Q&A 形式で、質疑応答ふうに答える。(イスラエル支持者に対して。)
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Q&A
Q&A 形式でいくつかを論じる。
Q 「パレスチナ人の生存権を認めず、すべての土地を奪い取る、という方針は一貫している」
と前項に記してあるが、それは、イスラエル政府の方針ではなく、イスラエル政府のうちの右派だけの方針では?
A その方針を明言しているのは右派だけだが、明言しなくともイスラエル政府はその方針を取っている。つまり、「2国家共存を認めない」という方針を取っている。
そのことは、次の3点から裏付けられる。
・ 入植を停止しない。
・ パレスチナの政府を認めない。(国家を認めない。)
・ パレスチナの国連正式加盟を否定する。
国連安全保障理事会は18日、パレスチナの国連正式加盟を勧告する決議案を否決した。米国が拒否権を行使した。
( → ロイター )
ここでは、拒否家を発動したのは米国だが、それはイスラエルの意を受けてのことだ。イスラエルがパレスチナの国家成立を認めないから、認めようとする国連決議に米国が拒否権を発動する。(ウクライナ侵略を批判する国連決議に、拒否権を発動するロシアと同様だ。)
Q ハマスだってやたらとイスラエル市民を殺そうとしているぞ。
A それはイスラエル市民がそう感じているというだけであるにすぎない。イスラエル市民は巨大な被害妄想にとらわれているので、小さな攻撃にさえ、大いにびくつく。小人の影を、巨人の影だと思い込む。そうしてむやみやたらと発砲する。(臆病者の銃乱射。)
イスラエルがどう感じるかは、問題ではない。「ハマスは大量殺人しようとしているぞ」というイスラエルの妄想に付き合う必要はない。妄想を理由に他人を虐殺することが許されるはずがない。(気違いに刃物だね。)
妄想ではなく事実に従って考えるべきだ。イスラエルがこれまでに虐殺した人数と、ハマスが攻撃した人数を、比較すればいい。イスラエルが虐殺した数の方が圧倒的に多い。
( ※ そもそも、ハマスが出現したのは、オスロ合意以後なので、オスロ合意以前には、ハマスは一人も殺していなかった。その時点で、イスラエルは大量にパレスチナ人を殺していた。)
Q パレスチナ市民の生存権が脅かされるだけでなく、イスラエル市民だって、ハマスによって生存権を脅かされている。どちらの側も平和を望んでいるのに。
A 全然違う。パレスチナ人は、イスラエル人の生存権を否定していない。昔は別だが、近年では「イスラエルを滅ぼせ」という主張は少数派だ。近年のパレスチナ人は、「自分たちの生存権を認めてくれ」という一点に絞られている。
一方、イスラエル市民の大半は、パレスチナ人の生存権を否定している。それがつまり「右派政権の存続」であり、「入植の存続」である。
なお、イスラエルの左派の人々は、「パレスチナ人の生存権を認める」「2国家共存を認める」「パレスチナ人の虐殺に反対する」と言っている。だが、それらの意見は少数派なので、政権を取れない。ゆえに、国家の方針とはならない。
ちなみに、この派の代表であるラビンは、暗殺された。それがイスラエルの現実だ。イスラエルの総意だ、と言ってもいい。イスラエルという国民は、パレスチナ人の生存権を否定するためであれば、和平派の首相を暗殺することも厭わないし、そのあとには好戦派のネタニヤフを選ぶほどなのだ。
Q 世界各国の協調が進まないのは、欧米側・アラブ側の利害関係が絡み合っているせいだろう。
A 違うね。利害の問題ではない。では、何か?
「ロシアによる侵略と虐殺は許せないが、イスラエルによる侵略と虐殺は許せる」という二重基準を取る欧米(および日本)の、悪魔的な精神が原因だ。あまりにも恥知らず。良心を持たない悪魔性。ひどい悪党であるトランプでさえ、ガザにおける虐殺には心を痛めているのに、欧米(および日本)は、いまだにイスラエル支持を続けて、イスラエルに武器援助や経済援助をし続ける。虐殺を支援しているのも同然だ。
損得感情なら、トランプが得意だが、そのトランプは、ガザで金儲けしようというような商人根性はない。一方、欧米(および日本)は、「良心を麻痺させる」という形で、悪魔性を帯びている。
金ではないのだ。良心を失い、人間性を失うという、いっそう根源的な問題がある。
Q 欧米諸国がイスラエルを支持するのは、欧米が善と考える民主主義を尊重する国・民族を支援するということだろう。
A 違うね。すでに 前々項 で示したように、福音派の圧倒的な影響がある。それ以外に、キリスト教とユダヤ教の親密な関係がある。「キリスト教はユダヤ教が生んだ子供」と言ってもいいような関係にあるからだ。
ユダヤ教 の聖書 = 旧約聖書
キリスト教の聖書 = 旧約聖書 + 新約聖書
こういう親密な関係にある。だから福音派はユダヤ人を支持するし、ユダヤ人支持のために熱狂的に叫び声を上げる。( → NHK の動画 )
ここでは、宗教的な盲信が根源となっている。それが良心を麻痺させ、理性や判断力を曇らせる。(だから自らが悪魔となる。しかもそのことに気づかない。)
Q 欧米諸国は、非民主国家における何十万・何百万の死者は「やむを得ない」と思っているのだろう。
A 仮にそう思うのであれば、民主主義を否定するイスラエルと米国に爆弾を落とす必要がある。パレスチナ人が民主政権と自立国家を構築したいといっているのに、それを妨害しているのは、イスラエルと米国なのだ。パレスチナ人の政権樹立や国連加盟を否定しているのは、イスラエルと米国なのだ。
米国は拒否権の発動というかたちで、国連の決議を拒否する。
・ ガザでの攻撃停止(虐殺の停止)
・ パレスチナの国連加盟(パレスチナ人の生存権を認める)
この二つに拒否を発動する。それを促すのがイスラエルだ。
この2国は明らかに民主主義を否定している。その意味では、独裁的であり、ヒトラーのようだ。
この2国こそ、民主主義を否定する侵略国家なのだから、この2国に爆弾を落とされてもいいはずだ。
Q じゃあ、どうすればいいのさ。
A すべての根源は、イスラエル人の「恐怖ゆえの妄想」にある。あまりにも激しい恐怖をもつので、あまりにも巨大な妄想をいだくのだ。
「ハマスが怖い。ハマスに殺されたくない」
と怯える。ハマスの小さな影を、巨大な影のように思い込む。

そこで、こう結論する。
「ハマスが怖いから、パレスチナ人の女子供を大量に虐殺すればいい」
これはもはや狂気である。ヒトラーの狂気と同様だ。こういう狂気性(つまり妄想)こそが、イスラエルの攻撃性の根源なのだ。
そして、その狂気性に同調する欧米の悪魔性が、問題を悪化させているのだ。
Q そんなことを言ったって、ハマスは現実にパレスチナ市民を殺害しているぞ。これは妄想ではない。
A 妄想とは、ハマスの(小さな)攻撃のことではない。ハマスがイスラエルの全体を滅ぼそうとしている、という恐怖のことだ。そんなことは現実にはありえない。(その能力もない。圧倒的に小規模だ。ゾウと蟻ぐらいの力の差がある。)
そもそも、イスラエルがハマスの攻撃を避けたければ、その方法は簡単だ。オスロ合意を遵守すればいい。それだけだ。(つまりパレスチナ人の生存権を認めればいい。)
現実には、そうしない。パレスチナ人の生存権を認めない。国連加盟も認めない。パレスチナ人には絶滅のみを求める。だから、絶滅する前に、せめてハチの一刺しをしようとする。……それがハマスの攻撃だ。
ならば、ハチの一刺しを避けるためには、パレスチナ人の生存権を認めればいい。それだけのことで済む。
しかしイスラエルは決して、パレスチナ人の生存権を認めない。だから、ハチの一刺しを受ける。その報復として、女子供を大量虐殺する。それを欧米が容認する。
かくて人類は悪魔となる。それを恥じもしない。
Q 欧米に「悪魔だ」と言っても、悪口を言われたと感じた欧米は反発するだけでは?
A 私が欧米に向かって「悪魔だ」と告げよ、と言っているのは、彼らにいくらかは恥の意識があると期待しているからだ。「悪魔だ」と言われたとき、彼らに残っているわずかな良心が覚醒して、自らの姿に恥じて、正気を取り戻すかもしれない。そう期待しているからだ。
だが、ひょっとしたら、彼らはもはや二度と元に戻れない地点を越えてしまったのかもしれない。もしそうならば、人類は滅びるしかあるまい。
イスラエルの暴走を止める能力をもつか否かは、人類が存続できるかどうかの試金石となるのだ。人類がその良心を持たなければ、人類がいつか滅びることは必然であろう。
私が「悪魔だ」と語るのは、彼らの悪口を言うためではない。彼らを絶滅から救うためだ。しかし彼らはそのことに気づかない。ガザの人々を絶滅させることは、人類を絶滅させることになると気づかない。気づかないまま、ガザの子供たちを虐殺しながら、自らが悪魔と化していく。
私が彼らを「悪魔だ」と指摘するのは、彼らが悪魔と化していくことを止めるためだ。しかるに、残念ながら、彼らはそれを理解しがたい。
→ 悪魔の画像(AI): Open ブログ

※ あと2〜3回ぐらい、続く予定です。
現実にはもし民衆が反米やイスラム支持の場合、それを抑さえる独裁者を支援してきました。韓国、南ベトナム、シャー時代のイランなどがその例です。
国連でフランス、韓国、そして日本もパレスチナ国家承認にイエスといったそうです。もちろん米国は拒否したのですが。それについてカプリ島でブリンケンさんにBBC記者が質問しましたが、話題をそらされていました(ように私には聞こえました)。
まだ続く由、期待しております。
ひまなので さんのご指摘、確かにおっしゃる通りですね。結局のところ、自分たちの価値観にとって特か損か、ということなのでしょうか。となると、やっぱり確信犯というわけですから、悪魔だ何だと言われても響かないかもしれませんね。
人間って結局、殺しあうのが性分なんじゃないでしょうか。文化とか宗教とか独裁とか利害関係とかそういうものは名分に過ぎず。価値観の異なる者に対しては激しく罵るのが一般的ですよね。そこに凶器や武器があれば使うだけの話。「善良な一般市民」が、ひとたび戦争や紛争が顕在化すると虐殺者に変わります。パレスチナが歴史的事情から注目されていますが、世界各地に虐殺進行中のところが散在していますし、日本国内でも傷害・殺人もしょっちゅうです(報道されるだけ、まだマシなんでしょうが)。明治は生き残った者たちによる政府ですし。ユーゴスラビア、ルワンダなんかも比較的近年のこと。
そんな中にあっても、あきらめないで少しでも被害を減らそうという努力はもちろん必要なんでしょうけれども、じゃあ、暴力装置を持たない者がに何ができるかというと……。やっぱり、叫ぶ・歌うという結論にならざるをえないということでしょうか。