単純な原理では説明できない場合の原理を示そう。
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ポテンシャル
前項では、単純な原理では説明できない場合があることを、いろいろと説明した。では、そのような場合について、別の原理で説明するとしたら、どんな原理を出せばいいのか?
それを考えるには、まず、単純な原理とはどのようなものかを示すといい。それは、次の図で示せる。
左側には凹状の構造があり、右側には凸状の構造がある。
左側では、ドンブリのような凹状の器の中に、鉄球( ● )が入っている。ここでは、最も深い点が、安定的な点である。
このような安定点は、力学的には「ポテンシャルが最も低い位置」と言える。ここから少しでも左右に移動すれば、この安定点をめざして移動していく。
このような構造があれば、ポテンシャルが最も低い位置が「均衡点」となる。そこで状態は安定的になる。放置すれば、鉄球は自動的にそこに落ち着く。
これは「水は高きから低きに流れる」というのと同様だ。放置するだけで、自動的に最適状態に到達する。
これがつまりは、「放置すれば自動的に最適状態になる」という構造だ。このような構造は、あらゆる場合に成立するわけではなく、「成立する場合もある」というだけのことだ。
具体的に言うと、「法治国家」というのは、このような安定的な構造を持つ。ここでは、「好き勝手な行動を取って、他人の権利を侵害すると、処罰される」という構造があるので、自動的に、人々は違法な行動を取らなくなる。かくて社会は安定的になる。
一方、「法治国家」とは逆の「原始的な無秩序社会」では、野盗のような「ならず者」が はびこる。すると、社会は不安定な状態になる。これは上の図で右側の 凸状 の構造を持つと言ってもいい。
ただし、不安定な構造は、凸状の構造だとは限らない。それ以外の乱れた形であることもあるだろう。安定的な構造は凹状の構造に限られそうだが、不安定な構造はいろいろとありそうだ。
閾値
「安定的な均衡点(ポテンシャルの極小値)が二つあって、その間には不安定な点(ポテンシャルの極大値)が一つある」
というような場合が考えられる。これは、閾値がある、というふうに理解できる。
いったん閾値を乗り越えれば、一つの均衡点から別の均衡点に移動することができる。
逆に言えば、こうだ。
次善の均衡点から、最善の均衡点(ポテンシャルの最低値)に移動したいが、その途中に閾値となるピークがある。そのせいで、次善の均衡点から、最善の均衡点へと、移動することができない。……このような場合がある、とわかる。
※ これは、凹型の安定型構造とは別のタイプだ。
ナッシュ均衡
2×2のゲーム理論で、タカ・ハト・ゲームでは、次の構造がある。
・ 双方が「タカ」ならば、双方が傷つく。
・ 片方が「ハト」で、片方が「タカ」ならば、「ハト」は蹂躙される。
・ 双方が「ハト」ならば、双方が平和になる。(最善)
ここで「蹂躙」というものの意味が問われる。
(i)「蹂躙」というのが、日本を占領した米軍のようなものであれば、それは強者による弱者の支配ではあるが、専制社会から民主社会への転換をもたらすから、かえって状況は改善したことになる。
(ii)「蹂躙」というのが、ガザでパレスチナ人を抹殺するイスラエルのようなものであれば、それは強者による弱者の殲滅であることになる。(カルタゴもそうだった。)これでは状況は最悪となる。
このような形での「蹂躙」があれば、「タカとタカ」という状態からは、いつまでたっても抜け出せないことになる。なぜなら、片方だけが「ハト」を申し出ても、蹂躙されたあげく、絶滅するだけだからだ。
かくて、双方がどちらも「ハト」を申し出ることができない。そのせいで、「タカとタカ」から「ハトとハト」へと移行することができない。途中段階としての「タカとハト」または「ハトとタカ」という過程を取ることができないからだ。
こうして、「タカとタカ」という悪しき状態から抜け出すことができない。これは一種の均衡状態だ。このような状態を「ナッシュ均衡」と言う。
→ ナッシュ均衡(ざっくりした説明) | NABENAVI.net
ナッシュ均衡は、先の「閾値」のモデルを、2×2のゲーム理論に適用したようなものだ、と言える。
形としては、2×2だが、構造としては、冒頭の凹型の安定的構造と似ている。また、隣の均衡点に移動できないという意味では、閾値がある場合と構造が似ている。
閾値を超える力
閾値がある場合には、隣にあるピークを越えないと、その先にある安定値に到達できない。では、その安定値に到達するには、どうすればいいか?
それについては、こう答えることができる。
「閾値の値を超える大きなエネルギーを与えれば、閾値のピークを越えて、その先に到達できる」
このようなエネルギーの大きさが「閾値」という概念の値を定義する。
ナッシュ均衡の場合には、どうか? 片方だけが「ハト」を提案しても蹂躙されるだが、双方が同時に「ハト」を提案すれば、「戦争」から「平和」へと移行することができる。(「タカ・タカ」から「ハト・ハト」への移行。)
これで問題は解決するようだが、話はそう簡単ではない。いったんそういう合意をしたあとで、一方が裏切って、ハトからタカに転じると、裏切った方は巨大な利益を得ることができる。(相手を蹂躙できるからだ。)
こうして常に「裏切り」の誘惑が働くので、「戦争」から「平和」へと移行するのは困難であるわけだ。この問題は、「囚人のジレンマ」の問題と同様である。
この問題を解決するには、どうすればいいか? (ゲームのプレーヤーである)両者だけではなく、周囲の全体が介入して、この両者に与える構造そのものを替えてしまえばいい……というのが、本シリーズの提案だった。
→ 武力と平和主義 .19: Open ブログ
ここでは「包括的合意」という概念で、解決策を与えている。(詳しくは上記項目で。)
※ 換言すれば、ゲームのプレーヤーだけでは解決策は見出せないわけだ。
迂回経路
閾値を超えるには、とても大きなエネルギーを必要とする。通常、そのエネルギーを提供するのは、大変なので、実現しにくい。では、どうすればいいか? 何か、うまい手はないか?
そこで、うまい手を見出すこともできる。それは、「遠回りをする」ということだ。モデル的には、次の図で示せる。
これは前に別項で説明したことがある。転載しよう。
A地点からB地点へ移動したい。そのとき、最短の直線的な経路を取るのが最も手っ取り早いと見える。
しかし最短経路の途中には、川や山や崖がある。最短経路を取ろうとすると、目的地にはとうてい到達できない。そこで、あえて迂回経路を取ると、結果的には容易に目的地に到達できる。
( → プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神( 核心 ): nando ブログ )
このような遠回りの経路を「迂回経路」という。
普通に考えれば、エゴイズムの原理に従って、Bをめざして最短距離の道をたどればいいはずだ、と思える。しかしその道は、途中に山(ピーク)があるので、そこを乗り越えるのに多大なエネルギーを必要とする。(閾値がある。)……だから、そこを乗り越えられないままでいる。
そこで、この山(ピーク)を迂回して、遠回りの経路をたどる。すると、その途中には山(ピーク)がないので、大きなエネルギーを必要とすることもなく、楽々とBに到達できる。
つまり、遠回りをすることで、かえって目的地に容易に到達できるのだ。
このような原理は、「急がば回れ」「損して得取れ」とも言える。また、「情けは人のためならず」というのも同様の原理だ。(目先では損するような行動を取っても、それが巡り巡って、将来いつか、自分の利益となるようになる、というふうになる。)
もうちょっと典型的な例では、将棋の「うまい手」が該当する。目先の数手では、駒を奪われて損するのだが、その数手が過ぎたあとでは、一挙に逆転するような大きな効果を得ることができる……というふうになる。つまり、「損して得取れ」だ。これは、「獲物を餌で釣り出して、獲物の本体を仕留める」という「罠」の原理にも似ている。
ともあれ、「小さな損を犠牲にして、大きな得を取る」という将棋の手法は、「急がば回れ」「損して得取れ」の典型的な例だと言えるだろう。
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《 参考 》
最短距離をめざしても、「山(ピークを乗り越えられない)」となることが多い。だが、場合によっては、「奈落の底に落ち込む」という最悪の結果になることもある。これは「落とし穴がある」ような場合だ。高い「山」があるかわりに、深い「谷」があるわけだ。……このような事例は、「カタストロフィー理論」で扱う。(前項 (3) を参照。)
※ 長くなったので、中断します。次項に続きます。
(1)現実には非常に多くのLocal minimumが存在するでしょうね。
(2)しかもそれは時間的に変動しています。
(3)さらにエントロピー概念の導入が必要でしょう。独裁政権のように深くて狭い極小点はやはり不安定です。
間違っているかもしれませんが、昔Chandrasekharがこんなことを言っていたような気がします。