単純な発想とは異なる複雑な原理を説明する理論を紹介する。
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単純な発想の否定
前項では、「エゴイズムで最適化する」という単純な発想がある。経済学における市場原理がそうだし、進化論におけるダーウィニズムがそうだ。
一方、それに否定的な説を紹介した。再掲しよう。
「エゴイズムで状況は最適化する」
という単純な発想があった。これに対して見事に反例を示したのが、ゲーム理論の「囚人のジレンマ」だった。プレイヤーとなる囚人2人が、それぞれ自分にとって最適になるようにエゴイズムでふるまうと、そのせいでかえって、どちらにとっても最悪の状況に落ち込んでしまうのだ。
このことをゲーム理論は見事に説明した。つまり、
「エゴイズムで状況は最適化する」
という単純な発想は、必ずしも成立しない、ということが明らかになったのだ。
( → 武力と平和主義 .21: Open ブログ )
ここで示しているのは、「経済学やダーウィニズムが間違っている」ということではない。そのような単純な発想が成立しない分野もあるのだ、ということだ。
餅は餅屋。経済学や進化論の分野では、「エゴイズムで状況は最適化する」ということが成立することもある。(というか、その理論で現状を説明できることがある。)
しかしながら、餅屋はケーキやラーメンを作ることはできない。餅屋の原理があらゆる分野に適用できるわけではない。
「エゴイズムで状況は最適化する」
という単純な発想は、成立しないこともある。そういう分野もあるのだ。その例が、前項で示された。
特に、ゲーム理論は、人間の意思を扱う分野であり、その意味で、通常の自然科学とは大きく異なる。どちらかと言えば心理学に近い。(文系の分野だとも言える。)
さまざまな理論
さて。本項では、前項の話をさらに発展させて、ゲーム理論以外の分野に話を広げよう。。
前項で示したのは、ゲーム理論だが、これに類似したものは、他にもいくつかある。ゲーム理論を (1) として、他にもいくつか列挙しよう。
(1) ゲーム理論
ゲーム理論では、「囚人のジレンマ」がある。「エゴイズムで状況は最適化する」ということが成立しないと示す。
さらに、「タカ・ハト・ゲーム」がある。「エゴイズムとは逆の協調によって最適化する」ということが成立すると示す。
※ なお、さまざまな試行によって、「囚人のジレンマ」では、「しっぺ返し戦略」というのが非常に有効だ、とわかっている。
→ しっぺ返し戦略 - Wikipedia
※ 「タカ・ハト・ゲーム」では、「ブルジョワ戦略」が有効だ、とわかっている。
→ 前項の最後。
(2) 合成の誤謬
経済学では、「合成の誤謬」という原理が成立することもある、と示されている。この件は、前に解説したことがある。そちらを参照。
→ 面接入試の難点:その根源: Open ブログ
→ 進化論と経済学: Open ブログ
(3) カタストロフィー理論
「単調増加や単調減少のように、なめらかな同一傾向の関係性があるね」と思っていると、突然、急変動が起こる……という突発的な変動が起こることもある。
このような原理を、数学の位相幾何学で分類して考察するのが、カタストロフィー理論だ。
→ カタストロフィー理論 - Wikipedia
(4) 全体最適化
「全体最適化と局所最適化が一致しない」ということを、経営分野で分析した書籍がある。「ザ・ゴール」という書籍だ。本サイトでも何度か紹介した。事例とともに。
この本には、「全体最適化と部分最適化」という話が出ている。
生産効率のアップのためには、すべての箇所で効率を最適化することが必要だと思われているが、実は、そうではない。ボトルネックとなる部分があるので、そこだけを解消すればいい。そのために部分的にはいくらかコストがかかっても、そのことで全体の効率が大幅にアップするのであれば、部分的に高コストをかけても問題ない。
特に、「古い機械をボトルネックに当てることで、ボトルネックを解消する」という事例に着目するといい。
( → スマートハウスの愚 2: Open ブログ )
これは「エゴイズムで最適化する」という単純な発想に似ている。
「エゴイズムで最適化する」という単純な発想は、次のことを意味する。
「各人が個人の利益を最大化しようとすれば、全体の利益も最大化する」
この発想が成立することもある。特に、「パレート最適」(市場原理)という原理はそうだ。
これはつまり、次のことを意味する。
「局所的な最適化を推進すれば、全体的な最適化も実現する」
なるほど、これは単純な発想であり、通常はこれでいいだろう。しかし、その単純な発想では済まないこともある。むしろ、その逆が成立することがある。
「全体的な最適化を実現するためには、あえて局所的な最適化を犠牲にした方がいいこともある」
というふうに。その例が、「ザ・ゴール」では説明されている。それは、「ボトルネックの発生による、全体の麻痺」という異常事態が発生した場合だ。このような異常事態が発生したときには、「全体の麻痺」を解消することが最優先される。そのためには、局所的な最適化は二の次となる。むしろ、局所的には犠牲が起こるのを代償として、全体の最適化を優先するべきだ。
※ これは「全体のために個人を犠牲にする」という日本人の精神性には合致する。
なお、この原理は、「合成の誤謬」の事例として、「火事の映画館の出口に観客が密集して詰まる」という事例に似ている。これもまたボトル・ネックの例だ。
「合成の誤謬」の概念は、「全体最適化」の概念と、かなり近い関係にある。
- ※ ボトルネックがあるということは、詰まっているところがあるということであり、「自由な流動性」が成立していないということだ。その意味では、市場原理やパレート最適化を成立させるための前提条件が成立していないことになる。だから、これらの原理が成立しないのも当然なのである。
(5) 囲碁 AI
「全体最適化と局所最適化が一致しない」ということを、見事に示したのが、囲碁AIだ。それまでは、人間の囲碁は、「局所最適化を推進する」という方針でなされていた。広い盤面のうち、特定の狭い領域で自分の陣地を広げていく。少しでも相手を上回るように陣地を広げていく。そういうふうに各領域で陣地を増やしていくことで、最終的な勝利を得る。つまり、局所的な最適化を推進することで、全体的な最適化を実現しようとする。
AIはその方針を全否定した。局所的には、あちこちで人間が陣地を次々と獲得していく。人間は「次々と自分が陣地を獲得していくぞ。ここでも、あそこでも、陣地は自分のものだ」と喜んでいる。その間に、AIは空中でわけのわからない点を散在させているだけだ。人間は思う。「AIは、何のつながりもない点を散在させるだけで、無駄なことをやっている。その間に、自分はあちこちでたくさんの陣地を獲得している。これで自分の価値は決まりだな。すでに獲得した陣地では大差が付いているし」
ところがゲームが進むと、最後の最後になって、大逆転する。AIは空中でわけのわからない点を散在させているだけだと思えたが、最後の最後になって、それらの点がすべて有機的に結びつく。AIはいつのまにか(未定だった)巨大な陣地を獲得している。ただしその獲得の仕方は、あまりにも遠大な構想だったので、人間には見通せなかったのだ。
そして、人間がそれに気づいたときには、手遅れだ。人間の獲得した陣地は最終的には 49%であり、AIの獲得した陣地は 51%である。それまでに人間が獲得した大量の陣地は、すべてが無駄になった。最終的には人間が敗北したからだ。AIは「肉を斬らせて骨を断つ」というような形¶で、最終的に勝利したのだ。
- ¶ これは達人が「見切る」というのに似ている。ボクシングの達人は、相手のパンチを紙一重でかわしてから、相手に致命的なカウンターパンチを与える。ただのパンチは軽いジャブにしかならないが、「相手のパンチを見切る」ことによって、致命的なパンチを打つことができる。
上の囲碁の例では、AIはなぜ勝利したか? 局所的な勝利を捨てて、全体的な勝利をめざしたからだ。なのに、人間は、そのことに気づかなかった。人間は、視野があまりにも狭かったからである。狭い局所だけを見ていて、広い全体を見ていなかったからだ。
実を言うと、碁盤の広さはあまりにも大きい。盤面のすべてを考慮することは不可能に近い。だからこそ、今までは、「せめて理解のできる範囲内で、局所的な勝利をめざそう」と人間は思ってきた。そして、それで成功していた。
しかしAIの登場で、その方針は瓦解した。盤面のすべてを考慮することは、人間には不可能であっても、AIには不可能ではないからだ。だからAIは、盤面のすべてを考慮する戦略を取った。そして、その戦略は、人間には理解不能だった。だから人間はAIに完敗したのである。
→ AI とディープラーニング 2: Open ブログ
- ※ ただし、近年になると、人間もAIの方針を学んで理解できるようになってきた。そこで、AIの手法を真似する棋士も出てきた。将棋でAIの打ち方を真似て勝つ藤井聡太が出現したように、囲碁の世界でもAIの打ち方を真似て勝つ棋士が出てきた。(今では大半の棋士がAIの影響を受けているようだ。)
ともあれ、囲碁の世界でも、先の話と似たことが起こっている。「局所最適化をすることで、全体最適化が実現する」という発想がもともとあったのだが、「局所最適化では全体最適化ができない」という事例が目立つようになったのだ。むしろ、「局所最適化を犠牲にしても、全体最適化をめざす」という方針を取ると、圧勝できるようになったのだ。
※ 一種の逆転現象と言える。
※ 長くなったので、中断します。次項に続きます。