補足的な話。(人々の姿を教える)鏡とは何か?
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鏡とは何か?
前項末では、こうと述べた。
人々は「天使であると自惚れている悪魔」であるからだ。
だからこそ、人々にとっては「鏡」が必要なのである。真実の姿を教える鏡が。
では、人々に真実の姿を教える「鏡」とは、具体的には何か? 欧米の人々に「おまえは悪魔だ」と言って詰ればいいのか? いや、それでは、悪口を言われたと思って、欧米の人はますます依怙地になるだけだろう。
だから、もっと工夫することが必要だ。では、どうすればいい?
私の提案は、次の二つだ。
(1) 質問する
彼らが思っていることを、質問によって問い質す。質問をして、答えさせることで、彼らの本音を引き出す。彼らの本音とは? 「見て見ぬフリをしたがる」ということだ。現実には「虐殺は悪だ」と理解しているのに、あえて「見て見ぬフリ」をして、イスラエルの虐殺を座視したがる。そういう本音をさらけださせる。隠そうとしている本音を白日下にさらす。
「罪なき市民や女性や子供を殺すことは、許されますか?」
「大量の市民を殺すことは、許されますか?」
「イスラエルに制裁をしないことは、かまいませんか?」
「ウクライナを侵略するロシアとの比較は?」
(2) 声を上げる
多くの人々が平和のために声を上げる。たとえば、ブログで毎日、ガザのための記事を書く。(本サイトのように。)
あるいは、ツイッターで毎日いっぺん、「ガザに平和を」「虐殺を止めよ」「イスラエルとは断交せよ」というようなツイートを書く。大勢の人が毎日書くようになれば、それは世界を動かすだろう。10億人の人々が毎日そう書けば、そのことは世界を動かすだろう。
アピールの手段は、首都の路上でデモをすることばかりではない。ツイッターで毎日ツイートするだけでも、それは「声を上げること」になるのだ。
あるいは、歌声を上げるのでもいい。「イマジン」を歌うように。
そこで提案しよう。「平和のために声を上げよ」と。
そのためには、歌を歌うだけでもいい。たとえ歌を歌うだけであっても、平和のために声を上げることは大切だ。
そういう人々が増えて、多数を占めれば、世界は変わる。世界における勢力争いにおいて、平和を望む人が多数派を占めることができる。今は無言で隠れている人々が、歌を歌って姿を現すようになれば、政府もそれを無視できなくなるからだ。
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人々が何もしなければ、戦争は止まらない。しかし戦争を止めることは、まったく不可能だというわけでもない。たとえこの世界が悪魔に握られているのだとしても、悪魔に抗するための声を上げることはできる。……それは、平和を求める声だ。平和を望む声だ。
(以下、略)
( → 武力と平和主義 .12: Open ブログ )
朝日社説
ガザに平和をもたらすにはどうすればいいか……というテーマで、朝日新聞社説が論じている。
イスラエルの方針について、批判してから、こう述べる。
理解しがたい対応だ。
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世界の声に背を向けても強硬路線を歩むのか。その先には人道悲劇を許した重い責任が待ち受けていることを、イスラエルは自覚すべきだ。
( → (社説)飢餓迫るガザ 惨事防ぐ停戦を急げ:朝日新聞 2024-03-28 )
「イスラエルは自覚するべきだ」というのが、結論であり、提案だ。
呆れる。こんなふうにイスラエルに諭すぐらいで、イスラエルが方針を転じるわけがない。「蛙の面にションベン」でしかない。イスラエルにしてみれば、「犬の遠吠え」ぐらいにしか思えないだろうし、あっさり聞き捨てるだけだろう。
どうせ朝日の社説という公器を使うのであれば、もっと大規模な政治的提案をするべきだ。たとえば、「イスラエルに経済制裁する」とか、「イスラエルと断交する」というふうな。
実際には、記事中で記しているのは、些細なことだけだ。
・ 米国の外交方針
・ 欧州の批判声明
・ カナダの武器輸出停止
これらを紹介するだけだ。まったく、腰砕けというか、生ぬるいというか。
社説では「重い責任が待ち受けていることを、イスラエルは自覚すべきだ」と言うが、こんなことを殺人犯に告げて、殺人犯が殺人をやめるわけがないだろう。あまりにも甘ちゃんだ。
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なお、この社説は、肝心の日本については何も言わない。この点でも、生ぬるすぎる。だから、私がかわりに書いておこう。
日本政府は、ガザの虐殺を止めようとしているか? 国連の場では、ガザ虐殺の停止に賛成票を入れているので、一応は、止めようとしていると見える。
だが、イスラエルとの2国間関係を見れば、日本はイスラエルの虐殺を止めようとしているどころか、(消極的に)支持していると見なせる。
・ 基本線は、イスラエル支持である。友好関係を維持する。
・ イスラエルに同調して、ハマスを批判する。
・ 虐殺するイスラエルには何も批判しない。自重を期待するだけ。
・ その期待も、外相や首相の声明ではなく、報道官の談話だけ。
→ ガザ地区のラファハにおけるイスラエルの軍事行動について(外務報道官談話)|外務省
・ 上層部としての外務副大臣は、イスラエルと協調が基本。
→ 辻 外務副大臣によるカッツ・イスラエル外務大臣表敬|外務省
ラファにおける虐殺を見ても、虐殺については何も語らずに、ほったらかしだ。この点では、欧米とは大差がある。つまり、日本政府の方針は、「見ざる・聞かざる・言わざる」なのだ。このことは、次の一覧を見ればわかる。
→ イスラエル国|外務省
ほとんど何も言わないに等しい。虐殺については「見て見ぬフリをする」ばかりだ。あまりにもひどい。
その日本政府を批判しないという点では、朝日の社説も、似たようなものだ。同じ穴のムジナだね。目くそ耳くそ。
だからこそ、「声を上げよ」と、本サイトでは主張しているのだが。
※ 長くなったので、中断します。次項に続きます。
少なくともイスラエル国としては、ガザにおける民間人の大量の犠牲を、前項における「閾値」であると認識しているのではないかと思います。そして欧米諸国も程度について差異があるものの同様に捉えているからこそ支持、容認、黙認、ノーコメントを決め込んでいるのではないでしょうか。(私はそれが「良い」「仕方がない」と主張しているわけではありません。念のため)
イスラエル国は、基本的に建国以来ずっと戦争状態にあります。中でもハマスなどとはかなり激しい戦闘を繰り返しています。ハマス側もパレスチナ域内で防衛しているわけではなくて、常にイスラエル国内で民間人の殺害を続けています。ウクライナとは状況が全く異なります。パレスチナとウクライナとを同じ視点で論ずるなら、「虐殺」を止めるどころか却って促進してしまうことになるのではないでしょうか。「虐殺をやめろ」と声を上げること自体は肯定しますが、原因の片方だけに非難を集中させ、もう一方の当事者(ハマス他)側の問題を無視・軽視することは、却ってイスラエル側の悲壮感・危機感を煽りますます事態を悪化させるだけであるように思っております。管理人様は「イスラエル国の存続の危機」なんて存在しないと鼻で笑っておられることと思いますが、彼らは本気で危機感を持っています。それを払拭しないことには、彼らとしては「パレスチナ人を殺すな。お前らは皆死ね」と言っているようにしか聞こえないことでしょう。その声が高まれば高まるほど、自分たちで何とかするしかない、どんな犠牲を払っても守り抜くぞ、と更に強硬な対応へ進んでしまうのではないでしょうか。部分最適(「虐殺」の停止)を目指すつもりがむしろ犠牲者の増加をもたらしてしまう。そんなことは管理人様の本意ではないことと思います。
まだまだ続く由、引き続き拝読いたします。
実は、この提案に似たことは、すでにパレスチナ側からなされているが、イスラエルが断固拒否している。「パレスチナはすべてオレのもの。全部奪うまでやめない」と言って、譲ろうとしない。
次項参照。(予定)
世界はこれから長い時間をかけてイスラエルはアラブ人を虫けらのように殺す国だと、国際会議や公的機関で言いふらし続けることが大事です。例えばオリンピックの参加を認めないとかです。でもイスラエル人はそれを受ける覚悟ができていると思います。