報復として、安保理における拒否権の発動を停止すればいい」
具体的には、次のような拒否権を停止する。
・ パレスチナ国家の国連加盟
・ イスラエルによる虐殺の停止を求める決議
これらに対して、アメリカはこれまで、拒否権を発動してきた。しかるに、今後は、拒否権の発動をやめればいい。そういう方針転換を、アメリカに要請すればいい。……そういうことを、キャンペーンで訴えればいいのだ。デモなどの形で。
「ラファ侵攻後には、アメリカは拒否権を発動するな」
と。
こうして、ラファにおける 100万人の虐殺を阻止できる。そのために、人々が声を上げるべきなのだ。
※ 話が長くなったので、中断します。
次項に続きます。
という章の最後に、
《 加筆 》
という話を加筆しました。 (約 500字)
それ、もう続きとして書いてあるのだが、公開が遅れているうちに、コメント欄に書かれてしまった。