2024年05月06日

◆ 武力と平和主義 .39

 ( 前項 の続き )
 ベトナム戦争では 300万人が無駄に殺害されたが、そこではマクナマラという特別に優秀な人物が寄与した。

 ── 

 マクナマラの業績


 武力の使い方については、興味深い話がある。ケネディ政権で働いた、マクナマラの件だ。NHK の番組で、彼を扱った回があった。
  → スワイプ人物伝「ベトナム戦争 マクナマラの誤謬」 - 映像の世紀バタフライエフェクト - NHK

 マクナマラはケネディの部下だ。では、大統領でもないただの部下が、どうして特集を組まれるのか? この人が屈指の天才と言われたからだ。
 マクナマラは、若くして米軍で働いたときには、日本軍の壊滅のために、圧倒的な業績を残した。その後、フォード自動車で自動車の普及に圧倒的な功績を挙げた。
 その実力を見込まれて、ケネディにハンティングされた。二人は親友のように仲良く過ごした。しかしその蜜月は、ケネディ暗殺で終わった。
 その後、マクナマラはジョンソン大統領に仕えて、ベトナム戦争で大きな足跡を残した。
 以上の話を順に追おう。

 (1) 日本軍壊滅

 マクナマラは日本軍壊滅のために圧倒的な影響を及ぼした。それは「 B-29 の大量配備」という方針だ。ターボチャージャーを積んだ B-29 は、高度1万メートルの航空を飛ぶので、そこに届かない零戦や紫電改に迎撃されることもない。高みの攻撃という形で、一方的に攻撃することで、大量の成果を上げた。
 ただし高空すぎて、攻撃の精度が落ちるので、軍事施設を狙い撃ちにすることはできないゆえに、市街地を広域爆撃するという方針を取った。このせいで民間施設を焼き払うという国際法違反の無差別攻撃となった。
 マクナマラはその天才的な頭脳によって、「B-29の大量配備」という方針を提案して、実現させた。こうして大量虐殺の方針を取ることで、日本軍に壊滅的な打撃を与え、かつ、民間人を大量虐殺する効果をもたらした。
 東京の都市部を標的とした無差別爆撃によって、市民に大きな被害を与えた。爆撃被災者は約310万人、死者は11万5千人以上、負傷者は15万人以上、損害家屋は約85万戸以上の件数となった。
( → 東京大空襲 - Wikipedia

 この意味で、ヒトラーにも匹敵する大量虐殺者と言える。(ただし、実行者ではなく、提案者だ。最終責任はない。自ら殺すのではなく、他人に殺し方を教えるだけだ。悪魔のように。)

 (2) フォードの大量生産

 マクナマラはフォードでは、日産のゴーンのように、コストカッターとして働いた。各種の無駄を徹底的にそぎ落として、低コストで低価格な小型車を新規開発した。ファルコンという。この車は年に 500万台も売れる爆発的なベストセラーとなった。それで高収入を得た労働者がファルコンを買うようになる……という好循環で、フォードは大幅に業績を向上させた。勢いを買って、マクナマラは社長にまで上り詰めた。(1960年)

 (3) ケネディ政権

 マクナマラはケネディに見込まれて、国防長官に抜擢された。ただちに省内改革に着手すると、旧態依然となっていた事務を、コンピュータの導入で劇的に効率化した。これによって大幅なコストダウンを実現した。
 その後、ベトナム戦争が勃発すると、国防長官としてあれこれと働いたが、どうもうまく行かない。そこで「ベトナムからの撤退」を進言して、ケネディの同意を得た。ケネディは「ベトナムからの撤退」を決断して、まさしく撤退に着手した。
 その一カ月後に、ケネディは暗殺された。

 (4) ジョンソン政権

 続くジョンソン政権では、マクナマラは(ケネディとは正反対にベトナム戦争拡大の方針を取る)ジョンソン政権に仕えることになった。それが部下として正しい方針だと信じて、大統領に従った。かくて、ベトナム戦争を拡大した。
 だが、最終的には、米国は敗北して、ベトナムから撤退することになった。その途上では、ベトナム人を 300万人も殺した。300万人! これほどにも大量の虐殺をなしたのだ。
 「殺すことこそ正しい。殺せば殺すほど正しい」
 という悪魔のような価値判断を取ることで、米国兵は殺人マシーンと化していった。「戦いでの勝敗よりも、とにかく人を殺すことこそが最大の目的なのだ」という方針で、やたらと死者の数を増やそうとしていった。まるでゲームのポイントを増やそうとするように、ベトナム人の死者数を増やすことに熱中していった。……ここでは、米国兵はほとんど悪魔と化していた。
 そして、その方針を決めたのが、マクナマラだった。
 マクナマラは定量的指標を用いてベトナム戦争に勝つことができると考えました。
 具体的には、マクナマラは「アメリカ兵の死亡数と敵兵の死亡数の比率」に着目し、「アメリカ兵の死者数よりも多く敵兵が死亡している限り、軍は勝利への道を進んでいる」と判断したわけです。しかし、マクナマラは戦争が両軍だけでなく関係国家の民間人も関与していることを考慮していませんでした。マクナマラは「測定できない物を管理することはできない」という有名なビジネスのフレーズを用い、自身の考えが正しいものであり、死者数以外の定量化できない指標は「戦争の勝敗とは無関係」と主張し、考察から除外しました。
( → アメリカを敗戦に追い込んだ「マクナマラの誤謬」とは? - GIGAZINE

 ──

 (*)結論

 結局、マクナマラをどう評価できるか? 
 彼は傑出した優秀者だった。非常に頭が良かった。知能指数は抜群だった。そしてすべてを数字で評価しようとした。しかし、数字で評価しようとしたとき、数字で評価できないものを見失った。これがいわゆる「マクナマラの誤謬」だ。命名した批判者によって与えられたレッテルだ。
 ここから、「物事を数字だけで決めつけてはいけない。数字だけで判断して、数字に表れない点を見失ったのが、彼の失敗だった」というふうに結論づける。
 しかし、話はそういう単純なものではあるまい。

 MBA の数字重視


 話は変わるが、次のページが話題になった。
コストカッターが、短期的に利益を上げ、そのコストカッターが出世や転職していなくなった後に、問題が発生する。

この現象に、名前はないものか。
( → Togetter

 この事例としては、最近ではボーイングの経営も当てはまりそうだ。利益重視というボーイングの経営陣の方針が、安全のコスト削減を通じて、安全性を低下させて、事故続発をもたらした。
  → https://x.gd/nbRjW

 また、似た例としては、日産のカルロス・ゴーンがすぐに思い浮かぶ。彼の方針の下で、日産は部品のコストを徹底的に切り詰めたせいで、製品の品質低下をもたらした。その結果、「日産車の品質は突出して低い」という世評をもたらしたので、価格を大幅に引き下げる必要が生じて、コスト低下を上回る価格低下を招いて、利益率が激減した。
  → 日産自動車の没落: Open ブログ

  以前 :90円で作って、100円で売っていた。10円の黒字。
  ゴーン:コストカットで、85円で作れ。黒字が 15円に増えるぞ。
  以後 :85円で作ったが、80円でしか売れないので、赤字に。

 
 似た例は、他にもある。トヨタ傘下である、ダイハツや豊田自動織機などの不正だ。やはり無駄なコストカット主義のせいで、事件が起こった。
  → https://x.gd/gUVyy )

 もっとひどい例もある。知遊覧船事故だ。ここでもったコストカットを提案したコンサルに従った社長が、安全性を軽視して、利益追求に走ったすえに、事故を引き起こした。
  → https://x.gd/bfvRe

 さて。これらの手の方針には、共通点がある。次のことだ。
 「経理の帳簿上の数字ばかりに着目する。企業体質の質的な改善という面は、無視する」

 数字に現れるものばかりを見て、数字には現れないものを見ない。明確な数字になるものだけを見て、明瞭な数字にならないものを見ない。

 このような方針は、有名な MBA(米国経営学修士)の方針だ。そこでは(帳簿の)数字を通じた経営改善を徹底的にたたき込まれる。だから、その出身者は、みんな数字に着目して、数字としての利益を増やすことを徹底的に重視する。
 ちなみに、マクナマラは MBA の出身だ。
 カリフォルニア大学バークレー校で経済学を専攻し、1937年に卒業した。 卒業後に1939年にハーバード大学のビジネススクールでMBAを取得した。
( → ロバート・マクナマラ - Wikipedia

 見えないもの


 さて。数字を重視すること自体は、特に問題ない。理系ならば誰もが、数字を重視する。
 だが、自然科学はいざ知らず、人間の営みにも、その方針で済むのだろうか? なるほど、
 「見えないものは、見ようがないのだから、無視する」
 という発想は、科学的だとも思えるので、そういう発想を取ることも不思議ではない。
 しかしながら、「星の王子さま」には、こういう言葉がある。
 ものごとはね、心で見なくてはよく見えない。いちばんたいせつなことは、目に見えない
( → 『星の王子さま』の名言集

 目に見えないもののうちにこそ、いちばんたいせつなことがある。
 目に見えないからといって、無視していいということにはならない。
 数字にならないからといって、無視していいということにはならない。
 その代表は、人の愛だ。愛は、目にも見えないし、数字にもならない。だから、MBA の出身者ならば、真っ先に切り捨てるだろう。
 しかし、そういう方針では、大切なことを見失ってしまうのだ。

 マクナマラの誤謬


 冒頭で示した NHK の番組では、マクナマラの数字重視主義を「マクナマラの誤謬」という言葉で紹介した。
 マクナマラは数字重視主義を取ったが、それが過度になった。過ぎたるは及ばざるがごとし。あげく、物事の真実を見失った。ベトナム戦争において、数字ばかりを重視した。その結果、どうなったか?
 上でも引用したように、次の方針を取っていた。(再掲)
 マクナマラは「アメリカ兵の死亡数と敵兵の死亡数の比率」に着目し、「アメリカ兵の死者数よりも多く敵兵が死亡している限り、軍は勝利への道を進んでいる」と判断したわけです。
( → アメリカを敗戦に追い込んだ「マクナマラの誤謬」とは? - GIGAZINE

 こうしてキルレシオに着目して、「味方の死者の45倍も敵を殺しているのだから、勝利は確実だ」と述べた。「数字こそが真実を示す」と思い込んだ。
 しかし現実はそうはならなかった。アメリカ軍の死者6万人に対して、北ベトナム軍の死者は 300万人に上ったが、それでもアメリカ軍は敗北して、南ベトナムの領土を奪われた。アメリカは、アメリカ大使館を支配され、南ベトナムからの撤退を余儀なくされた。
 つまり、キルレシオや死者総数などは、戦争の勝敗とは直結しなかったわけだ。
 では、どうしてか? マクナマラが見ていた数字は、「どちらが軍事的に優秀な軍隊であるか」を示す数字ではあった。だが、それは、「戦争に勝つか負けるか」の数字ではなかった。北ベトナム軍は、質的な優劣の面では米軍よりもずっと劣悪だったが、劣悪な低レベルの軍を量的に大量投入することで、米軍に打ち克ったのだ。300万人の死者を出して、莫大な犠牲を払ったが、それでも戦争には勝ったのだ。

 ※ そもそも米軍は、対独戦争や対日戦争のときほど、本腰を入れていなかった。片手間の戦争にすぎなかった。中途半端な戦力による戦争では、本気で攻めてくる北ベトナム軍に手こずるのは、仕方なかった。

 マクナマラからの教訓


 以上の話からは、教訓を得られる。
 それは何か? 「数字第一主義になってはいけない」ということか? 「マクナマラの誤謬に陥ってはならない」ということか? …… NHK の番組はそういう趣旨だった。しかし、私はそうは思わない。

 NHK の番組に従えば、「数字第一主義をやめろ」ということなのだから、「別の形で戦争に勝利しろ」ということになりがちだ。実際、「マクナマラの誤謬」という言葉を使った人は、「数字に頼らず勝利するべきだった」と言うつもりでいるようだ。
 しかし、私はそうは思わない。マクナマラは失敗したのではない。むしろある意味で、成功しすぎたのだ。300万人も殺したのだから。
 300万人の殺害! これは、近代では、途方もない殺害者数だ。第二次大戦の米国の戦死者数は、29万人と言われる。その 10倍にもなる死者数だ。
 これほどにも大量の死者を引き出したのだ。それも、米国の捏造した証拠で起こした、不正義の戦争で。( → 前項
 現在、ガザではイスラエルが 150万人の虐殺を実行しようとしているが、ベトナムでは米国が 300万人の虐殺を実行したことがあるのだ。そして、それをもたらしたのが、有能な殺害者であるマクナマラだった。マクナマラは、あまりにも有能な殺害者なので、日本では東京大空襲で 12万人の市民を殺害し、広島と長崎では原爆で 20万人以上の市民を殺害し、ベトナムでは 300万人を殺害した。彼の圧倒的な知性は、多数の市民を殺害するために、きわめて有効に駆使されたのだ。

 では、そこから得られる教訓は? それは、こうだ。
 「最も有能な人間は、最も有能な殺害者と化する」
 「最も有能な人間は、最も有能な悪魔と化する」
 これが私の言いたいことだ。

 ※ マクナマラを批判する人は、彼を「戦争で負けた無能な悪魔」と見なして低評価を与える。だが、彼は「 300万人を殺害した有能な悪魔」と見なせるのだ。マクナマラを批判する人こそ、良識をなくした、人でなしだ。

 ※ マクナマラを批判する人は、「戦争の勝敗は数字では測れないものだ。だから、数字にとらわれずに、数字以外の本質を見て、撤退を決めるべきだった」と主張したいのかもしれない。それが本筋かもしれない。……しかしながら、そんなことを言われなくても、撤退はマクナマラ自身が判断していた。数字を見て、きちんと判断して、撤退するしかないと判断したので、撤退を進言した。かくて、撤退をケネディに決断させた。ベトナム戦争の撤退のために最も寄与したのは、マクナマラだったのだ。……ところが、ベトナム戦争の撤退を決めたケネディは、撤退反対派の不興を買ったせいで、暗殺されてしまった。暗転。

 ※ マクナマラは「ベトナム戦争からの撤退」という方針を正しく判断した。しかるに次のジョンソン大統領は、方針をひっくり返して、「ベトナム戦争推進」に転じた。その方針にマクナマラは素直に従った。かくて北爆が推進され、300万人の殺害に至った。……自らの提案した方針(撤退)に逆らう方針を取って、大量殺害を実行した。大量殺害を頭で判断したのはマクナマラではなかったが、そのための手足を動かすのに大きく関与したのはマクナマラだった。彼は殺人の実行者として、あまりにも優秀すぎたのだ。それがつまり、
 「最も有能な人間は、最も有能な殺害者と化する」
 「最も有能な人間は、最も有能な悪魔と化する」
 ということだ。












 ※ このあとさらに2項目ぐらい続きそうです。

posted by 管理人 at 17:16 | Comment(1) |  戦争・軍備 | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
2回にわたる解説をありがとうございました。原爆を企画し開発した物理学者については原爆以外のところで勉強していて尊敬していました。アインシュタインの物理、ファインマンの教科書など本当に素晴らしい。一方、原爆開発についてはわざと避けていました。大筋お説は正しいのだと思います。ただ1点だけ加えれば、もし日本人が原爆開発していたらためらうことなく使っていたと思います。まあありえませんが。
ベトナムについていえばアメリカは負けたのではなく嫌になってやめたというのが正しいのでしょう。米国の若者の戦死、国内の反戦運動、南ベトナムでの反米気運をみて、戦争に勝ったとしても統治することが割に合わないと思ったのだと思います。それは正しい判断でした。ただし300万人のベトナム人の命を奪った罪は消えません。
 
Posted by ひまなので at 2024年05月06日 18:30
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