理論的な原理の話をする。ゲーム理論など。
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エゴイズムを越えて
前項ではこう述べた。
「エゴイズムにとらわれると、視野が狭くなったあげく、目先の損得だけを気にして、最終的には大損するハメになる」
そこで、かわりに「協調」によって全体的な平和が得られる、という趣旨の話をした。特に、中東における「包括的合意」はエゴイズムでは困難だ。
これらのことから、「エゴイズムを越えるものが必要だ」とわかる。では、それは、どういうことなのか? エゴイズムを越えるものというが、そのような原理があるのだろうか?
エゴイズムの正当化
歴史的に見れば、エゴイズムは批判されるものではなく、むしろ肯定されるものだった。特に、経済学の分野ではそうだ。
・ エゴイズムによる資源の最適配分 (パレート最適)
・ 市場原理
・ ワルラス的価格均衡メカニズム
これらの概念では、エゴイズムというものが肯定的にとらえられた。
さらには、進化論におけるダーウィニズムでは、「エゴイズムによる個体間の競争が進化をもたらす」というふうに説明された。
これを変形した形で、「エゴイズムによる遺伝子間の競争が進化をもたらす」という説明も生じた。(利己的遺伝子説)
この二つは、「個々のものエゴイズムの競争が全体に進化をもたらす」というふうに説明することで、エゴイズムを肯定的に認識した。
とはいえ、この二つの例は、いずれもそれぞれの分野で限定的に適用できるだけだ。他の分野に援用できるものではない。
※ ちなみに、ダーウィニズムを社会に適用する「社会進化論」は、人間を人間扱いしないということで、厳しく批判された。
要するに、エゴイズムによって説明することは、それで成功する分野もあるが、成功しない分野もある。経済学や進化論の分野でそこそこ成功したからといって、それが万事に適用されるわけでもない。「エゴイズムで説明される分野もある」というだけにすぎない。
もう少しはっきり言えば、こうなる。
「エゴイズムで説明される事例もあり、エゴイズムで説明されない事例もある。前者の事例ではエゴイズムの概念が役立つが、そうでない場合もある」
ここで問題だ。「そうでない場合」とは、どんな場合か? 「エゴイズムで説明されない事例」とは、どういう事例か?
それが問題となる事例を考察するのが、ゲーム理論だ。
ゲーム理論
「エゴイズムで状況は最適化する」
という単純な発想があった。これに対して見事に反例を示したのが、ゲーム理論の「囚人のジレンマ」だった。プレイヤーとなる囚人2人が、それぞれ自分にとって最適になるようにエゴイズムでふるまうと、そのせいでかえって、どちらにとっても最悪の状況に落ち込んでしまうのだ。
このことをゲーム理論は見事に説明した。つまり、
「エゴイズムで状況は最適化する」
という単純な発想は、必ずしも成立しない、ということが明らかになったのだ。
タカ・ハト・ゲーム
「囚人のジレンマ」の配点を変更することで、「戦争と平和」の理論に適用できるようにしたのが、「タカ・ハト・ゲーム」だ。
このモデルでは、最適状態の「平和」と最悪状態の「戦争」とが設定される。と同時に、片方だけが一方的に攻撃する「蹂躙」の状態も設定される。
双方が「タカ」を選ぶと、最悪状態の「戦争」となる。それに懲りて、他方が「ハト」を選んだとしよう。そのとき、相手も「ハト」を選べば、平和になる。しかし、相手が「タカ」を選べば、平和にはならず、自分は蹂躙されるだけだ。というわけで、一方だけが「ハト」を選んでも、平和が実現するとは限らないのだ。
これは「平和主義が失敗する」という原理を明らかにしている。本日の朝日新聞社説もそうだが、日本にはやたらと平和主義の人が多い。そこでは「武器を放棄することで平和が実現する」という主張が声高々に主張される。
しかし現実には、武器を放棄することで実現するのは、平和ではなくて、蹂躙なのである。そのことは、ガザの市民が次々と虐殺されているのを見てもわかる。また、東部のウクライナが次々と破壊されて廃墟となっていくのを見てもわかる。
本日の朝日新聞記事では、ノーベル平和賞を受賞した人権団体のウクライナ人が、こう述べている。
授賞式では「攻撃を受けている側が武器を置いても、平和が訪れることはない」と訴えた。
( → (ひと)オレクサンドラ・マトビチュクさん 戦争犯罪を記録するウクライナの人権団体代表:朝日新聞 )
これはつまり、相手がタカのときに自分だけがハトになっても平和は実現しない、ということだ。
自分だけが武器を捨てれば平和が実現する、と信じている平和主義者の発想は誤りだ、とここで指摘しているわけだ。
ウクライナ人はそのことを、身をもって理解している。抽象的な理想だけで「武器を捨てれば平和が実現する」と夢想している平和主義者とは、まったく違うのだ。
ブルジョワ戦略
なお、タカ・ハト・ゲームでは、ブルジョワ戦略が推奨される。これは、
「自分の領域の内部ではタカで、自分の領域の外部ではハト」
という戦略だ。
この場合、自分の領域の内部ではタカになる。そのためには武力が必要となる。( → 別項 )
武力を放棄するという形で、「常にハト」という戦略を取れば、一方的に蹂躙されるだけとなる。「常にハト」という戦略は、平和をもたらすのではなく、かえって敵による侵略を招く。そのあげく、最終的には、蹂躙されて敗北する。下手をすれば、滅亡する。
なるほど、朝日新聞のような平和主義を取れば、確かに平和は実現する。ただしそれは「自国の滅亡」「敵国による支配」という形の平和だ。
日本が滅亡して、北朝鮮か、中国か、ロシアがそのあとで日本の領土を奪う。そういう形で平和が実現する。……朝日新聞のような平和主義者が望む平和とは、そういう平和なのだ。それはただの敗北主義である。
だから、一方的な平和主義でもなく、一方的な侵略主義でもなく、その間にある「ブルジョワ戦略」(≒ 防衛専用・専守防衛)というのが、最も妥当なのである。……そのことが、この理論からわかる。
※ 「ブルジョワ戦略」がいい、ということを説明する理論は、ESS 理論と言う。これは京都賞を受賞した有名な理論である。
→ ジョン・メイナード=スミス | 京都賞
※ 長くなったので、中断します。次項に続きます。