単純な原理では説明できない場合について、対策を考える。
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あれこれ
単純な原理では説明できない場合について、類別や原理を示してきた。(前々項、前項)
これらの例では、単純な原理では済まないこと(≒ エゴイズムでは済まないこと)とは、「放置では済まない」という状況があるとわかった。それは「水は高きから低きに流れる」というふうにはならない状況だ。
その状況は、次のような例がある。
・ 均衡点に到達しようとしても、阻害される。
・ 安定的な均衡点がもともとない。
このような状況があるが、それらにおいては、それぞれ原因で均衡点に到達できないので、対処の仕方もそれぞれ異なる。
以下では、さまざまな対処の仕方を示そう。
ボトルネック
ボトルネックがあると、流動性が不十分になり、均衡点(均衡状態)に到達しにくくなる。
このような場合には、ボトルネックの箇所(詰まっている箇所)で、詰まっている状態がなくなるようにするといい。つまり、流動性を回復するといい。そのことで、問題は解決する。
この際、 問題を解決するために、多額のコストがかかることがある。そのコストは、局所的には負担しきれないほどの高額なコストになるが、全体が利益を得るので全体がコストを負担することにすれば、コストの負担は可能となる。
これがつまり、「局所最適化よりも全体最適化を優先する」ということだ。
※ ここでは、不均衡の原因が「ボトルネックによる流動性の阻害」であるとわかる。
不均衡の経済学
経済学では別の形で不均衡が起こることがある。それは不況のときの「企業の倒産続出」という状況だ。
市場原理に従うならば、放置することで市場は最適状態になるはずだから、何もしなければ最適化されるはずだ。ところが現実には、不況のときには「企業の倒産続出」という最悪の状況となる。つまり、「自由放任による最適化」という発想は成立しない。では、どうしてか?
これを説明するのが「トリオモデル」だ。
→ トリオモデル: nando ブログ

右方向が価格であり、上方向が量である。
需要曲線は、価格が上がるほど量が減る。
供給曲線は、価格上がるほど量が増える。
両者は一点で交差する。そこが均衡点だ。
一方、下限直線という水平線がある。これはコストを意味する。
均衡点が下限直線よりも上にあるなら、問題ない。
均衡点が下限直線よりも下にあるなら、問題がある。(原価割れ)
最後の場合が問題だ。これはずの左側で示される。この状態では、均衡点に到達すると、価格が原価割れとなるので、企業は倒産する。
かといって、価格が原価割れしないように高めに維持すると、需給ギャップが発生して、需要不足・供給過剰となり、大量の売れ残りが発生する。作っても売れないので、企業は倒産する。
かくて「自由放任で状況は最適化」ということが成立しなくなる。そのことが「トリオモデル」で説明される。
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解決するには、需要曲線そのものを変動させるしかない。それには、放置ではなく、マクロ経済学的な手法が必要となる。
その手法は、伝統的な方法では「量的緩和」だが、現実には無効だった。
一方、別の方法もある。「巨額の減税」(需要の創出)だ。これによってインフレスパイラルを起こす、という手法だ。この件は、別に述べた。
→ 景気回復の方法は? (総需要の拡大): nando ブログ
マクロ経済学
「巨額の減税」で不況を脱出することが可能だ、という話は、マクロ経済学の理論で説明される。
それは「マクロ経済学モデル(修正ケインズモデル)における、マクロ的な均衡点の移動」という手法だ。
つまり、消費性向の変化によって、GDPの均衡点が移動するので、GDP が大きくなる機能点をめざして、拡大均衡へ至る……という過程だ。
※ その逆方向で、縮小均衡へ至る……という過程が、不況だ。
→ 不況の原理(デフレの原理): nando ブログ
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マクロ経済学に従えば、不況を解決するには、「均衡点の移動」が必要となる。これは「流動性の回復」というような、市場における改善ではとうてい済まない話だ。
ついでだが、前出の「合成の誤謬」は、上の「不況の原理」とほぼ同様である。似た話で、「貯蓄のパラドックス」というのも、ほぼ同様である。
閾値を超える力/迂回経路
前項では、他に次の2通りを示した。
(1) 閾値を超える力
一つの均衡点から別の均衡点に移る中間に、ポテンシャルが高くなるピーク(閾値)がある場合がある。この場合、ピーク(閾値)を越えるような大きなエネルギーを投入すると、一つの均衡点から別の均衡点に移ることができる。
※ 上記のマクロ経済学における「均衡点の移動」も、このタイプの一種である。「巨額の減税」という巨大なエネルギーを投入することで、一つの均衡点から別の均衡点に移ることができる。この際、最終的には、投入したエネルギーをすべて回収できて、しかも、お釣りが来る。(例。減税に 10兆円を投入するが、その後の景気回復で 15兆円の税収増があるので、差し引きして、5兆円の税収増となる。)
(2) 迂回経路
迂回経路の事例は、前項で示した。一般的には「損して得取れ」という原理だ。
なお、この損得の順序を逆にすると、次の「利全主義」となる。
利全主義
生物学において、「利己主義」でもなく、「利他主義」でもなく、(集団全体の利益を優先する)「利全主義」という主義が考えられる。
その典型は、「親が子供を産む」または「親が子育てをする」ということだ。ここでは、「損をしてから得をする」のではなく、「得をしてから損をする」という原理が働く。
・ 個体は「誕生」という得をしてから、「繁殖」という損をする。
・ 個体は「子育てを受ける」という得をしてから、「子育てを施す」という損をする。
これらでは、「先に得をして、後で損をする」という原理がある。そして、全体では、「大きな得をして、小さな損をする」という差し引きが生じるので、通算すれば大きな得をすることになる。
たとえば、子供のころには、親から給餌してもらうことで生命を維持する。これは大きな得だ。一方、親になってからは、子供に給餌する。これは小さな損だ。(小さな子供が餌を見つけるのは容易ではないが、大きな親が餌を見つけるのは容易だからだ。)
※ 詳細は下記。
→ 利全主義と系統 (生命の本質): Open ブログ
※ なぜ親はわざわざ損になる行動をするかと言えば、遺伝子によって規定されているからだ。それを「本能」という。それをもつ種族は存続し、それをもたない種族は滅亡する。
戦争と平和
「放任による解決」「エゴイズムによる解決」ができない場合について、それぞれの場合で、どのような原理があり、どのような対策が取れるかと、いくつかの類別を示してきた。あれやこれやと。
これらの問題に比べると、「戦争と平和」の問題は、かなり単純な手法で解決できる。つまり、「戦争を止めて、平和をもたらす」には、かなり単純な手法で片付く。
その方法は? 先に示したとおりだ。
→ 武力と平和主義 .19: Open ブログ
その方法は、ひとことで言えば、「協力」だ。人類の全体が、平和をめざして、協力する。たったそれだけのことで、戦争は止まるし、平和は実現する。
なるほど、イスラエルは愚かだし、ロシアも愚かだ。人類には、愚かな人々が少数ながらも、存在する。
しかし、少数の人間が愚かだとしても、大多数の人間が愚かでなければ、まともな人々が「協力」をすることで、戦争は止まるし、平和は実現する。あまりにも簡単だ。
そのことが、上のことから説明される。
こうしたことは、2020年までならば、信じられただろう。世界には愚かな人々がいるとしても、欧米や日本の人々は、愚かでもないし、邪悪でもない、と思えたからだ。
ところが、今や状況は一転した。欧米や日本の人々は、ロシアよりもさらに邪悪なイスラエルを見ても、止めようとしないし、むしろ、虐殺するのを容認する、というありさまだ。欧米や日本の人々は、天使の姿をしていると思っていた自分が、実際には悪魔の姿をしている、と判明してしまったのだ。
しかも、そのことに、自分自身で気づいていない。なぜなら、鏡を見ないからだ。換言すれば、鏡となってその姿を教えてあげるものが存在しないからだ。(……本サイトを除いては。)

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戦争を止める手法は簡単である。世界の人々が「協力」するだけでいい。しかし、そのためには、世界の人々が「良心」をもつ必要がある。そして、そのことが、最も困難なのだ。なぜなら、人々は「天使であると自惚れている悪魔」であるからだ。
だからこそ、そのことを告げて、人々の真実の姿を教える鏡を見せる必要がある。そして、その鏡を見て、人々が自らの姿に気づいて、おのれの姿を恥じたとき、そのときようやく人々は悪魔から脱することができるだろう。
戦争を止めて、平和をもたらすのは、手法としてはごく簡単な手法で済む。しかし、その手法を取る前に、人々が自分の真実に気づく必要がある。……それが最も困難なことなのだ。
だからこそ、人々にとっては「鏡」が必要なのである。真実の姿を教える鏡が。
→ 武力と平和主義 .19: Open ブログ

※ 原理の話はこれでおしまいです。
※ 次項では、補遺のような話をします。「鏡とは何か?」など。