2024年05月16日

◆ 武力と平和主義 .44

 ( 前項 の続き )
 イスラエルは恐怖ゆえに暴走するが、欧米や日本はそれを止めようともしない。

 ── 

 ユダヤ人への是認


 イスラエルが暴走するのは、過去に基づく恐怖のせいである。だから、暴走を止めるには、その恐怖を和らげればいい。具体的には、PKO軍の駐留をすればいい。……と前項で述べた。
 では、現実はどうか? それができない。できないというより、そうしようともしない。その発想すらもない。なぜか? その理由は、「イスラエルは恐怖ゆえに暴走する」という真実を理解できないからだ。かわりに、「イスラエルは正しい」と是認するばかりだ。(虐殺も是認する。)

 なぜそんな馬鹿げたことを思うか? というと、「過去においてユダヤ人を虐殺したのは悪いことだ」と反省した上で、「過去を反省するから、ユダヤ人を是認することが正しい」と思うからだ。
 ここでは、過去に関して、「ユダヤ人を虐殺したのは悪いことだ」と思うのだが、そのとき、「ユダヤ人を」というところだけに着目して、「虐殺した」ということを見失ってしまう。だから、「ユダヤ人を是認するのが正しい」と思い込んで、「ユダヤ人自身が虐殺する」という逆方向の虐殺を容認する。こうして倒錯的な状況に陥る。
  → 武力と平和主義 .42: Open ブログ(前々項)
 

 愚行と知性


 これはいったいどういうことか? どうしてこういう馬鹿げたことが起こるのか?
 馬鹿げたことが起こること自体は、不思議ではない。人間というのは馬鹿な存在なのだし、これまでも多数の愚行をなしてきた。「人間は考える葦である」という言葉にならえば、「人間は愚行をなす葦である」と言ってもいいくらいだ。
 だが、それでおしまいではない。たとえ愚行をしても、そのあとでは、人類は歴史的にどんどん進歩していった。そういう歴史が続いた。

 ところが、20世紀後半以後になって、それが変わった。人類は一挙に途方もない愚行をするようになった。第二次大戦は途轍もない規模だったし、戦闘員でない市民を虐殺するのも途轍もない規模となった。さらには原爆のような大量破壊兵器を、開発するだけでなく駆使した。ベトナム戦争では化学兵器をぶちまけたり、枯れ葉剤でベトちゃんドクちゃんのような奇形児を生んだりした。人類はもはや人間の域を超えるほどの悪魔と化していった。
 原爆の開発には天才物理学者が多数関与したし、ベトナム戦争では数字の天才が関与した。知性のレベルではこれまでにない高さの知性が関与した。これほどにもすばらしい知性が関与したからには、人類には平和がもたらされそうなものだが、期待や希望とは逆に、それらの知性は人類を大量殺害するために駆使された。

 では、どうしてこうなったのか? まるで知性的であればあるほど、愚かになっていくかのようだ。それではわけがわからない。いったいどういうことか? 

 良心の麻痺


 そのわけを言おう。
 人類は愚行をする。だが、愚行をしたあとでは、それを自覚して、それを反省して、自らを是正しようとする。そうなるのが普通だ。だから、人類はこれまで長らく進歩してきた。
 しかし今回は違う。今回は、人類は愚行をしても、それを自覚せず、それを反省しない。だから自らを是正することもできない。
 では、なぜ? なぜそうなのか? 知性が足りないせいか? 

 違う。人がそうなっているのは、知性が足りないからではない。良心が麻痺しているからだ。つまり、自分の悪に気づくべきときに、自分を見る目をふさいでいるからだ。
 このことは、前にも述べた。
 自分が間違いをなしているとひそかに気づきながら、あえてそれを無視して間違いを続ける。……それは、どうしてか?
 そうことは、別に、特別なことではない。よくあることだ。現実の人間社会でも、多かれ少なかれ、いろいろな場面で見出すことができる。

 その一般原理は何か? 「良心の麻痺」だ。
 自分が間違いをしても、それを直視しない。見て見ぬフリをする。目をふさぐ。そのことで自分が何をしているかを理解しないでいられる。……たとえ自分のせいで大量の虐殺が起こるとしても、目をふさいでいれば、その責任に気づかずにいられるのだ。かくて、責任を感じずに済むのだ。
( → 武力と平和主義 .42: Open ブログ

 ドイツはこの方針を取り、日本もその方針を取る。両国のみならず、欧米の諸国はすべてそういう方針を取る。
 かくて世界はイスラエルの暴走を黙認する。世界は思考停止状態になっている。知性はあっても、知性よりももっと大切なものが欠けている。(良心・良識・倫理観などが。)

 しかも、良心がないのに、自分では良心的にふるまっているつもりでいる。「過去になした虐殺を反省する。そのことで自分は良心的になっている」と思い込んでいる。こうして、大量虐殺するイスラエルを支持しながら、そういう自分を「良心的だ」と思い込んでいる。(勘違いしている。)
 ここには、良心の逆転がある。良心があるつもりでいるが、実は良心がない。これはもう狂人も同様である。


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 ※ 次項に続きます。

 
posted by 管理人 at 23:26 | Comment(2) |  戦争・軍備 | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
PKOの駐留は、ゴラン高原では実現していました。イスラエルとシリアの両国による合意があったからです。しかしガザではどうでしょうか。そもそもパレスチナ自治政府の統治が及んでいない地域であり、合意する機関がありません。ハマスが実効支配している状況ではありますが他の組織も活動しており、政府間合意よりもハードルが高い状況です。イスラエルも右派は当然反対するでしょうが、ガザからの攻撃が一切無くなる」保証がなされれば、小党乱立の中で平穏を望む勢力が多数を占めるものと思います。「駐留しない」のではなくて「駐留できない」のが現状なのではないかと思います。当事国の合意が無くても強権的に国連の部隊を派遣できるような制度改正があればよいのでしょうが、常任理事国各国の利害関係がぶつかるのでそれも難しいでしょう。

歴史を鑑みるに、元から人類は虐殺を是としてきたのではないでしょうか。戦いにおいては非戦闘員も含めた大虐殺を繰り返していましたし、原爆や大空襲のレベルの大量殺戮も、そんな兵器の無い時代から幾度となく繰り返されてきました。平時と戦時、味方と敵、身内と他所者、時と場合によって愛に溢れた博愛精神が勝る時もあれば、容赦ない非道が優勢になる時もあります。「良心の麻痺」と片付けるのは、いささか単純に過ぎるようにも思います。
けれども放置しておいて良いはずはありませんから、人間はそういう存在であるという前提のもとで成立する解決策を講じる必要があって、良心に訴えて目を覚ませという訴えだけでは効果が小さいものと思いますが、いかがでしょうか。
Posted by けろ at 2024年05月17日 09:44
 本項は問題提起。
 解答編は次項。
Posted by 管理人 at 2024年05月17日 10:24
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