武力についての話。歴史的な話も。
──
武力の効果
イスラエルはイランのミサイル攻撃を受けて、肝を冷やした。それまで、好き勝手に攻撃をしているときには、米国が何を言っても聞こうとしなかったのだが、イランのミサイル攻撃を受けたあとでは、いくらかは他人の言葉に耳を傾けるようになった。
ここからも明らかだろう。「平和をもたらそう」「武器を捨てよう」というようなスローガンは世界に兵をもたらすことはない。逆に、傲慢な独裁者を屈服させるような武力こそが、傲慢な独裁者の攻撃の手を止めるのだ。
「平和が大事だ」と言いながら、白旗を掲げて敵の前に飛び出せば、敵の機関銃の銃弾を受けて皆殺しになる。それが戦争の現実なのだ。傲慢な独裁者の攻撃の手を止めるには、傲慢な独裁者の肝を冷やさせるだけの武力が必要なのだ。(さもなくば聞き入れない。ネタニヤフやプーチンのように。)
ただし、この際、傲慢な独裁者の軍を打破する必要はない。武力は必要だが、武力を行使する必要はない。武力は見せびらかすだけでよく、武力で殺害する必要はない。……ここを間違えないようにしよう。
( ※ その点では、イランの戦略は非常に優秀だった。ヒトラーみたいなネタニヤフとは大違いだ。)
武力と歴史
武力の必要性については、歴史的な教訓がある。とくに日本に絞っても、武力のおかげで助かった例が、少なくとも二つある。
(1) 元寇
元寇では、中国(というよりモンゴル)の軍が日本に襲来した。この件は、先に言及したことがある。
→ 元寇に神風は吹いたか?: Open ブログ
この元寇は、二度もあったが、その二度とも、日本は元の軍を打破した。なぜか? 神風(台風)が吹いたからだ、と言われるが、疑わしい。正しくは、日本軍が軍備の力で元の軍を打破したのだ、と思える。上記項目で示したとおりだ。つまり、軍備の武力こそが、日本が元に侵略されることを防いだのだ。
《 参考 》
ちなみに、朝鮮(高麗)は、元の侵攻を受けて、下記のようになった。
モンゴルの高麗侵攻は、朝鮮半島を統治していた高麗王朝に対して、モンゴル帝国が1231年から1273年にわたり繰り返し行った戦争を指す。この間、主要な戦いは9度行われ、高麗の国土は荒廃した。戦争の結果、その後約80年間にわたり高麗はモンゴル/元朝の支配下に置かれることとなる。
( → モンゴルの高麗侵攻 - Wikipedia )
なお、元寇を退散させた日本の側も無傷ではいられなかった。多額の戦費を出費した鎌倉幕府は弱体化して、社会が不安定になり、ついには鎌倉幕府は滅びてしまった。
(2) 戦国時代〜江戸時代
戦国時代から江戸時代には、織田信長・豊臣秀吉・徳川家康が活躍したが、この時代の主役となったのは、この三人よりも、道具としての武力だった。特に、鉄砲だった。
織田信長は鉄砲を使って、日本統一の野望に向かった。
→ 信長だけが鉄砲を大量導入できた2つの理由
秀吉はそれを引き継いで、日本統一を実現した。
秀吉の死後、豊臣軍は関ヶ原の戦いで敗北したあと、大阪城に閉じこもった。大阪城にこもって鉄砲隊で防御する豊臣軍は難攻不落に思えた。徳川軍は攻撃に失敗するばかりだった。
そこで家康は決断した。オランダから大砲を購入して、大砲で大阪城を攻略したのだ。その効果はめざましく、あっという間に豊臣軍は敗北した。(大坂の陣・冬と夏)
→ 関ヶ原の戦いと鉄砲・西洋銃/ホームメイト
家康はオランダから大砲を購入したが、その背景には、スペインと抗争するオランダの思惑があった。オランダは何が何でも日本に大量の武器を売却したかったのだ。(そこに自国の存亡を賭けていた。そうしなければ自国が滅びかねなかった。)
一方で、スペインは世界侵略を試みていた。南米で得た銀山による銀貨を得て、それを史上初の国際通貨とすることで、世界の貿易を牛耳り、世界を支配しつつあった。その道具となったのがキリスト教だ。まずはキリスト教を布教して、信徒を増やすことで、その国を支配する、という方針を取った。それが奏功して、すでにアジアの一部を支配下に収めていた。次は日本を支配しよう、という方針を取っていた。
→ NHKスペシャル 戦国〜激動の世界と日本〜 (2)「ジャパン・シルバーを獲得せよ 徳川家康×オランダ」
しかしスペインのその方針は成功しなかった。オランダが邪魔したことも一因だが、最も大きな要因は、日本には圧倒的な武力があったことだ。日本は火縄銃を輸入したあと、織田信長の方針で、火縄銃の国産化を進めた。おかげで日本は当時、世界でも最大規模の銃保有国となっていた。この武力ゆえに、スペインは日本を武力で支配することを諦めたのだ。
( ※ だからスペインは、キリスト教布教による逐次的な支配をめざした。ところがそれは、オランダの密告のせいで、家康の逆鱗に触れた。キリスト教布教は徳川の転覆を見なすものと見なされ、キリシタン禁止令が出るに及んだ。)
ともあれ、日本がスペインに支配されずに済んだのは、日本には強力な武力があったからなのだ。仮に武力がなければ、他のアジア諸国のように、スペインに支配されていたかもしれない。また、もっとあとになって、スペインについで隆盛したイギリスなどに支配されていたかもしれない。
※ あと1〜2回、続く予定です。