前項について、解説と補足を述べる。
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前項の趣旨
前項の話を読んで、「これが結論だな」と思った人もいるようだ。だが、違う。前項は結論ではない。
これが結論だとしたら、「歌えば平和になる」という話になりそうだが、そんな簡単な話ではない。「イスラエルやロシアに向かって、歌を歌えば、彼らは武器を捨てて、いっしょに歌うようになる」という話ではない。そんな簡単なことで平和が実現するはずがない。
では何か? 何が言いたいのか? そのことは、すでに記してある。
前項で示したのは、「平和を望む」ようにさせる方法だ。それは戦争の当事者(ロシア・イスラエル・ハマス)に向けた方法ではない。戦争を見ながら戦争を放置するという、他国に向けた方法だ。それは当事者よりも、当事者の周囲に向けた方法だ。(欧米や日本など。)
われわれが声を上げるべき相手は、ロシアやイスラエルではなく、自分たちの政府なのだ。(欧米や日本など。)
悪魔とは、ロシアやイスラエルのことではなく、自分たちの政府のことなのだ。(欧米や日本など。)¶
- ¶ 現在、パレスチナでは戦争が止まらないが、その主たる原因は、イスラエルやパレスチナにあるというより、欧米が戦争を止めようと思っていないことだ。ここに根本的な原因がある。だから、ここを何とかしようというのが、前項の話だ。
では、平和を望む人々の声を聞いたあとで、周囲の国々が平和を望んだなら? そのあとで戦争を止める方法は、前項よりも、もっと前に記してある。それは、(当事者ではない)第三者の力で、状況そのものを変えることだ。 ★
その原理は、タカ・ハト・ゲームを使って説明した。
以上のアイデアによって、「エゴイズムによって悪魔になる」ということ(人間の本性)を脱するように、状況を整備することができる。
ああしろ、こうしろ、と人の心を操作することはできない。しかし、「こうすれば、こうなる」というふうに、状況を整備することはできる。
状況を変えるということは、容易ではない。ゲームのプレーヤーには不可能だ。
しかし、ゲームのプレーヤーでなく、世界や社会の全体などならば、全員の合意によって、状況を変えることはできる。
戦争というものは、戦っている2国だけでは状況を変えられないが、世界の全体が介入すれば、状況を変えることができる。
( → 武力と平和主義 .10: Open ブログ )
馬に水を無理やり飲ませることはできないが、馬を水場に連れていくことはできるのだ。
基本はブルジョワ戦略
「第三者の介入で状況を変える」
というのが、今回のシリーズの眼目だ。ただし、これは万能ではない。
実を言うと、話の基本は、最初の方に示してある。つまり、ブルジョワ戦略だ。
→ 武力と平和主義 .3: Open ブログ
これは戦略だが、これが有効になるためには、武力が必要となる。(領域内でタカになるには、タカになるための武力が必要だからだ。)
→ 武力と平和主義 .4: Open ブログ
かくて、ブルジョワ戦略と武力があれば、平和を維持するための基本方針ができる。これによって、原理的には平和の維持が可能であるはずだ。
第二次大戦は?
歴史的にはどうか? 「ブルジョワ戦略と武力で平和を維持する」という方針は成立したか? いや、成立しなかった。だから戦争が起こった。
ではなぜ、戦争は起こったか? 上の方針が間違っていたからか? 違う。ブルジョワ戦略を取らなかったからだ。
ドイツは弱小の各国を次々と侵略していった。まずはチェコ侵略。さらに、ポーランドも。デンマークも。ノルウェーも。ルクセンブルグ、オランダ、ベルギーも。……いずれも簡単に侵略していった。そしてついには、フランスも征服した。(これは簡単ではなかったが。)
その後、スロバキア、ハンガリー、ルーマニア、ブルガリアがドイツの同盟国になったので、これらも傘下に収めた。(イタリアはもともと同盟国だ。)
こうしてドイツは欧州の全体を支配した。
では、その間に、各国は何をしていたか? 単にバラバラになって、強大なドイツ軍と対抗しただけだった。そのドイツ軍は、最初は自国だけだったが、その後は、チェコなどの産業や軍備を吸収することで、どんどん巨大化していった。戦争の当初に比べて、数年後には はるかに巨大になっていった。その巨大化したドイツ(というより欧州の半分以上)と、弱小の各国は個別に対抗するしかなかった。その結果、あっさり敗れていった。
ここでは、ブルジョワ戦略を取ることもできなかった。対等に戦うどころか、単に蹂躙されるだけだった。
以上は、過去の歴史だった。そこではブルジョワ戦略以前の段階で、どうしようもなく敗北するしかなかった。(戦略以前に武力がなかった。)
戦後の欧州は、それを反省した。そこで、強大な武力を備えることにした。それが NATO である。西側諸国は一致団結して、同盟を結ぶことで、東側諸国に対抗した。こうして強大な武力を備えることで、ブルジョワ戦略を取ることが可能となった。つまり、「敵が自国領に侵入したら、タカとなって撃退する」という方針だ。
このような方針は、戦後になって初めて構築された。戦後はブルジョワ戦略によって、見事に平和の時代が続いた。その平和は、ロシアによるクリミア侵攻のとき(2014年)まで、69年間も続いた。
強者が蹂躙する
ブルジョワ戦略はかなり有効であるのだが、それには条件がある。戦争の双方の力が拮抗しているということだ。
力が拮抗していれば、戦争の場では、双方がともに傷つく。だから、侵入する側は、タカとなって傷つくことを恐れて、領域外に退散する。
しかし、力が拮抗していないときには、これが成立しない。かわりに、強者が弱者を蹂躙することができる。
つまり、弱者の側が十分な武力を備えていないときには、ブルジョワ戦略が無効となるのだ。こうなると、強者の側には、「弱者を蹂躙する」という誘惑が生じる。そのせいで、戦争が起こりやすい。
実は、ウクライナ戦争も、ガザ侵攻も、ともに「強者が弱者を蹂躙する」という形で起こった。そこでは、ブルジョワ戦略は有効でなくなったのだ。
困った。どうする?
そこで、困ったときの Openブログ。うまい案を示そう。というか、その話は、すでに示した。(本項の冒頭付近でも再掲した。 ★ の箇所だ。)
このようなタイプの戦争には、この方針が本サイトの提案となる。
とはいえ、それで話がすべて片付くわけでもない。
※ 長くなったので、中断します。次項に続きます。
欧米ももちろんではありますが、周辺のアラブ諸国(シーア派、スンニ派それぞれ)の思惑もなかなかで、一般パレスチナ人は双方の犠牲になっていると言えるのではないでしょうか。
けろ さんは、イスラエルとハマスの攻撃を同等で対称的だと見なしていますが、前者はゾウのように巨大であり、後者はアリのように微小です。攻撃力も被害も大差があり、非対称です。
なのに、ゾウが、アリにちょっと刺されたときに、「自分はアリに滅ぼされかねない」と妄想して、やたらと虐殺しまくっている状態です。
確かにはマスのロケット弾は数千発も降りかかってきましたが、アイアンドームで撃墜したので、実際には数発しか被害はありません。殺意は同等だとしても、殺人未遂と殺人既遂には、大差があります。悪意は同等だとしても、罪には大差があります。
という加筆に対して「欧米だけではない。アラブ諸国も」と述べたつもりでした。
アラブ諸国が虐殺に関与しているなんていう主張に読めるとは思ってもみませんでした。戦争を止められていないという意味では、世界中のすべての国々が間接的に関与していると言えなくもないかも。
戦闘の非対称性云々の話も、そんなの当たり前の話で別に誤解しているつもりはありません。逆に、非対称だからこそ、止めるに止められない面があるのだとは思っていますが。ハマス側は肉の壁を駆使したゲリラ戦なわけですから、国同士の戦争のような対照的な形にはなり得ません。
これは失礼しました。
> 戦争を止められていないという意味では、世界中のすべての国々が間接的に関与していると言えなくもないかも。
少なくともイスラエルの虐殺と入植を止めるべきだというのは、欧米以外の国々では一致しています。米国・イギリス・ドイツが例外となって、目立ちます。特に米国は虐殺中止に反対しているという点で、罪深い。